《天皇機関説事件と国体明徴》
二、三の場面を戯曲から抜粋(=一部割愛を含む)して掲げる。
猿田は蓑田がモデル、広瀬は転向した新聞記者、林と平山は陸軍将校、壬生は歴史学者、浅香は歌人で猿田の旧友、ゆり子は猿田の庶子、山下は赤紙を受けた学生である。
山路は貴族院議員で、モデルは菊池武夫。
〈猿田筆の山路演説における美濃部批判の論理に関して〉
猿田 私が君、赤化共産主義の調伏に乗り出して十年。共産党は、佐野・鍋山ら最高幹部までが日本精神に転向だ。滝川幸辰、恒藤恭、末広厳太郎と、赤の温床である自由主義、デモクラシーを総なめにして、いよいよ、東大法学部の牙城に迫ったというわけだ。
広瀬 拝見したところ、烈々たる気迫は感じられますがね。論旨が、スーッとこう、来ないんです。
猿田 そりゃ君、ラジカルにも書けんじゃないか。ストレートに書いたら君、皇道派は熱狂するだろう。しかし、陸軍省や軍務局あたりに巣くう統制派の一味は何というか。一方を刺激するのはこの際まずいぞ。
広瀬 僕は、思想批判としていっているんです。論理にどうも飛躍があるようで。
猿田 飛躍? ふっふ、君ィ、活字で読ませる雑誌原稿とは違うぞ。あっはっはっは。見ていろ。今日の貴族院は沸くぞ。演説者が誰であるかもちゃんと計算して文を練ってあるんだ。
〈しかし山路演説は美濃部の見事な反論で一旦失敗する〉
林 ま、お聞き下さい。理論が通っていようが、いまいが、今更どうだというんです。ここは、国体という錦の御旗をかざして、押し切ることですよ。
猿田 その通りだ。〝国体明徴〟とおれがいったのは、まさにそのことだよ。うむ。
林 昨日と今日とでは情況が違ってきています。昨日までは、機関説は、一部の学者やインテリの間で論じられたにすぎなかったでありますが、新聞がれいれいしく書き立てたおかげで、一般国民の間にまでひろがったわけであります。
猿田 それなんだよ、困難は。
林 困難? あべこべですよ。禍いを転じて福となす――一般の関心の高まったのを逆に利用してですね、一大国民運動を起こすのです。
平山 荒木閣下はいっておられました。機関説はまさに維新達成の前に立ちはだかる万里の長城だと。
林 これさえ打ち砕けばですね、われわれは天皇の御名によって何でもできる。天皇の統帥権の前には、政府、枢密院の骨董品共や、議会内の小雀共もシュンと黙るでしょう。国民は勇躍して戦争に立ち上がり、忠良無比なる若者は、欣然として死んでくれます。
《開戦前夜の「先生と学生」・戦後の現状分析》
山下 どうして弾圧されたんですか、そんなに脆く。
壬生 国民大衆の中に深く根をおろしていなかったからだ、とよくいわれるがね、それでは答えにならない。なぜ、根がおろせなかったか、だな。
(声をひそめ)国体・・・天皇制・・・国民の魂に深くしみこんでる・・・ね? これはもう、驚くべきもんだよ。もともと民主主義のないところへ、明治以来、小学校教育で叩きこまれた物の考え方だからね。・・・社会主義や労働運動などは、国体と相容れない思想だということで、池の水面に浮かんだ木の葉かゴミのように、わけもなく掬われてしまった。しまいには、歴史学者や、芸術家、宗教家まであっさりとね。理屈も何も要らないんだ。万世一系や紀元二千六百年を持ち出せば、国民はそれで納得したんだ。恐ろしいもんだよ。・・・津田博士や川波書房(モデルは岩波書店)が最後にやられたことで、人民の側に残っていた理性や良心は、小骨まできれいに抜かれてしまったわけだ。戦争への道ならしさ。
〈次は戦後の会話である〉
浅香 ゆりちゃん。心配するな。日本は軍備を捨てて平和国家になったんや。
ゆり子 天皇がいるわ。
浅香 わからん人だな。皇室は平和国家のシンボルやないか。長い眼で見ていたまえ。アメリカは日本を理解しているよ。財閥解体なんて命令出したけど、資本主義のアメリカが、日本の資本家を根こそぎするはずがない。あれはね、対日理事会のソ連派に対するゼスチュアさ。そのうちに財閥も生き返って来るし、いい時代がめぐって来るよ。(微笑で)僕はね、東京駅へ降りて、まず皇居に立ち寄ったんだが、あの広場で多数の人が草むしりをしている。それが全国から集まってきた清掃隊なんや。ここに日本人の心の古里がある。僕はそう思ったね。これがある限り、日本はきっと立ち上がれる。
ゆり子 どう立ち上がるの?
浅香 どうって? 平和な国としてさ。財閥解体なんて命令出たけど、あれは表向きのことでね、資本主義のアメリカが、日本の資本家を根こそぎするはずがない。今に財閥だってよみがえるし、繁栄がくる。
ゆり子 そこへまた大明神が現れて、火をつけて廻るのね? 八紘一宇の火を。
《久板栄二郎は何を書きたかったのか》
久板の執筆意図は何だったのか。
1970年はどんな年だったか。68年以降、世界的な反戦反体制の運動が高揚した。米中関係は対立から共存への道が始まる。72年2月にはニクソン米大統領が訪中し、9月には北京で歴史的な日中共同声明が発表され国交が始まった。
国内では、68年の日大闘争・東大闘争から全共闘運動が全国化した。若者の「異議申し立て」の時代である。それは72年の連合赤軍事件に帰結した。一方、体制側は68年に「明治百年記念式典」を行い、ナショナリズムが国民の内面に浸透し始めた。高度成長は、経済ナショナリズムにつながったのである。
新左翼の思想は文化面では、なお続いていた。演劇界では異議申し立てが声高に叫ばれていた。世代とイデオロギーの対立である。この時期の戯曲は、ポストモダン思考に彩られて、情況を「相対化したり」「破壊したり」する作品が主流となった。八巻の『現代日本戯曲大系(第一期)』(三一書房)には、120本余の戦後作品が掲載されているが、1970年の作品として「原理日本」は載っていない。
当時70歳前半の久板栄二郎は、既に「旧派」で「過去の人」と見られていたようである。しかし「原理日本」は、新しさを過大評価する演劇界への、久板の異議申し立てであった。事実、久板自身が「おれの書けるものを、書きたいものを、おれの身につけた手法でできるだけ古いものをそぎ落として鋭く描く。(略)さっき〝居直り〟ということばを使ったけれども、大いに居直るつもりで「原理日本」を書いたんです」と発言している。(『久板栄二郎戯曲集』の村山知義、千田是也、久板の座談、三国一朗司会)
「原理日本」のテーマは、半世紀を生き延びて、我々に匕首を突きつけている。
私は2月18日に、大谷賢治郎が演出した青年劇場の舞台を観た。当時の久板の危機感と、いま「原理日本」を発見する意味がよく分かった。公演は26日まで続くが、入場券はほぼ完売のようである。何とか入手して観て欲しいのでこの感想を書いた。(2017/02/20)