テント日誌2月24日…3月3日は「アベ政治を許さない」一斉行動の日
- 2017年 2月 26日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
- 14時~16時 東電本店前
- 16時15分~16時45分 JR新橋駅前
経産省前テントひろば1807日後
結構いろんな人が寄って行く座り込み現場 2月22日(水)
日差しは柔らかく暖かくなってきているけれど風が冷たい。
座り込み場所を設営しているとき、警官がきた。「いつまでやるんですか」などと言うか言わぬうちに去る。
乱さんが来た。楽しく話してから裁判の傍聴に行く。
小学生が「霞が関」界隈の見学か。しかし急いでいて、先頭の先生をはじめ足早なので、「経産省と座り込み」の関係を説明する間がなかった。
通りがかりのサラリーマンがカンパをしてくれた。頑張ってくださいと言ってくれた。
また、前にもテントにきたという人が挨拶していかれた。
また、「旗なんかたてて何をしてんのかー」と思ったら、「なんだ、ここが経産省か。なるほど」と思ったという人が経産省批判していった。
外務省の委員会を傍聴してきたKさんが、国連人権規約、国連の人権救済制度について話してくれた。話は多岐にわたり、約1時間、レクチャーしてくれた。2時過ぎに、ちょうどそのレクチャーが行われているとき、元双葉町町長の井戸川さんが友人の方と通られた。これから裁判所に用事があっていくのだそうだ。井戸川さんはKさんと知り合いで、前に原発の非人道性、救済についてジュネーブに訴えに行ったとき、一緒になったという。Kさんはそのときは「日の丸・君が代」問題で訴えにいったそうだ。井戸川さんは「寒いから気をつけて」と言ってくれた。そのあと、AとBはお弁当を食べる。結構冷えて、手先が冷たくなって、カイロを使う。
3時前にCさんが寄る。いままで、規制委員会の傍聴と抗議をしてきたという。今日の規制委員会で大飯原発2基の再稼働を認めたそうだ。また、鹿児島県の知事が、原発再稼働反対で知事に当選したのに、再稼働賛成になったそうだ。何たることだ!!Cさんは、「これから共謀罪反対で、公明党へ『共謀罪に反対して』と呼びかけるために「信濃町」に行くそうだ。みんな忙しく闘っている。
3時を回ったので、遅番にバトンタッチして帰る。遅番は3時~5時で、日も陰り、寒くなって大変だ。(T・I)
大噓の看板を外さない経産省 2月23日(木)
本日も、八王子からKさんが「君が代」解雇をさせない会、都庁前通信のチラシを都庁前で配布をした後、寄って下さり地裁の公判傍聴の間まで座り込んでくれました。いつものように、お煎餅の差入れもありました。筑波より車椅子で来られた男性が短い時間でしたが、ご一緒され数千円のカンパも頂きました。
本当に、元気がでます。
今日、国会記者会館前で行われた抗議行動、大阪・豊中市の私立「瑞穂の國記念小學院」(寄付金を募った際の名称は安倍晋三記念小学校)評価額9億5600万円の国有地を実質200万円で手に入れた事を、マスコミはまともに報道をしろという緊急行動であったようです。
その行動に参加された人達が6名も次々と訪れて現在のメディアの情けなさを、つくづく嘆いておりました。その後地方より来たと思われる陳情団風の御一行様20名位が座り込んでいる後方に、バスを止めゾロゾロと降りてきて、経産省に入る前に朱書きの『重要なお知らせ』をみて何やら話し込んでいたので、その立て看板に書いてあることは『大嘘』です、経産省は『大嘘つきです』と思わず大声を出してしまった。すると皆さん門扉の所でこちらに振り向いたので、再びそこに掲示されているのは『大噓』経産省は『大噓つきです』と声を上げた。それにしても、あの立て看板を見ると無性に腹が立つ、早く何とかしたい。
座り込みのセットを片付ける時は6名、延べ人数は16名でした。(Y・R)
プレミアムフライデーは抗議行動を! 2月24日(金)
12時から20時前まで座り込みを続けたが、北風が吹き続けてとても寒かった。寒暖の激しい中、風邪などひいて座込みに参加できない人も多い。みんな無理しないように。珍しく、昼にも午後にもテレビ取材が来た。いよいよNHKも経産省の「嘘」を報道する気になったか、福島避難者への支援打ち切り問題の取材かと思ったら、何のことは無いプレミアムフライデーの取材だそうで、本館前にテレビカメラが並んで、経産省職員が出てくるのを待ち構えた。それでも、福島出身の記者が私たちの行動に理解を示した。(T.K & O.R)
17時からの抗議行動では、Fさんが使用済み核燃料問題を論じた。「日米原子力協力協定と日本のプルトニウム政策国際会議2017」を終わって駆けつけた3人が報告。~重要な国際会議に経産省が参加しなかった、核燃料の再処理・サイクルが技術的に経済的にも完全に破綻、プルトニウム政策は放置できない、エネルギーセキュリティの観点で再生エネルギーこそ最もすぐれている、六ヶ所再処理を止めるべき、日本学術会議の提言を生かして使用済み核燃料について国民的議論を~。
テント日誌編集長Mさんも、敗血症原因の療養を終えて元気な姿を見せ経産省に語りかけた。その後、寒空ながら、首相官邸前でも首相官邸裏でもそして20時からは国会正門前でも抗議行動が行われた。プレミアムフライデーに多くの人々が虎の門・霞が関・国会周辺に集まると良いのだが…。セッティングも片づけもF車で大助かり。(K・M)
春の片鱗が感じられるこの頃だが 2月24日(金)
出掛けにいい匂いがするので引き寄せられて行ったのが、近所の紅梅の木だった。そこではつがいのメジロがいた。そのしぐさというか、振舞いに見とれていた。春を実感させられる。そういえば明後日は2月26日である。80年前の2・26事件は未だに人々の記憶に残ってはいるが、テントのある時、テントから雪をみていたこともあるがまだ寒さの強い印象もある。このまま、一直線で春がやってくるのではないだろうが、春の方に歩が進んでいることはたしかなのだろう。病み上がり身でそろりといというころもあるのだが、恒例の経産省前の抗議行動に出掛けた。メンバ―に会いたいという思いが強かったこともあるが、3・11が近づくなか、経産省などに対する怒りが無性にあるからだ。
原発事故の収拾の目途も絶たず、あの事故に対する反省というか、深い検討もなく、原発再稼働を急ぐ。それも国民の前にその理由や根拠を語らず、自分たちの決定が正しいという独善的な振る舞いをやってのことだ。国民や市民などは、時間が経てば、権力の所業に「泣く子と地頭には勝てない」というように諦めるとでも思っているのか。国民には適当な対応をしておけばいい、おれたちが決め判断することは正しいのだという、連綿と続く日本の権力(官僚)の歴史のうえにふんぞり返っての所業が腹立たしい。僕らはあきらめずに、抗議の声を続ける他はない。諦めないことが闘いだという合言葉は本当の事だ。
僕らは経産省の敷地の一角にテントを存在させていた時期も、その強制撤去後の座る込みやスタンディングなどでの抗議行動になっても、経産省や国側の所業というか、行為決定の形態を見て来た。それは透かしえのようによく見える。それが日本の権力の存在様式を基盤にした歴史的なものであることも。経産省や国が国民の委託としてある偽装の背後にある本質を見て来た。それはよく見えている。原発再稼働や存続に対する国民の声や意向を無視し、ことを進める彼らのありようは江戸時代の確立したアジア型の権力のありようであつて、憲法体制という近代的な制度は偽装に過ぎない。
何故、理由も根拠も明らかにせず、権力は独善的な所業をなすのか。誰もが原発再稼働の動きの中に見てきた事態は戦争への動きにもある。何故に、南スーダンで自衛隊は戦争をするのか、その理由は何か、その根拠は何か。何も明確ではないし、明瞭にされていない、国家(政府や官僚)が戦争を意志的にやろうとしていること、それに踏み切ろうとしていることだけは明確である。憲法の前文で語られている政府の勝手な行為としての戦争に踏み込むこと、それが国家主権の回復であると政府(安倍政権)が考えていることを僕らは知っている。その決意していることを僕らは知っている。しかし、彼らは今、何故戦争に踏み切るのか、その理由を語れない。だが、それをやる準備をしている、それは自分たちの意志や判断が、国民の意志や意向を無視しえるという官僚的な国家主義的な考えを受け継いでいるからできることだ。共謀罪という法案はその行使をスムーズにやるためのものに過ぎない。戦争が自由で民主主義を抑圧し、超権力をうみだして行くことは必然である。どこでも出てくることだ。戦争と権力の超権力化は表裏一体のものだ。
権力の動きは透かしえのように読み解くことはできる。問題はそれに抵抗し、闘う主体の道をなかなか構想しにくいことだ。これは止む得ないことだが僕らはその分、孤独感や孤立感の中に立たされる。だから、権力と闘うことは内面的にこうした負荷を負わされる。一人一人はこういう課題をひき受けさせられる。これは結構、厳しいことだ。けれどもこうした道を通してしか展望は出てこない。愚痴はよしたいところだが、それが現実だ。経産省への抗議の行き道や帰り道が軽い気分になるといいのだが、と思う。春と共に少しでもそうなるといいなあ、と思って経産省前にやってきた。(三上治)
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3月3日は「アベ政治を許さない」一斉行動の日です。13時、国会正門前でもおこなわれます。
・3月3日(金)午後5時から経産省前抗議行動。テントひろば主催
官邸前抗議集会は6時から 首都圏反原連
・3月4日(土) 子どもを被ばくから守ろう! 住宅補償の継続を!
第8回新宿デモ。アルタ前1時アピール 2時デモ
3・11(土)は東日本大震災から6年目です。メディアなどでいろいろと取り上げられるようになってきましたが、経産省前テントひろば含めてもいろいろの事が予定されています。テント日誌でも紹介して行きます。注目していてください。
3月11日(土) 追悼と東電抗議 第42回東電本店合同抗議
沖縄からの通信2月24日 S/M
昨日のことですけど、凄いことがありました。FBの「お友達」が仕事を休んで宮古島にすっ飛んで行ってくれました。宮古島は市長選のあと用地取得攻撃が強まっている中ですから、相変わらず孤立したたたかいを強いられています。そんな中に若い女性が二人で『標的の島 風かたか』を見て飛んできましたとしいうので、「てぃだぬふぁ」の人たちはびっくり。すぐにみんなに連絡をとってミサイル基地など宮古中を案内してくれたそうです。
その「お友達」が、なんと読谷まで私に会いに来てくれました。「お友達」と言ってもFBの中でのことで、「リアルに会う」というやつです。40歳代の女性4人で、話はFBの中でしていますからすでに共通の話題があるので、昔からの知り合いと何ら変わらなく話がすごく盛り上がりました。
2人が宮古島に「てぃだぬふぁ」など自衛隊反対の人たちに会いに行って2泊した後、東京から那覇でもう2人が合流して4人になって辺野古に来ていました。こうやって2~3カ月ごとに休みをとって辺野古や高江にきているのだそうです。片道3千円で来れるからと言っていましたが、別れた後で高江のテントに泊まるのだといって帰っていきました。わざわざ辺野古から読谷に会いに来て、高江のテントに行って泊まって次の日に辺野古をたたかって帰るのだそうです。
この4人は、どこかの党派の活動家ではなく、4人のうちの一人は全国一般の執行委員でしたが、3人は普通の市民です。それが、ビックリするような形で本土にいながら辺野古や高江をたたかっているわけです。FBなどSNSだけで繋がって連絡を取り合っていろいろと活動をしています。私にとってはビックリするような話ばかりです。つくづく、時代が変わっているのだと知らされました。
なぜ会うことになったかというと、2月28日の議員会館での宮古島、石垣、与那国、奄美大島の代表が自衛隊配備反対の政府交渉があるので、その支援をお願いしようと思ってのこととでした。議員会館での報告会に誰もいないのはあまりにも申し訳ないので、彼女たちに声をかけられるところに声をかけてもらおうとお願いしようと思っていました。私は20人も集まればいいと思っていましたが、彼女たちはもうすでに考えていて、会場は140人なので満員にすると言います。それくらいはできるのだと言います。
彼女らは、東京MXテレビ「 ニュース女子」の沖縄ヘイトに対して、すぐに抗議の行動を起こした人たちです。彼女たちが言っていたのは、3人が動ければなんとかなるのだそうです。SEALDsが注目されていたこともありましたが、SNSが宣伝や連絡のツールになって、世の中を動かしていく時代はもう始まっていることを知りました。私などは、もう時代遅れの口先だけの、なんの役にも立たないおっさんでしかありません。政治も、一部の政党や党派のものではないことも明らかになりましたし、もう時代は、SNSで情報を発信し、自分たちの頭で考え、共有しあい、議論しあい、すぐに行動する時代として幕が開いているのです。そこには、すごい人たちが育ち、登場していました。いや~!!!感動しました。
自衛隊問題というのは、これまでの安保とか防衛問題についてパラダイム転換を迫る問題です。沖縄戦を経験した沖縄でさえ「安全保障」とか「防衛」などというと賛成してしまうという問題があります。沖縄戦に対しては100人が100人ともNOというのに、「安保」や「国の防衛」などと言われると半分は反対できないという問題です。これを100人が100人ともNOと言わなければ自衛隊との戦いは敗北してしまい、「第二の沖縄戦」が避けられなくなります。そのためには、なんとしても宮古島、石垣、与那国、奄美大島で勝たなければなりません。私が、自衛隊問題に必死になっている理由がここにあります。
『標的の島』編集委員会編に掲載されている三上智恵さんのプロローグがプレ公開になりました。凄く説得力のある素晴らしい文章ですのでぜひともお読み下さい。
『標的の島-自衛隊配備を拒む先島・奄美の島人』(三上智恵-プロローグ)
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