トランプって何者だ 大統領就任演説から
- 2017年 2月 27日
- 評論・紹介・意見
- 三上治(ちきゅう座会員)
- トランプ大統領の就任と就任演説
トランプって何者だ 大統領就任演説から
●「予測不能な超大国」になるのか
これはもう誰もが枕言葉にするものだ。彼がまさか大領領候補になり、そのまま大統領になるなんて予想もしなかった、ということである。予想外という言葉も手垢にまみれた言葉になってしまった。そのトランプだが、1月20日に大統領に就任するやTPPからの離脱を宣言し、海外生産に走る自動車メーカをけん制するなどの行動にでている。またメキシコ国境に壁を築くことを命令するなどの選挙公約を実施している。口舌の徒ではないことを示そうとしているようにみえる。
東京新聞はトランプの大統領就任の翌日の新聞(1月22日朝刊)で「予測不能の超大国」という見出しを打っていた。しかも一面である。トランプ新政権がアメリカを、世界を何処に導こうとしているのか予測が不可能であり。それには希望というよりは不安が伴っているように見えた。
トランプの登場を世界の動きから予測していた時評家にエマニエル・トッドがいる。彼は大統領選におけるトランプの勝利を予言はしていなかったけれど、大統領候補にはなれなかった民主党のサンダースを含め、既存の政治に対する批判がかつてなかったほどでてきており、トランプの登場の必然を予測していた。イギリスのEU離脱が国民投票で勝利したことと同じとしている。サッチャ―とレーガンによってはじめられたグローバリゼーションと新自由主義が国民経済を荒廃と疲弊に追い込み、その提起國たるイギリスやアメリカから脱退を宣言された、ということだ。そのキー概念は国家であり、国家の介入によるグローバリゼーションの批判であり、修正である。保護貿易と移民制限はその象徴的な言葉である。それがイギリスやアメリカから出てくる事態になっている。
グローバリゼーションの利益享受者や支配層に対する激しい攻撃はどこか革命を思わせるところがあってドッキリさせられるが、国家の介入がはたして現在の経済の行き詰まりを打破できるのか疑問は多い。だが、それ以上にその派手な言動の割にはその主張が断片的でよくわからない、といこともあるようにおもわれる。「予測不能」という言葉にはトランプの政治的主張や構想が断片的で分かりにくいということもある。彼は政治的構想(理念)よりは行動(行動というパフォマンス)の人ということも多分にある。これから彼の言動を明るみにする資料は出てくるものと思われるが、さしあたって大統領就任演説をみる。
就任演説の前に就任の光景についてみてみよう。オバマ大統領の登場時とくらべられるが、歓迎の数は問題にならない。ただ、注目すべきは彼の就任に対する抗議と抗議デモの多さについてだ。これは誰もが否定しないことである。大統領のような政治権力のトップに就く人への人々の期待と希望を含めた評価はその人の見識と構想にある。政治家の生命は見識と構想にあるといえるのだが、それがあわわれる。見識とは政治信念や政治哲学といいかえてもいいことだが、それが現れるものであり、構想は政治理念が政策も含めてあるものだ。トランプの登場とともに批判が渦巻いたのは、逆にいえば思わぬ支持が出て来たのは構想の問題というよりは見識の問題だったように思う。
この見識の問題はマイノリティへの対応というか視線だったように思う。トランプは伝統的なアメリカの保守思想の持主であると推察されるが、無意識も含めた白人優位の思想がある。彼がアメリカ第一という時のアメリカは白人優位のアメリカであり、マイノリティの存在を多様性として相互に承認することを組み込んでいない。アメリカでの自由と民主制が戦後においてマイノリティ問題での差別構造が問われ、それを相互の承認として組み込む闘いをやってきたことは疑いない。公民権運動や女性問題は多様性の承認として、アメリカにおける自由と民主制の問題の変革を促してきたのである。白人優位のアメリカの伝統思想の根強さは想像以上に強いものだとしても、ここでのトランプの見識が問われたのである。この問題は今後も続くであろうがこの点は注視しておいていいであろう。これはEU諸国の移民問題にもかかわることである。
トランプの大統領就任演説をみてみよう。
この冒頭のところで彼はこう述べている。
「ただし、今日の式典には特別な意味がある。単に政権交代が実現し、権力が政党から別の政党へと移っただけではない。権力を首都ワシントンからあなた方国民に返還するのだ。あまりに長きにわたり、政府から恩恵を享受するのは首都にいる一握りの人々にとどまり、国民にはしわ寄せが及んできた。ワシントンは反映しても国民が富を共有することはなかった」(就任演説)。
これは国民主権の回復をいう極めて民主主義的な発言のように見える。デモクラテックにも思える。国民主権に対して国家主権を強調するのが右派の通例であり、ある意味でトランプもそうみられていたのだから、これはおやと思わせる。しかし、彼の言動を見ているとこの場合の国民は白人中心のイメージであり、移民問題や他人種問題を含めて国民なるものが問われてきた現在の問題を無視しているように思える。そういうことがついて回ってはいるが、国民が主体であるということが、どこまで本気に信じられているのか、という疑念があるがここまで言い切ったことは記憶しておいていいことだと思う。
「今日は皆さんこそが主役で、これは皆さんの祝典だ。そしてこの米国は皆さんの国なのだ。大切なのは、どの政党が政権を握るかではない。国民が政府を動かしているか、どうかが大切なのだ。」「その中心には重大な信念がある。国家は国民に仕えるために存在するという信念だ」(前同)。
これを文字通りに理解すれば文句のつけようのない考えだ。皆さんとか国民という言葉のイメージに関わるかもしれないが、これはアメリカ第一ということにも関係する。僕はここでふと民主党による政権交代時にこうしたセリフが民主党の幹部連中からは枯れれば、どうなっていたかと想像する。ワシントンという言葉でトランプが現わしているのはアメリカの支配層であり、権力者であるだろう。日本の場合は官僚層が巨大な存在としてあることをイメージしておけばいいのかもしれない。アメリカの官僚支配ということもある。
アメリカは政権交代で官僚層も入れ替わるから、抽象的に聞こえる。国民が政府を動かす、国家は国民に仕える、いい言葉だ。それは構成された国家(権力としての国家)に対する国民の不断の闘いが必要なことを意味する。主権が国家にではなく国民にあるというのは現実的には不断にそういう運動がある、ということだろう。僕は民主党が政権交代時に、選挙での支持だけではなく、大衆的な運動を(権力に対する不断の異議も仕立てをする運動)を自己の存続基盤にできるか、どうかとしてこの問題を見ていた。残念ながら当時の民主党にそうしたことを考えているような面々はいなかった。
トランプが大統領選挙を闘う過程ではこうした考えは力になった。これは選挙戦を彼が運動と表現していたことでもうかがえる。政府(官僚)や議会、それにつながる一握りの面々、いうなら支配層に中に乗り込みながら、彼の言うアメリカを変えることとしてこれはできるか。選挙戦では彼の考えを支える運動にあたるものを創り出していけるのか。この点は疑問も含め興味深いところだ。僕らはトランプの思想の如何にかかわらず、ここのところはよく見ておくべきだし日本の場合は官僚との闘いを含めて学ぶべきところは学ぶべきである。(メディアとの彼の闘いもこの関連でみるべきだろう)
アメリカの現状理解から 殺りくに終止符
「しかし、あまりに多くの市民にとって、現実は異なっている。都市の市街地で母子が抜け出せないでいる。錆びついた工場群が墓石のように国内のいたるところに散らばっている。教育システムに金がつぎ込まれても、若く優れた学生たちは知識を得ることができずにいる。犯罪、悪党、麻薬が多くの命を奪い、可能性の芽を摘んできた。こうした米国の殺りくは今ここに終わる」(前同)
ここに描かれたアメリカの画像は僕らにも何度も伝えられてきたものだ。緒大国のアメリカが新自由主義の下で格差を拡大し、彼が首都ワシントンというような政治的支配層やそれに連なる連中だけではなく、また金融経済のもとで富を集中してきた面々の対極で貧困と荒廃にあえぐ姿である。この現状の認識とそこからの脱却を志向することは当然である。サンダースが眼をつけていたものと同じである。ただ、ここで、この殺りくという状態にいたつたこと、その構造としてもアメリカ資本主義の展開について、とりわけ、1970年代以降のアメリカ資本主義(金融経済化)する動向についての認識がトランプには希薄な気がする。
かつて世界の工場と呼ばれる製造業の隆盛があり、重厚長大と呼ばれる産業が世界を牽引していた。僕らも栄光を極めたアメリカ産業が世界に輝いていた時代を知っている、マリリン・モンローに象徴される映画(文化)もこれらを背景にしていた。こうした産業や文化に支えられたアメリカの世界第一は誰もが認めていた。このアメリカ産業の衰退はトランプが殺りくとぶような荒廃としてある。貧窮化するアメリカだ。何故そうなったのか。ニクソン大統領のドル野金との交換停止は、このアメリカの産業経済(実体経済)の衰退を告げるものだった。ここからアメリカは、あるいはアメリカ資本主義の後のグローバリゼーションや自由主義を含めた展開がおこなわれる。これは基本的には金融経済と軍事経済への展開である。トランプも認めるアメリカの時代の衰退が進行しながらである。アメリカ経済は金融経済化の一方で、企業の多国籍展開がはじまり、産軍複合体制の強化と戦争(地域紛争から反テロ戦争)が深化する。ドルの金との交換停止以降のアメリカがここでトランプのいう殺りく状態をうんできたのだが、トランプにはこの展開の分析(認識)があまりないように思う。
戦後のアメリカは実体経済で世界の工場と呼ばれる一方でドルの基軸通貨制を保持してきた。基軸通貨ということは金に替わるものでもあったが、発行利得を保証するものだった。金とドルが交換可能であれば、矛盾はないが、その交換停止になれば、それは矛盾になる。基軸通貨の根拠を失うからだ。しかし、アメリカは基軸通貨制を維持した。それは世界がアメリカ国債を買い入れる形態ではあったが、その金でアメリカは消費(過剰生産傾向―不況の吸収)の役割をはたすものだった。だが、アメリカの産業経済は衰退と荒廃を与儀なくされた。ここには産業経済としては重厚長大の産業を中心にした高度成長(これはイギリスからはじまり、アメリカ、日本など地域的に移動する)後の産業経済の問題を提示している。アメリカは基軸通貨を軸にした金融経済と軍事経済の保持でこれに対応した。この矛盾は格差の拡大と殺りくと呼ぶ事態を生んでいるがその解決はトランプの提示している構想で可能か。そこが問題である。
「何十年間もの間。我々は米国産業を犠牲にして他国産業を豊かにしてきた。米軍の嘆かわしい劣化を招いた一方で、他国の軍に資金援助してきた。自国の国境防衛をおろそかにしながら、他国の国境を守ってきた。」「他国を豊かにしている間に、我々の富や強さ,自信は地平の彼方に消え去っていった」(前同)
これはアメリカを被害者として描がき過ぎている。これは産軍複合体制と軍事経済を維持し、金融経済の展開がアメリカの歴史であり、その展開のもとでアメリカに収奪や支配された他国のことがどこにもない。ここから、アメリカ第一ということが出てくるが、これまでもアメリカ第一という政策を取ってきたのであり、その認識が欠落している。僕はこういうトランプの認識ではこれまでの
表面から隠した帝国主義的政策(他国に支配と隷属)が露呈するように思う。アメリカ第一が意味した歴史についての反省がない。
そこでトランプは保護貿易も含めた自国産業保護での再生を構想する。雇用(仕事)の創出も含めてそれを政策の柱として打ち出す。ここは興味深いところだが、ここには現代の産業構造についての錯誤というか、無理解が横たわっているように思う。自動車産業などを呼び戻す政策が中心となってでてきており、日本との関係でも自動車をめぐる貿易摩擦が再燃する気配だが、歴史を逆回転させよとする試みのように見える。トランプの中には1970年代、あるいは1980年代までも、アメリカ像が強く、それ以降の歴史が含まれている。第二次産業経済による経済の高度成長は地域移動し、世界的にはその後の産業経済の創出が課題である。この中には農業などの再生が含まれ、第二次産業の再生も含まれる。しかし、それは貿易や産業の保護としてあるのか、可能か。僕は生活(生命)の再生産ということを基軸にした生産と消費の構造の転換(そこへの不断の展開)が求められているのだと思う。
トランプが他国援助に狂奔している間にアメリカ軍は劣化したと述べていることも含めた外交・軍事政策についても興味深い。9・11以降のこと、とりわけ反テロ戦争をどう処理するのかが語られていないが、ここは日米関係に強く影響する。日本の自衛隊の海外派遣と関わるところでもあるからだ。日米関係の問題については別に言及したい。 (1月27日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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