「Skagen(スケーエン)絵画鑑賞のすすめ」
- 2017年 2月 27日
- カルチャー
- 合澤清(ちきゅう座会員)
2月17日、あいにくの強風の中を上野の国立西洋美術館まで出かけていった。今ここでは、デンマークの近代美術(スケーエン芸術)展が開かれている。ユトランド半島の最北端に位置し、スウェーデンとはカテガット海峡で、またノルウェーとはスカゲラク海峡でへだてられたSkagen(スケーエン)という北海に面した小さな田舎の漁師町(芸術家村と称されている)に住んで、そこでの人々の生活を描き出した主に二組の画家の描いた絵画が飾られている。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/pdf/2017skagen.pdf
アンカー夫妻とクロヤー夫妻というのがその画家たちの名前である。無教養な私は、なんとなく薄らぼんやりと彼らの名前を聴いたことがあるという程度にしか知識がなかった。しかしある日、新聞の広告だったかなにかで、彼らの描いた絵を見て非常なショックを受けた。何という迫力のある画面だろうか。一気に引き込まれてしまい、何としても実物を鑑賞してみたいと思うようになった。そしてこの日の上野行となった次第である。
上野公園は有名な桜の名所だ。春ともなれば大勢の人だかりで、おそらくほとんど身動きもとれない有様に違いないと思い、2月の寒い時期ならば、空いているのではないかと思ってこの日を選んだ。この予想は的中し、Skagen(スケーエン)美術展および常設されている名画や彫刻(ロダンなど)をじっくり鑑賞することができた。
すぐ近くの東京都美術館では、高名なティツィアーノ展が開催されている。どうもこちらには大勢の客が詰めかけているように思える。実はこの日、出来れば両方を梯子しようかなどと欲張った考えも持っていたのだが、ここだけにしてよかったと思えるほど充実した内容であった。
私自身の興味や好みからいえば、アンカー、それもミカエル・アンカー(夫君の方)の描くものに特に魅かれた。彼の画材はこの漁村に暮らす漁夫たちの生活であるようだ。
もちろんそれ以外にも、「浜辺の散歩」と名付けられた作品では、華やかにドレスアップした(漁師のおかみさんらしくない装いの)、おそらくは避暑か何かでこの村に逗留しているのであろう、美しい5人の女性の優雅な散歩姿が描かれている。この絵は遠近がはっきりしていて、背景の空と海と、足元の砂浜、そして彼女たちの軽やかな薄手のドレスの色合いがうまく調和していて実に素晴らしい。また、物思いにふける先頭の若い女性、その後ろでおしゃべりに興じながらそぞろ歩く二人ずつ二組の女性たち。春霞のフィルターをかけたような透明感の溢れる画面にすがすがしさを感じる。
ミカエル・アンカー『海辺の散歩』(国立西洋美術館「スケーエン:デンマークの芸術家村」より)
しかし、何といっても彼の絵の魅力は漁師たちの日常生活の中にある。浜辺から海の方へ仲間同士助け合いながら漁舟を曳くたくましい漁師たち。潮風と厳しい労働で頬は引き締まり、経験を積んだ年齢相応にたくましい体つきをうかがわせる。着ている厚手の上着にはところどころほころびがあったり、継ぎがあたっていたりしている。「ボートを漕ぎだす漁師たち」と名付けられたこの絵には、彼らの豊かとは思えない日常生活、その生の声、内面の様々な思い、素朴な人柄や人情などが感じ取られる。
つい、ミレーの「落穂拾い」などの農村風景を描いた作品を想い出した。両作品ともに、ある種の静けさを持っている。ミレーの作品では農夫の静かな作業の音が聞こえるのであるが、ここでは波の音、風の音、また漁師たちの掛け声や吐く息の音などが、北海の寒々とした海浜に沁みとおり、吸収されていく静寂さがある。そして、農夫も漁夫もともに敬虔である。おそらく日常的に自然と直接対峙する生活ゆえに、その畏怖を最も強く感じているせいかもしれない。静謐な画面に漂うある種の緊張感はそのせいであろうか。
この絵以外にも、同じミカエル・アンカーの手になる「奴は岬を回りきれるだろうか?」というタイトルの海難事故を予測させるもの(この頃には、漁師は海難救助隊の役目も兼ねていたそうである)や、「漁網を引く漁師たち」などの傑作があり、いずれも土地の漁夫の実生活を潮の香り、魚の匂いと共に伝えてくれる。
ミカエル・アンカー『ボートを漕ぎ出す漁師たち』(国立西洋美術館「スケーエン:デンマークの芸術家村」より)
ミカエルの連れ合いのアンナ・アンカーのものにも、浜辺で収穫した魚を数人で分けている絵や、漁夫やそのおかみさんがたが浜辺にしゃがんで、牧師に説教を聞いている絵などの面白い作品がある。
また、ペーダー・セヴェリン・クロヤ―のものの多くはその妻を描いたもので、確かに美しいご婦人だったろうと思わせる諸作品である。「マリー・クロヤ-の肖像」では、若くて美しい彼女の横顔が愛らしく描かれているし、「バラ」と名付けられた作品では、マリーが大きいな薔薇の木などに囲まれた中庭で、リクライニングチェアーに腰かけて静かに読書している姿が描かれている。そのマリーも画家であり、「縫い物をする女性のいる室内」という作品は、なんとなくフェルメールの静けさを彷彿させる。
また、この美術館には、ロダンの制作した彫刻が沢山ある。有名な「考える人」をはじめ、ダンテの『神曲』の中の「地獄篇」を題材にした「地獄の門」や、「バルザック」、「カレーの人々」などがある。また絵画でも、ピカソやルノアール、マネ、モネなど、多くの作品を所蔵し、常設されている。ここで特に私の気を引いたのは、16,7世紀のフランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「聖トマス」という作品である。トマスとは、イエス・キリストの12人の使徒のうちの一人で、謎多い人であると伝えられる。インドの方にまで布教で出かけたとも、懐疑的な性格であったともいわれる。この肖像画は、そのトマスの苦悩(イエスは本当に神の子なのか?の疑問に)を見事に表現している。額のしわや槍を抱えてうつむいている様子など、まさに生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされて苦悶する人間のあり様をギリギリまで突き詰めて表現しているように思われる。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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