3・11ライブ案内とわが著書を語る 『無常の丈(たけ)―ノン・スケール―』
- 2017年 3月 8日
- カルチャー
- 末森英機
2011年連休明け、5月中頃から、被災地へ。ガテン系のガレキの撤去、側溝・屋内の泥かき、一時帰宅可の草ヌキ(ヒキ)、ボランティアベースなどの仮設テントでの写真洗浄。目に付いてやれることやれないこと、どんなに足でまといになろうとも、動きます。シャワーを浴びれないことや、山奥の廃校や資材置き場のコンテナに泊まったり。帰京時にコンビニの駐車場でドロドロのまま着替えたり。東京駅や品川駅に終電近くに集合して被災地まで乗ってゆくマジックバスは超満員。体の大きな外国人の若い人もたくさんいたなあ。
海岸清掃で出た骨は、はたして人骨だったかしら? 女性の太ももの骨は牛の骨によく似ていると、福島県警の鑑識課の方がおっしゃっていたっけ。南三陸で仮設住宅って言わないで。野良で生まれたイヌやネコの子をダンボールの箱に詰めて捨てる。わたしたちは仮設箱に捨てられたんだ。言葉もなかった。
2012年から、大船渡の「地ノ森いこいの家」の責任者、アントニウス・ハルノコー神父(当時、カトリック大船渡教会で主任司祭でしたか)との交流が深まる。「東京や大阪、九州では、どうして被災地が紹介されないのでしょうか? 被災地はここに暮らす方々にとって聖地ではありませんか」。このひと言に心揺さぶられ、〝被災地を忘れない〟をテーマにハルノコー神父、ギャリー・ゲステベオ神父、ボランティアベースのスタッフ、地元に嫁いだたくさんのすてきなフィリピンのお母さん、そしてその子供たちにもコーラス参加していただき、こころのこもったCDアルバムを制作・発信することが実現しました。東京から機材を持ち込み、大船渡教会の畳の聖堂で一発録音。夕立、蝉の声、赤ん坊の泣き声、港の音、潮のにおい、祈り、希み、すべての思いを詰め込みました。
2013年冬、画期的な出会いがもうひとつ。大槌のボランティアベースでの古木真理一神父(サレジオ会)。「おまえ、ここに音楽はこんできちゃくれまいか」「これからは歌だろう」。そして尊敬する、シンガー・ソングライターの中川五郎さん、よしだよしこさんにすぐに声をかけ、被災地ツアーが実現。復興商店街の店頭や軒先、特別老人介護施設や仮設住宅の集会所、歌えるとこならどこでも、歌うために生まれてきたようなふたりのシンガー、にこにこそれを満足そうに見守る古木神父、被災された方々も歌の相続人でしたね。昨年、古木神父は亡くなりました。「おまえが歌うとき、おまえのそばで、耳のうしろに手をあてているのが誰だかわかるか?」「フルキさんでしょう?」「キリスト・イエスだ」泣きました。すぐにまた会える気がする。『愛は来たときよりも、もっと美しく』大槌ベースの部屋に古木神父が張り出しました。ツアー続けていますよ。
2014年、福島・南相馬でコペルニクス的な愛を秘めた神父にお会いします。聖サベリオ会司祭、ダニエレ神父。まずひとを思いやる天才。昨年10月まで、マニラのマザー・テレサの施設で奉仕されて、いまはインドのどこかで。「神の愛の宣教者会」へお移りになるため、最終誓願式をめざしています。わたしも妻と、このマニラのカビテとノヴァリチェスの施設へ。スモーキーマウンテン(ゴミの山)に捨てられている、障害のある子供たちのお世話のお手伝いにゆきましたよ。ことしもゆきます。そこに暮らすブラザーや子供たち、そしてボランティアに来るナナイさん(フィリピンの若いお母さんたちのこと)のこの100万長者のほほ笑みは、神様から来ていますね。愛に生きれば、この愛の前に幸、不幸なぞなんだろう! そう思わざるを得ない。本当のフクインのしるしが。
ダニエレ神父とは、東京・山谷でも何回かホームレスの方々のお世話もご一緒に。あなとの言うとおりです「人生とは愛するということを学ぶためのほんのつかの間です」。ボランティアはそのものですね。ボランティアは「ありがとう」「めぐみ」「キセキ」その裏返し。何かするはずが、してもらっているという出会いです。出来事です。人の手と魂から生まれる、人の力こそ偉大です。
6年たちます。復旧と復興は違いませんか? 忘れることと前を向くことも違いませんか? いろいろな不幸のしるしがあります。わたしも思いました。被災地へ、マニラへ、山谷へ入らせていただくときに、お手伝いはできないかもしれない。でも応援はきっとできる、と。また、いつか戻ってきてくれる。意味がある。日帰りでも、一日でもいい。3日でも、一週間でもいい。意味がある。被災された方々にとって、捨てられた子供たちにとって、故郷を失ったホームレスのジジさんやババさんにとって。友達を連れて、家族を連れて、きっと、笑顔を連れて戻ってきてくれる。力の無さを、お互いに使う。ただただ喜びが満たされますように、ヨハネの福音書に高らかに歌われているじゃないか! 神さまには、はんぱなものはささげられません。全部か、何もささげないか?
「居る」そこに「居る」、そばに「居る」ということがこんなにたいせつ。富はそれだけ。喜びや悲しみ、苦しみに渇いているとき、立ち上がるまでそばに「居たい」。『時にはほほ笑むことが、難しいこともあるでしょう。そのときこそ祈りましょう』地の森憩いの家の玄関口の壁にはこのマザー・テレサの言葉が。
「主はこれを、荒れ野の地で見い出し、獣のほえる荒れ地で会い、これを巡り囲んでいたわり、ご自分のひとみのように守られる」(申命32:10)人間と神の間にかわされた最も古い約束があります。大好きです。聖書では、最初(いやさき)の言葉は「光あれ!」でした。その言葉が発せられれば、もう創造せざるを得ない。するともう、万象(ものみな)は、神さまの面(おもて)ですね。人が「居る」ということは、それ神さまが「居る」ということだし、人は神さまから出て、また神さまに帰りますね。わたしたちはつかの間です。「主のなさることは、すべて時にかなって美しい」とコヘレトにもありました。無常の丈。だから『主よ、きょうあなたは私に何をせよ、とお思いですか?』それから出かけられますから。被災地ヘ、マニラへ、インドへ、山谷へも。このポエム・エッセイ集と詩集ご一読くだされば幸い。
『粗末な小舟(カヌー)——ひとは愛することしか残されていない』四六版並製224頁1600円+税 パピルスあい刊
http://papyrus-i.co.jp/?p=4305
『光の楔、音の礫』四六版フランス装104頁1600円+税 港の人刊
http://papyrus-i.co.jp/?p=4305
3/11(土)末森英機+ 好男子・旭堂南湖(講談)+ナマステ楽団
場所:音楽と珈琲 ひかりのうま 新宿区百人町1-23-17 B1(旧キューピット)JR大久保駅南口改札出て右すぐ右30秒キューピット文字看板目印
http;// hikarinouma.blogspot.jp
時間 :1時30分会場
2時開演
入場料 2000円
詳細情報はhttp://papyrus-i.co.jp/?p=4314&preview=true
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0426:170308〕
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