東村山の正福寺散策と3.11反原発集会
- 2017年 3月 12日
- カルチャー
- 合澤清
東村山の古刹・正福寺を訪ねる
3月10日、天候は晴れていたが、朝の天気予報に反して風が強くて少々寒かった。天気予報を信じてダウンジャケットを脱いで外出したため、東村山駅に降り立った瞬間、風の冷たさにあわてて近くのショッピングセンターに飛び込んだ。
この日は明治大学のU先生と待ち合わせをして、東村山駅から徒歩15分ほどのところにある臨済宗の古刹、正福寺地蔵堂(1407年建立、国宝)を散策した。この寺は、元寇に対峙・防御したとして名高い、鎌倉幕府の執権・北条時宗(通称「相模太郎」)に所縁の寺だと言われている。国宝はこの寺の地蔵堂(建物)である。由来では、時宗が鷹狩の時に病に伏し、夢枕に現れた黄衣の地蔵菩薩に薬をもらい平癒したことで、そのお礼にといって地蔵堂を建立したのだという。しかし、時宗の時代は13世紀であり、この地蔵堂の建立は15世紀初めにあたる。およそ100年以上の時間差があるはずだ。しかし、そういう細かいことはこの際無視して、ありがたく拝観するのがよいだろう。この地蔵堂のなかには千体もの小さな地蔵が納められているそうだが、それは近隣の百姓や町民が長年月かけて寄進したものだという。「千体地蔵堂」という別名はそこからきている。
この地蔵堂のつくりは、典型的な禅宗様式(唐様式)といわれる。案外小作りではあるが、下から見上げた時、扇垂木の美しさを具えた屋根の、その曲線の美しさは現代の建築様式に勝るとも劣らずといった風格を持つ。屋根の先端が外に向かってピンと反り上がった形はすばらしいもので、脳裏に強く焼き付いている。波型欄間、花頭窓屋根を持つのもこの建築様式の特徴という。
ただ、すぐ横の墓地にならぶ墓石には「元陸軍○○」といった旧軍隊の階級が刻字されたものが多く、「靖国信仰」が思い出されて一抹の不安とやりきれなさを感じた。少なくともドイツでは、こんなにかつての戦争を懐かしむような「階級」や「戦功」などを露骨に示す墓や記念碑など、ほとんどお目にかかったことがない。日本で試みに、多磨霊園にいってみるがよいのだが、そこには麗々しく「元海軍大将元帥・山本何某の墓」や、さらにご丁寧に731部隊の記念碑とおぼしきものすら目につく。「アベシンゾー」「イナダ何とか」、「八紘一宇」という意味すら定かでないくせに、声高に国会でこれを叫んだ元タレントの女性などを思い浮かべて、おぞましさを感ずる。
U先生にはここ十数年間、大変お世話になりっぱなしだった。この日、彼の定年退職を祝ってこの近くの行きつけの居酒屋でささやかな宴をした。そのせいで少々深酒をしてしまった。楽しい一日だった。
3.11福島原発事故から6年目の国会前集会
前日深酒をしたせいで、少々二日酔いだったが、お昼過ぎには家を出て神保町まで行く。久しぶりに「いもや」で天丼を食べ、5時の集会開始にはかなり時間があるので、そぞろ歩きで国会前まで散歩する。「北の丸公園」は土曜日とあってか、かなりの人出でにぎわっているようだった。交通整理のスピーカーが大音量でがなり立てているのがお堀端の外側散歩道にも聞こえてくる。多くのジョッガーがすれ違っていく。九段の坂道の途中には維新の元勲の一人といわれる長州出身の品川弥二郎(子爵)の大きな立像が立っている。品川が書いた手紙が残っているが、それによると「玉(天皇)を相手(徳川幕府)に奪われるな」「こちらが確保しろ」と書かれているようだ。彼らが「王政(天皇制)復古」を、所詮はその程度にしか考えていなかったということがよく解る。そのすぐ近くに薩摩出身の大山巌が巨躯を馬に跨った像がある。薩長を仲良く並べているのであろう。
早々と4時ころには国会前についた。ほとんど人影がない。仕方がないので、国会図書館で待機することにした。この日の天気予報も暖かいはずだったが、やはり風は冷たい。国会図書館は土曜日は5時で締めるそうだ。国会周辺を歩く。やはりほとんど人が居ない。いるのは警備の警察官ばかりだ。議員会館の前を通り過ぎて坂を下った辺りで、幟や旗を見かけた。若者がスピーカーで「再稼働反対」を連呼し始めたので、こちらも歩きながら一緒に呼応した。国会正門前にはそれでも500人程度の人だかりができていた。若い女性が「レヴォリューション」という歌を歌っていた。ずいぶん前につくられた歌だそうだが、今でも立派に通用するというようなことをしゃべっていた。元経産省の役人だった古賀茂明氏も演台に立って演説していた。石油の値上げ、石炭の使用による公害多発、だから「原発再稼働が必要」との理屈を政府側は言い出すだろう。情勢はなかなか厳しい。しかし、例えば新潟などで原発を止めるために頑張っているのであり、光明はある、という。
光明のあるなしにかかわらず、再び原発事故を起こすなら、日本はおそらく壊滅状態になるのではないだろうか。そのためには何が何でも「再稼働」を許してはいけない、というのが私自身の強い思いである。原発事故はまず自分自身の問題である。同時に人々全員にとっての問題でもある。「他人ごとではないぞ」という言葉を何度もかみしめながら、寒い夕べをしばし立ち通した。せめて「北の丸公園」で花見をしている程度の参加者は欲しいものである。この日、日比谷公園でも加藤登紀子さんらが主宰した3.11集会が開かれていたことは後で知った。それにしても「経産省前テントひろば」がなくなったことは何とも悔しい。
今日(12日)の新聞では、約8000人ほどが集会に参加したようである。「継続は力なり」。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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