3/25現代史研究会:ご案内とレジュメ(トランプ大統領問題を考える)
- 2017年 3月 19日
- スタディルーム
- 研究会事務局
第299回現代史研究会
日時:3月25日(水)1:00~5:00
場所:明治大学・駿河台校舎研究棟2階・第9会議室
テーマ: 「トランプ大統領の登場の背景と今後を考える」(仮題)
講師:内田 弘(専修大学名誉教授):トランプ大統領登場の歴史的背景-《低賃金労働への世界平準化圧力》-
矢沢国光(世界資本主義フォーラム):トランプ「革命」の挫折――「軍産」の歴史的意味とパクスアメリカーナの崩壊
コメンテーター:加藤哲郎(一橋大学名誉教授)
青山 雫(ちきゅう座・経済学)
参加費・資料代:500円
主催:現代史研究会
現代史研究会顧問:岩田昌征、内田弘、生方卓、岡本磐男、田中正司、(廣松渉、栗木安延、岩田弘、塩川喜信)
トランプ大統領登場の歴史的背景
-《低賃金労働への世界平準化圧力》- 内田弘(専修大学名誉教授)
[1] 「トランプ登場」の歴史的背景
トランプ大統領候補は「賃金労働者の雇用を増やすこと」を選挙民に訴えて当選した。いま、アメリカでは「トランプとマルクス」という問題枠組みでも、トランプの登場の意義が論じられている。[1] 日本ではみられない問題枠である。
つぎの簡単な年表で、トランプ大統領登場の歴史的背景が基本的に分かるのではなかろうか。
1971年 金=ドル為替兌換制の停止
1972年 2月=米中の国交回復、9月=日中国交回復
1973年 1月ニクソン大統領「米中貿易に関する全米協議会」の設立。
6月D.ロックフェラー訪中=周恩来と会談(その後5回訪中)。
第1次オイルショック[産油国の産業革命のための資金獲得]
1975年 1月=周恩来「四つ(農業・工業・軍事・技術)の近代化」政策案
9月=ベトナム和平
1978年 中国の「改革開放」[現代中国産業革命:多国籍企業の資金・技術と
中国の安価な労働力・土地資源との結合][日本の1955-1973年の高度成長]
1979年 第2次オイルショック→欧米のスタグフレーション。Japan as No.1.
1986年 ベトナム「ドイモイ」採用 (米越の「工業化」協力関係樹立)
1988年 趙紫陽とミルトン・フリードマンの「開発独裁」についての会談
1989年 天安門事件 [日本の1960年の安保闘争]
2008年 北京五輪 [日本の1964年の東京五輪]
2010年 上海万博 [日本の1970年の大阪万博]
[ドル安=国際通貨への誘導としての金兌換停止] 1971年8月15日の兌換(1オンスの金=35ドル)停止は、[1]第2次大戦後の冷戦体制下の欧州日本などへの対外経済援助、[2]ベトナム戦争の戦費増大、[3]アメリカ国内の社会保障費の増大による財政赤字累積という「アメリカ一国の事情」だけによるのではなく、[4]むしろ積極的に「国際通貨としてのドル」を「安く誘導する」ために実施されたものである。[2] 米国ドルは「一国の通貨」であると同時に「国際通貨」である。この「二つの面は相互に否定し合う。ドルが世界中に散らばれば散らばるほど、ドルの経済的価値は低下する。しかし、米国の通貨政策や貿易政策によってドルを支えれば支えるほど、ドルの価値は人為的に押し上げられる。この逆説的な役割は、この先50年のあいだに、[アメリカの]銀行・FRB・財務省・ホワイトハウスのさまざまな政策決定を通じて貫徹することになる」。[3]
[米国バンカーの金兌換停止要求] 米国のバンカーたちは、平和主義者であるからでなく、ウィルソン以来の「自由貿易帝国主義と政治体制への非介入というドクトリン」から、ベトナム戦争に反対するようになり、「ドルを金に固定していたブレトンウッズ協定を捨てるようにニクソン[大統領]に迫った。銀行家たちにとってそのような制約はもう望ましいものではなくなっていた」。彼らは1960年代末までには、1960年代から始まった公共の利益や福祉などへの関心をかなぐり捨て、私的利益を追求するように変化していた。諸外国はドルを金に兌換するようになり、米国の「銀行家たちはドルの減価を歓迎する姿勢をとった。ドルの減価は資金コストを安くし、貸出業務を拡大できようになるからである」。そのような変化に対応して、米国のメディアも「一般国民の苦難を無視し、有力な金融資本家たちの富を報道するように転換してきた。[4] いまトランプ大統領が嫌う米国メディアの思想体質は、すでに1960年代後半以来のものである。
バンカーの要求に応えて、1971年8月15日、ニクソン大統領はテレビ演説で、ドル金兌換停止を宣言した。[5] ドルは、金による拘束から抜け出し、経済的剰余獲得を特に低開発国・地域で展開するために必要な資金を自由に創造できるようになったのである。
[FRBの金塊を見学] 本稿の筆者は、アメリカ連邦準備銀行(Federal Reserve Bank: FRB) のニューヨーク店の地下にある各国所有の金が金網で仕切られた内部の空間に積み重ねられて保管されている現場を見学したことがある。各国間の債権債務を決済するために、金を金網の間を定期的に移動させる。そのために、至極正確に金の重量を計測する大きな丸い目盛の秤が設置されていた。ピストルで武装した警備員に囲まれて、我々見学者がその即物的な現場を見たのは1970年3月のことであるから、金ドル兌換停止の1年半前である。
[2] 兌換停止の主要目的
そのアメリカ連邦準備銀行を創設するための法律がクリスマス・イヴの前日の1913年12月23日にあわただしく制定された。すでにその前年(1912年)に所得税法が制定されていた。その二つの法律制定の目的は、その1914年に始まる欧州大戦への戦費を拠出するための制度創設であるといわれている。[6]
①1914年6月28日にサラエボでフランツ・フェルディナンド大公暗殺→②そのわずか4日後の7月2日にウィルソン大統領とジャック・モルガンとのホワイトハウス会談→③その26日後の7月28日のオーストリアのセルビアへの宣戦布告=欧州大戦勃発→④中央同盟(独・オーストリア=ハンガリー帝国・オスマン帝国)と三国協商(仏・英・露)の両方への米国バンカーによる戦費融資([当時の通貨で]総計約200億ドル)→⑤1918年ベルサイユ協定による独の賠償金の戦勝国への支払い→⑥米国バンカーへの利子つき戦費返還。バンカーたちはこの戦争から巨額な利益を獲得した。
モルガンの「この大戦は米国にとって途方もないチャンスである」との言明が実現するように、米国バンカーは欧州大戦で巨額な利益を獲得した。戦争もビジネスである。このような経過をみると、欧州大戦は単なる偶発事故ではないことが判明する。「米国のバンカーにとってその政党が政権を握るかはほとんど関心が無かった」。バンカーたちの指令に従う大統領なら、誰でもいいのである。[7]
[バンカーたちの世界政策としての兌換停止] 1971年のブレトン=ウッズ体制の終焉も、米国バンカーたちの世界政策の目的を実現するために実施されたのであろう。その戦略とは、資本が多国籍化=国際移動し、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの低開発国で経済開発=「工業化」を推進し、米国国内よりも高利潤を獲得するための資金を自由に潤沢に調達する装置を創ることである。「高賃金=低利潤の先進国」から「低賃金=高利潤の途上国」への「資本の国際移動」のためである。アメリカからメキシコへ、中南米へ、中国へ、である。「資本の国際移動」は「労働力の国際移動(移民・難民)」と同じ効果をもつ。要点は「資本によるチープ・レイバーの雇用の実現」である。それが何処で(低開発国か先進国か)実現するかは問題ではない。先進国の国民の大多数の労働者の利益と資本の利益が明確に乖離しはじめたのである。
[バンカーの資金は中国に向かう] 兌換停止によって金の束縛から自由に創造されるドル資金は、なによりも中国の「改革開放政策」=「産業革命」のために準備されたのであろう。それを裏づけるのが、金ドル兌換停止のたった1年後の1972年のニクソン=キッシンジャーの米中国交回復である(上記の略年表を参照)。それを受けて、翌年早々、ニクソン大統領は「米中貿易に関する全米協議会」を設立する。同年6月D.ロックフェラー夫妻が訪中し、人民大会堂で周恩来の出迎えを受け会談する。訪中からほどなく、ロックフェラーは、チェース・ワールド・インフォメーション・コーポレーションから多額な融資を中国に実施する。その後5回も訪中した。周恩来は死(1976年1月)の直前、「農業・工業・国防・技術の四つの近代化」政策を1975年1月に発表する。
[現代原蓄=産業革命としての改革開放] 3年後の1978年に「改革開放政」が始まる。その政策は、中国の「安価な労働力」と「安価な土地」(各省に経済特区である輸出加工区)と多国籍化した先進国資本の「潤沢な資金」と「高度な技術」という「四つの原蓄要素」を結合し産業革命を推進するという形態で進行する。共産党独裁の中国国家は、イギリス名誉革命体制に対応する「原蓄政策国家」である。[8] 先駆国イギリスの場合とは異なって、現代の開発途上国の原蓄最終段階の産業革命は、多国籍企業と開発独裁国家との「国際階級同盟」で進行する。
とはいえ、かつての英仏日の産業革命の場合のように、現代的技術水準での中国産業革命も、技術的変化だけで収束しない。賃金労働者を中心とした経済的・社会的・政治的変革を孕み、かつ実現する。それは「第2次市民革命」である。
[3] 資本主義内の市民社会発展の三段階 -各国近現代史の類似性-
[ブルジョア独裁への制限の歩みとしての市民社会史] 21世紀までの近現代史の歴史的経験を考慮すれば、「市民社会=ブルジョア社会=資本主義社会」という等式は、「第1次市民革命」(次の文節を参照)までは正確であるけれども、「第2次市民革命」→「第3次市民革命」以後は不正確な等式であることが判明する。資本主義の内部のひとびと(市民)は、資本家・地主などのブルジョアジーの権力と利害を制限し自分たちの権利を拡充してきたのである。その歩みを本稿では「市民革命史」という。近現代市民革命史は、今日まで三つの段階で展開してきた。これは歴史的経験則である。典型的には、イギリスとフランスとの比較史で検証できる。[9] 市民によるブルジョア権力の制限に応じて、資本主義は変化してきた。資本主義は変革可能な有機体である。「如何なる変化もはねつける本質不変論堅持論では、今日の「トランプ現象の根拠」も分からない。
[第1次市民革命]「名誉革命」「フランス革命」という「ブルジョア革命」はブルジョアのための革命、「第1次市民革命」である。1789年のフランス大革命の「人権宣言」のいう「自由・平等・所有(友愛ではない[10])」はブルジョアの封建勢力に対する闘いの勝利宣言である。このブルジョア革命は、経済史的には「産業革命=相対的剰余価値生産体制の確立」を準備する「原蓄政策国家」を構築する革命である。マルクスは『資本論』でイギリスの例をあげて、「名誉革命体制=政策原蓄国家」という。
[第2次市民革命] しかし、産業革命はその進行過程で、それが単なる技術革新の出来事ではないことを示す。「男子労働者の権利(団結権・交渉権・罷業権)、民主主義、女性解放」という、ブルジョア社会を再編成する市民革命を生みだす。それは、ウィーン体制の封建的勢力の巻き返しを精算した、勤労者との「近代的な階級同盟」である「第2次市民革命」をもたらす。そのスローガンである、「所有と労働」を社会の基盤とする「自由・平等・友愛」は、1848年のフランス二月革命の成果=ブルジョアの歴史的妥協である(マルクス『資本論』初版序言やグラムシ獄中ノートでいう「受動革命」論を参照)。
マルクスは『資本論』初版序言で、「現存する[資本主義]社会は固定した結晶ではなく、可変的な、絶えず変化する過程を内含する有機体である。・・・その有機体の細胞が価値形態である」という。有機体である資本主義は姿態を変換する可変的な社会なのである。その変貌過程が資本主義における市民社会の再編過程である。マルクスは産業革命直後のイギリスをさらに変化する可能態であると観ていた。そのひとつに、イギリスの体制内改革の国民運動である「イギリス社会科学振興協会(1857-1986年)」がある。マルクスは『資本論』でその年次報告書(Transaction)に注目し引用している。[11] それはやがてくる「イギリス福祉国家」の母胎である。その福祉国家はファンドをインドなどの植民地からの巨額の剰余でまかなう「レントナー資本主義」である。マルクスが『資本論』で指摘したように、レントナー化は資本主義のヘゲモニー国家が没落する徴候である。その転換が第1次世界大戦(欧州大戦)である。ヴィクトリアはインドの女王でもあった(1876年に就任)。そのレントナー資本主義イギリスを批判したのが、「自由放任の終焉」を主張し、第二次世界大戦末期に「ブレトン=ウッズ体制」を創設したケインズである。[12]
[第3次市民革命] 「資本主義の権力と利権を制限する市民革命」はさらに続く。欧米の1920年代から本格化する「第3次市民革命」の社会的価値「女性・環境・少数者(移民難民)・障害者」がそれである。それは主にリベラル派によって担われ推進されてきた。
「女性(gender)」は、女性の参政権獲得運動を中軸に推進されてきた。女性の参政権獲得は、ニュージーランドが1893年、オーストラリアが1902年、ノルウェーが1913年、ロシアが1917年、オーストリア・ドイツ・ポーランドが1918年、アメリカの1920年、イギリスの1928年、ブラジルが1932年、トルコが1934年、フランスが1944年、日本が1945年、中国・インドが1949年、スイスが1971年である。[13] シモーヌ・ド・ボーボアール(1908-1986)は1944年の5年後『第二の性』(1949年)を刊行して、フランス社会の女性に対する保守性を批判した。市川房枝(1893-1981)は戦前の1919年の新婦人協会設立以来、日本の女性の政治参加権利獲得運動の担い手であった。
「環境(ecology)」は、日本の経験でみれば明治期の1890年頃からの足尾鉱山鉱毒事件から始まり、1970年代から全国的な問題として顕在化してくる。ローマクラブの『成長の限界』の刊行は1970年である。当時、長洲一二が指摘したように、岩波書店の『広辞苑』に「蝗害」はあっても「公害」の項目はなかった。すでに1953年頃に水俣病は発生していたが、当初は風土病などとして隠蔽されてきた。原子力発電はアメリカでもスリーマイルズ事故以後、衰退産業である。中国の特に都市の空気は現在も汚染されている。
「少数者(minority)」は先住民問題、移民難民問題などの形態で闘われてきた。キング牧師たちの奮闘によって、ブラック・ピープルの市民権獲得は南北戦争終結の1865年から99年後の1964年に実現した。日本のアイヌ先住民に対する「北海道土人保護法」(1899年)が撤廃されたのは、1997年の「アイヌ文化振興法」によってである。かつて西部劇映画で「インディアン」と呼ばれてきた人々は、最近のリマスター版の字幕では「先住民」に変わった。身体と心は一致しない少数者の社会的承認は始まったばかりである。辛(しん)淑(す)玉(ご)は、「部落と在日」について野村広務との対談『差別と日本人』(角川ONEテーマ、2009年)の「あとがき」で、「私がこの日本の社会にあっては、女だと自覚する前にいつも朝鮮人であることを思い知らされように、野村氏も、日本人である前に『部落民』であることを思い知らされてきたのではないだろうか」と述懐する。
「障害者(handicapped)」は、ヘレン・ケラー(1880-1968)の存在が大きなインパクトを与えて、市民権獲得の橋頭堡を構築した。ナチスの障害者大量殺戮などの歴史的経験への深刻な反省にたつ価値である。最近の日本での「やまゆり園事件」はその深刻な問題を再提起している。[14]
[4] 産業革命から「工業化」への政治経済学
[中国は「工業化」でなく「産業革命」を実現している] 第二次世界大戦後、すでに産業革命=原蓄の最終段階を過ぎ多国籍企業型資本主義になっていた米欧が「国際同盟」を結び、「国連=連合国(United Nations)」、国際通貨基金(IMF)、世界銀行など国際機関を創設し、国際政治の舞台では独立したアジア・アフリカ・ラテンアメリカに、「工業化」という名の「産業革命」を世界政策として展開する。
[工業化論の政治経済学]「工業化(industrialization)」という用語には、きわめて政治経済学的な意味が込められている。「産業革命」は単なる技術革新の出来事ではない。永続する資本主義的技術革新の開始である。世界性をもつ近代技術の担い手の「普遍的知性」は、労働運動・社会主義運動・民主主義運動・女権拡張運動を生みだす。これは歴史的に普遍的な経験である。[15] そのような変革要求を、政治権力で封じ込め、生産力のみを増大させ高利潤を獲得する。これが多国籍資本に仕える「経済学者」のいう「工業化」論の狡猾なねらいである。その限定に「工業化」を推進する多国籍企業と当地の開発独裁国との階級同盟が潜む。その限定を前提に、「高賃金=低利潤」の先進国から資本が「低賃金=高利潤」の果実を「約束する地」に移動し、そのため、先進国の労働者は失業しあるいは賃金低下の被害を受ける。[16] その極限にまで累積したその被害が、トランプ大統領を実現した力である。民主社会主義者サンダースが民主党の大統領候補になれなかったのでトランプに投票した者も多い。
[フリードマンの中国関与と天安門事件] 極めて注目すべきことに、「改革開放」政策開始の10年後の1988年、趙紫陽総書記とミルトン・フリードマンが「開発独裁」について会談する。[17] フリードマンは、ナオミ・クラインのいう『ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)』(2007) [18] の理論的リーダーである。インドネシア共産党撲滅のあと当国の政府顧問になった「シカゴ・ボーイズの父」である。[19] そのフリードマンが中国の改革開放の相談相手になっているのである。その会談の主題は「開発独裁の是認」であった。その会談では「政治的不安定化=危機には武力を行使する」という暗黙の合意があったではなかろうか。趙は鄧小平にその会談の報告をする。
つぎの年の1989年6月4日に、ショッキングな惨事「天安門事件」が起きる。趙紫陽はその事件の責任を負わされ失脚する。鄧小平は、外国資本が中国の経済開発に留まるためには、「政治的安定第一」であるとの信念を堅持し、躊躇することなく、民主化を要求する学生たちを武力で弾圧した。[20] 「中国型工業化」の邪魔者、つまり「弾圧すべき民主化要求」を抑えきれなかった責任を部下に負わせるマキャベリストである。「《一》(一党独裁)は好いが《三》(三権分立)はいかん」が彼の信念である。中国「工業化」による多国籍企業の高利潤の裏面で、先進国における「産業の空洞化」が進行する。それまで中産階級に位置してきた白人労働者が貧困化する。J・リカーズによれば、13年後の21世紀初頭(2002年以降)には、事実上、中国は金融政策をアメリカ連邦準備銀行に外部委託するようにまでなる。[21] 趙=フリードマン会談は一回性のものではなかったのである。
[5]《賃金か、ジェンダーか》という捩(よじ)れ
高利潤をもとめる「資本の国際移動」によって発生した「産業空洞化=先進国労働者雇用不安定化・貧困化=格差増大」という矛盾は、アメリカだけでなく、欧州や日本にも進行してきている。その鬱積していた矛盾は、2016年のアメリカ大統領選挙で一気に表面化した。その矛盾は、本年の2017年は欧州の一連の選挙や東京の都議選にも連動している。日本の極右保守派が推進する「国旗国歌を愛せよ」、さらには「教育勅語復活」の愛国教育政策は、日本にも根をはる資本主義の多国籍性=無国籍性(cosmopolitanism)を隠蔽する作為である。[22]
[米国における市民戦争] 今回のアメリカの大統領選挙は、トランプの「白人賃金労働者の生存権」と、クリントンの「女性・環境・少数者(移民難民も含む)・障害者」という価値との闘いである。その市民戦争は、市民革命史の系譜でみれば、「トランプの第2次市民革命」と「クリントンの第3次市民革命」との闘いである。(サンダースが予選で落ちたから)トランプを支持したのは、金融資本が展開してきた低賃金労働者の優先的雇用で雇用が悪化・不安定化した賃金労働者である。トランプの乱暴な放言と政策を批判するのは正しい。しかしトランプの動向のみに眼を奪われ、《なぜトランプが登場してきたのか、なぜその乱暴なトランプをなお支持する者がアメリカ国民の半数前後も存在するのか》という問題を熟慮しないトランプ批判は一面的である。
金成隆一によれば、[23] 工業資本の海外への移動で「ラスト・ベルト(錆ついた旧工業地帯)」のデトロイト郊外のトランプ支持者たちは男女とも、懸命に労働しつづけても賃金が伸びない暮らしで、「わたしは惨めである(I’m deplorable)」というロゴの書かれたシャツを着て抗議している。自分の置かれた事態を正面から見据えている。トランプの乱暴な発言の背景にある厳粛な事実である。[24]
[ヒラリーは危険だ] 『スノーデン』の映画監督オリバー・ストーンによれば、ヒラリー・クリントンが大統領になれば、「第3次世界大戦の可能性さえあった」とみる(『朝日新聞』2017年1月24日朝刊15頁)。ヒラリーの夫ビル・クリントンが制定した北米自由貿易協定(NAFTA:1994年発効)によって、突然米国の工場が閉鎖され労働者は解雇され、生産工程装置備品はメキシコに移動する。リベラル派も冷酷である。このような動向はアメリカで1990年代から明確になった。
[生存を脅かされる者の心性]「もう一つの事実(alternative fact)」・「ポスト真実(post-truth)」という真偽を弁別しない、それをどうでもよいと思う主張は、既成利益層(establishment)に対する鬱積した不満の表現である。第1次世界大戦の戦後処理であるベルサイユ会議を、病気のクレマンソー代わってウィルソン大統領が調整役を担い、米国のバンカーの利益をしっかり確保する。そのツケ(賠償金)を支払うドイツ国民は1920年代からルサンチマンを蓄積してきた。その心性を留学中の三木清は危ぶんだ。そのようなドイツ国民の類似した心性である。
[日米安保=文化安保]トランプ支持派は、《何を言うのか。我々はリベラル派のきれい事・正体を見破っているのだ》と確信する。トランプ派を「隠れトランプ派」に追いやってきた「リベラル派の洗練された手口」に対する荒々しいプロテストである。アメリカ東部のメディア・大学や西部のカリフォルニアのハリウッド映画の発する情報やイメージを中心にアメリカを見てきたので、トランプ候補を冷笑し、クリントンに女性第一号米国大統領の実現を予見=期待すると誤認した日本人も多いのではなかろうか。日米安保は《経済安保》であるだけでなく、《文化情報安保》でもある。[25] 戦時日本の三木清は1942年のフィリピン滞在経験から、《敗戦後日本のアメリカニズム》に気をつけようと注意していた。
[トランプの立ち位置] アメリカ中西部・錆び付く工業地帯の心情を背景に、たとえば、イギリスの「女性参政権獲得運動」の映画化である「未来を花束にして」(原名はSuffragette 女性参政権獲得運動家)の主演女優である、メリル・ストリープを愚弄する発言をトランプはおこなった。さらに「環境破壊」の懸念から停止されてきたオイルラインの建設を開始するという。「移民難民」を受け入れないという。これらは「第3次市民革命」の主題である「ジェンダー・エコロジー・マイノリティ」に正面から対立する。かつて「第2次市民革命」の主体であった「賃金労働者の雇用を増やす」という。トランプの立ち位置は明確である。トランプとヒラリー・クリントンの対立は、歴史的地層でみれば、「第2次市民革命」の利害と「第3次市民革命」の利害との対立である。資本が多国籍化し、途上国の低賃金労働者を優先的に雇用するようになったため、先進国の労働運動後退などでみられるように「第2次市民革命の地層」が崩壊しかけ、その上で「第3次市民革命の地層」が揺らぐ。これがトランプ登場の基本構図である。
[リベラルの多文化主義は多国籍企業の文化政策] アメリカの政治家は、リベラルも保守も、基本的に政治資金を出す多国籍化したアメリカ資本やメディアの利害を代弁する。特にリベラルは、低賃金でも喜んで労働する「マイノリティ(移民・難民)」の利益を代弁する。これは多国籍企業の利益と一致する。
大澤真幸は「トランプは階級格差からくる欲求不満を《外敵(移民や外国)》に転嫁しているだけだ」(『朝日新聞』2017年3月12日、11頁)を論難する。大澤はリベラル派の「多文化主義の敗北」を指摘する。しかし多文化主義が多国籍企業の「文化政策」であることに気づいていない。トランプのリベラル派批判は、TPPなどを推進してきた多国籍企業批判でもある。大澤のトランプ批判は表面的であり、これではトランプ登場の背景が分からない。
[トランプと習近平の同盟] 米国の多国籍企業は、TPPに代わる利益をトランプの貿易政策に確保しようと模索しているであろう。東芝を沈没させている米国企業ウェチングハウスは中国に40基の原発を建設している。トランプ大統領はそのウェチングハウスの債務保証をすると伝えられる。習近平は外国人労働者の格付けをして、低賃金労働者の中国への流入を規制し、トランプの移民政策に呼応する。ここでも「改革開放」以来の「米中の国際同盟」が持続し貫徹する。
巨額な利潤を内部留保する日本の資本も含めて、資本はもう労働者に「高賃金」を支払うことはやめている。日本の労働者の非正規化もじわじわとすすんでいる(2016年で37%を超えた)。既述のようにアメリカでは1960年代の後半から、この傾向が始まっている。「低賃金=高利潤」こそが「グローバル化した資本の本音」である。その願望を実現するトップの経営者は巨額な役員報酬を獲得する。
[二つの市民革命の政治地理分布] 今回の大統領選挙では、コロラド・ニューメキシコの2州を除く中西部と、前回の大統領選挙までリベラルの地盤であった「錆ついた旧工業地帯」の選挙民の多数はトランプを支持した。これは「第2次市民革命」の担い手の利害を表現する。アメリカ東西の両海岸地帯の多数の選挙民は、リベラルの社会的価値を代表するヒラリーを支持した。[26] これは「第3次市民革命」の担い手の利害を表現する。この利害は、ニューヨーク・ワシントンのメディアやハリウッドの利害と一致する。米国のメディアや映画は、米国の賃金労働者の窮状を無視・軽視し、リベラルな価値を優先的に表現する。これは国際化した資本の利害でもある。日本に入ってくるアメリカに関する情報はほとんど、リベラル・アメリカの利害の観点から採取された情報である。
[6] 《低賃金労働への世界的平準化》としての世界資本主義の形成
国際金融資本が展開する地球大の低開発国・地域における「低賃金労働」による産業革命がトランプを登場させた。現代中国の頻発する抗争も、「改革開放」=産業革命がもたらす民主主義の要求と、それを一党独裁支配で押さえ込む権力との闘争である。工場の煙突からもくもくとあがる黒煙でぜんそくになった子を持つ母が訴えても、官僚の冷淡な対応が続く。「人民」の生存権を守らない「共和国」とは何か。現代中国は「第2次市民革命」と「第3次市民革命」の二重革命の直前にある。そのポテンシャルは激震となろう。
[ウォール街のトランプ・シフト] しかもトランプ大統領の登場で注意すべき点は、トランプがウォール街の利害代表を閣僚に抱えていることに代表される動向である。《クリントンからトランプへ》と金融資本は《トランプ・シフト》、鞍替えしている。政治事象の背後で展開するこの深部を観察しなければならない。大統領は、バンカーにとってどの政党でもよいのである。
「トランプ現象」は、「低賃金労働への世界的平準化」への反動である。例えば、現在はメキシコの賃金はアメリカの6分の1である。資本と労働との国際移動がさらに進めば、4分の1へ、2分の1へと平準化する。メキシコの労働者によっては改善であるが、米国の労働者にとっては悪化である。その悪化への危機意識がトランプを大統領に押し上げる。米国の「第二次市民革命」の成果である「高賃金=ミドルクラスの生活」の解体への危機意識がもたらす激震である。その激震に連動し「第三次市民革命」の価値も試練に立つ。人々は二分され抗争しあう。
[『資本論』の市民革命像]『資本論』は、三段階の近代市民革命史のなかに位置づけると、その意義がより明確になる。マルクスは「第2次市民革命」の結果を19世紀後半のイギリスで観察しつつ、「第3次市民革命」を予感していた。『資本論』の論じる問題群は、「第2次市民革命」である「賃金労働者の現状と歴史」だけでなく、「第3次市民革命」である「女性児童労働(gender)、資源環境問題(ecology)、移民の国際移動(minority)」る。加えて、いまや「低賃金への世界的平準化」を推進する「金融資本の国際移動」をその初期形態で観察していた。
[7] 保守革命の拡大に如何に対応するか
いま、マルクスの考察枠を超えて、「第2次市民革命」の社会的価値と「第3次市民革命」の社会的価値が、深刻な市民戦争(内乱)の姿でせめぎ合っている。これが「ポスト-マルクスの現実」である。トランプ政権を規定するのは、
① 国際化したバンカーたち、
②「低賃金」をいとわない移民・難民を擁護するリベラリストたち、
③ そのリベラリストに対抗する没落旧ミドルクラス、
この三つの利害である。トランプ大統領が直面するのは、このアクターたちの間の「富の配分をめぐる抗争」である。この抗争はアメリカだけではなく、アメリカが先駆形態であるようなグローバルな事態となっている。
トランプ大統領の登場は世界史的転換の一環である。すでにイギリスはEU離脱を決定した。今年のフランス、オランダ、ドイツの選挙はEUの動向を決定する。ギリシャ債務問題を含めて、EUと国際金融資本との関係はどのようになっているか。日本でも、ヘイトスピーチ、公金タカリ疑惑などをめぐって、「もう一つの事実」「post-truth」が公然と跋扈している。数万人の難民申請があっても、日本政府は、ほとんど認定していない。バングラディッシュからの政治難民は原発労働に動員されている。トランプ現象は対岸の出来事ではない。
多国籍企業とその利害を代弁する保守派とリベラル派の政治家によって分断されている人々が、何を基準に如何に連帯するのか、ここに課題があると思われる。この課題は非常に困難であるけれども、その解決の先にしか、未来はない。世界資本主義は、このような課題をつきつけて、いま実現している。[以上]
[1] Jochen Bittner, What Do Trump and Marx have in Common, https://nyti.ms /2eAQ 5k0, 2017/02/21; Brian Becker, Marx explains why the ruling class does not want a President Trump, Liberation, https://www.leberationnews.org/marx-explains-why-ruling-class-doesnt…2017/02/21.
[2] ジェームズ・リカーズ『通貨戦争』藤井清美訳、朝日新聞出版、2012年、118頁を参照。本書はその金ドル兌換停止の経過を詳細に検討している。
[3] ノミ・プリンス『大統領を操るバンカーたち』藤井清美訳、早川書房、2017年、下巻、113頁。本書は、世界規模で金融を支配する米国のバンカーたちの積極的な行動を詳細に事実で裏づけ、20世紀初頭から現在までの米国銀行史の世界政策を詳述する。トランプ問題に限らず、特に現代史は、誰が(who)・何を(what)・何故(why)・何時(when)・何処で(where)・如何に(how)行ったのかを本書のように具体的に記述すること[5W+1H]が求められている。広瀬隆『日本近現代史』(集英社インターナショナル、2016年)、『ロシア革命史入門』(同、2017年)も、その求めに応える力作である。後者では、革命ロシアが旧ロマノフ王家などの人脈をつかい、特にバクー石油利権をめぐり「セブン・シスターズ」など欧米国際資本と連結している実態を「相関図」(234-5頁)などで指摘する。
[4] プリンス前掲書、123-144頁を参照。
[5] 佐藤栄作首相にはドル兌換停止公表当日の30分前(午前8時30分)に知らされた。
[6] ノミ・プリンス『大統領を操るバンカーたち』藤井清美訳、早川書房、2017年、上巻、80-81頁を参照。
[7] プリンス前掲書、89頁。米国バンカーはクリントンからトランプに鞍替えしている。
[8] 『資本論』第1部最後の原蓄論でイギリスを典型とする原蓄論とマルクスの同時代のアメリカの原蓄(近代植民理論)が接合するように、アメリカなどの多国籍企業の「資金・技術」と中国の「安価な労働力・土地」の四つの原蓄要素が中国現代原蓄として接合する。
[9] 詳しくは、内田弘「略年表・比較近代市民社会史」(内藤光博編『東アジアにおける市民社会の形成』専修大学出版会、2013年、33-37頁)を参照。
[10] 高木八尺他編『人権宣言集』岩波文庫、1957年、131頁を参照。
[11] その年次報告書は、雄松堂から復刊されている。
[12] メイ・プリンスは、「ブレトンウッズ協定」は、通説がいうような、イギリスのケインズ案とアメリカのホワイト案との「妥協」でなく、アメリカのバンカーの利害を代弁するホワイト案を中心とするものであるとみる。プリンスの前掲書、上巻、272頁を参照。
[13] 本稿の[6]で論じる、イギリスの女性参政権運動の映画「未来を花束に(Suffragette)」は、貧しい洗濯女たちが女性選挙権獲得のために文字通り命を賭けて戦う姿を静かに熱く描く。その運動の指導者を演じるメリル・ストリープは、2016年の米国大統領選挙中、トランプ候補に「過剰評価されている(over-rated)」と非難された。不等な発言である。
[14] この問題については是非、西角純志「《津久井やまゆり園》障害者大量殺傷事件について考える」を参照されたい。
[15] 比較近現代史的な視座から、各国の近現代史を横に比較し対照すれば、各国の特性を媒介にして極めて類似した歩みを進行してきたことが判明する。
[16] このような開発経済学の動向に対して、G.フランク、E.ラクラウ、A.エマニュエルたちの従属理論が対抗する。フランクはピノチェトのクーデターのとき、大学で射殺された。
[17] 伊藤正『鄧小平秘録』文春文庫、2012年、上、53頁を参照。
[18] ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン-惨事便乗型資本主義の正体を暴く-』幾島幸子・村上由見子訳、岩波書店、上下巻、2011年。上巻の第2章で「フリードマンのショック・ドクトリン」が本格的に論じられている。本書もプリンスや広瀬隆の著書と同様、現代史を根拠のある具体的事実で詳細に裏づける。フクシマもショック・ドクトリンの標的になっていないだろうか。
[19] 米中国交回復の翌年の1972年5月に、ミルトン・フリードマンの親友、ジョージ・シュルツが財務長官に就任した。シュルツはバンカーの代表者リストンと親友であった。プリンス前掲書、下巻131-132頁を参照。
[20] 上掲書57頁を参照。伊藤誠は「天安門事件」の2年後の著書『現代の社会主義』(講談社学術文庫、1991年、294頁など)で、繰り返し「安定的で強い政府」という用語で、一党独裁の中国が経済高成長を実現した成果をもって「天安門事件」を容認している。
[21] 前掲書ジェイムズ・リカーズ『通貨戦争』141頁を参照。
[22] すでにマルクス『経済学批判』に、貨幣を「中心」とし商品を「周縁」とするコスモポリタン的な世界市場像が書かれている。
[23] 金成隆一『ルポ トランプ王国』(岩波新書、2017年、111頁以下を参照。
[24] アメリカの人々の建国以来(1945年ごろまで)の歴史については、レオ・ヒューバーマン『アメリカ人民の歴史』小林良正・雪山慶正共訳、岩波新書、(上下)、1954年を参照。
[25] 例えば、テレビ⑤チャンネルの午後9時55分からの「報道ステーション」は、開票直前のニューヨークから、願望混じりの「ヒラリー当選」を予見するコメントを流した。それを反省してか、最近トランプ支持層の多い米国の現地からのリポートを実施した。堤未果が『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書、2008年)以来、サンダースやトランプを押し上げるアメリカの潜在力を報告していた。ひとは使い慣れた眼鏡は容易には外さない。
[26] 前掲書、金成隆一『ルポ トランプ王国』x-xi頁を参照。
「トランプ革命」と政治経済学の再構(要旨) 矢沢国光(世界資本主義フォーラム)
トランプ「革命」の標的としての 「ワシントンD.C」とは? 「軍産」とは? はたまた「アメリカ第一主義」とは? 「世界の警察官をやめる」とは?
これらを理解するためには、
資本主義経済が政治権力(「国家」)との結合をいかに形成してきたのか
を、資本主義経済と戦争の世界史の中であきらかにしなければならず、そのための「政治経済学」の構築が問われている。そのカギは「戦争」にある。戦争が資本主義経済と軍事力を結びつけ、戦争が近代資本主義国家を作り出した、という視点から世界史を見直すことだ。
戦争の目的・態様は、資本主義経済の発展とともに、どのように変わったか。商船の強奪・海上覇権の確立、領土の拡大、地政学的な安全保障と勢力均衡策、…。二度の「総力戦」と破壊力の亢進によって、戦争が「勝者・敗者の区別なき人類の大量破壊」をもたらすものとなった今日、国際政治における戦争の意味もまたあらためて規定しなければならない。
そのための突破口は、イングランドおいて1688年名誉革命後に形成された「財政=軍事国家」(ジョン・ブリュア)にある。
名誉革命によって国王権力にとってかわった議会権力は、国王の王室「家産」財政に代わる国家財政を構築した。その眼目は、戦費の調達が「国王の借金」から「国家の借金」つまり国債になったことであり、低利の外債発行を可能にしたのは、創設された中央銀行(イングランド銀行)を要として国富による国債の償還システムが形成されたことであった。これがイングランドにおける「財政=軍事国家」の成立である。
これは、世界商業的資本主義が「国家」によって、統一通貨と単一市場を持つ「国家経済(国民経済)」へと囲い込まれる過程でもあった。
財政=軍事国家としてのイギリスは、18世紀、強国スペイン、フランス、ロシアとの戦争につぎつぎと勝利を収め、工業の発展に裏付けられた海軍力を構築し、ナポレオン帝政を打倒して、19世紀初頭にはパクス・ブリタニカとなった。
では、イギリス以外の中核諸国はどうか?16世紀の強国スペイン、フランス、オランダは、それぞれの事情によって、あるいは財政=軍事国家になる前に衰退し、あるいは弱い資本主義経済国家となった。
後発のドイツ、日本、ロシアは、当初は戦争の勝利の果実を国民経済に取り込むことができたが、20世紀初頭の「総力戦」時代にその「富国強兵」路線はすでに時代遅れになっており、「国家の中の国家」=軍部の暴走が国家の破滅をもたらした。
アメリカが「国民経済」になったのはいつだろうか?19世紀後半、短期間の間に世界一の生産力を保持するに至ったアメリカは、中央銀行もまだなく、したがって「国民経済」にもなっていなかった。アメリカの資本主義経済が国家と結合したのは、ようやく1907世界恐慌の衝撃で中央銀行の必要性が認識され、1913年連邦準備制度が創設され、第一次世界大戦末期に参戦してからである。
パクス・ブリタニカの衰退によって、アメリカが戦間期のパクス・ブリタニカを支えることになった。また、世界恐慌へのニューディール政策が、アメリカに根強い反連邦主義を押さえて国家の財政政策を拡大した。しかしアメリカの本格的な「財政=軍事国家」の形成は、真珠湾を契機とする参戦――総力戦としての戦時経済――を通してであった。この戦時経済が第二次世界大戦後のパクスアメリカーナを築いた。
そのパクスアメリカーナが今や衰退から崩壊への過程にある。
「ワシントンD.C」、「軍産」、「世界の警察官」は、パクスアメリカーナの衰退・崩壊につれて、どうなるのか?
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study839:170319〕
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