日米新安保・共謀法体制の脅威
- 2017年 6月 20日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
平成29年6月15日、こともあろうにこの日に共謀罪法が正々堂々とは180度対極のやり方で参院において可決された。6月15日は、昭和35年・1960年安保闘争において故樺美智子が国会南通用門で悲劇的に闘死された日付だ。闘争の相手こそ安倍首相の祖父岸首相であった。
安倍首相は、二年前に日本国自衛隊をアメリカ合衆国軍事機構に集団的に包摂させる新安保体制、いわゆる戦争法体制を確立させた。明治維新の長州志士達は先ず第一に日本国の対欧米軍事的自立を目指した。長州出身の安倍首相がそれとは真逆の軍事的国策を完成させた。反長州的国家戦略が長州人によって完遂されたわけである。祖父岸信介もまた「じいの心まご知らず。」とあきれているだろう。
かかる日米安保新体制を国内的に支える柱が共謀罪法であろう。戦前の治安維持法は、先ず第一に共産主義者弾圧から始って、社会主義者、自由主義者、そして一般庶民の常識的振る舞いさえ非常時官憲の眼に怪しまれると、網の目をかぶせて行った。戦前の場合、治安維持法でもって弾圧する側は国体の大義を確信しており、また弾圧される共産主義者もプロレタリア革命の未来社会=共産主義の善を確信していた。人権不在の非道な弾圧であっても、弾圧と被弾圧の目的因は明確であった。
平成の末年、21世紀の今日の日本、象徴天皇制市民社会を根本から否定する社会的・政治的脅威は社会内部に存在しない。眞子内親王が一介の市民・常民・平民と恋愛結婚されようとする時代だ。こんな慶事が夢にも考えられなかった時代に起こった大逆事件や小林多喜二虐殺をイメージして、共謀罪法の悪質性を説くのは、レトリックに過ぎようか。その気持ちは痛いほどわかるが。
共謀罪法の恐ろしさは、日米新安保体制とのからみで運用された時に発揮されるのではないか。例えば、沖縄の海浜埋め立て米軍基地の拒否闘争。共謀罪法を運用する側の警察も検察も戦前の警察や検察が国体の大義を確信していたと同じ深度で日米安保新体制の「正義」を確信してはいない。しかしながら、新体制の転覆を阻止するために、要するに異国のために冷たくメカニカルに法を執行する事になろう。これこそ真に恐怖すべき市民的警察社会と言うべきか。
共謀罪法に反対する人々の書いた小冊子類を読むと、「オリンピックのためというウソ」が大書されている。私=岩田の目から見ると、衆参両院の勢力比からみて、所詮共謀罪法は熟議があったとしても本性を温存して可決されてしまう。それならば、安倍内閣が「オリンピックのため」を高々と全面に出して来たのを好機ととらえて、「その通り。オリンピック・パラリンピックのためならば、止むを得ないでしょう。賛成しましょう。そうであれば、オリンピックが成功裡に終了し、諸外国の選手団が帰国する日までの時限立法で行きましょう。それで不都合があれば、きちんと理由を示して下さい。」とする事も出来た。正々堂々とは90度異なる手法であるが、かかる危険な法律を恒久化させないで済んだかも知れなかった?!
5月下旬ポーランドへ出発する直前、「ちきゅう座」総会の講演会で熱血弁護士の共謀罪法反対の講義を聴いて、討論の終了後、弁護士先生に個的に私の時限立法案を伝えておいた。また「ちきゅう座」の新編集長に電話して「オリンピック向けを真に受けて、時限立法化」の私案を伝えておいた。帰国後6月12日、日本独立国士M・K氏の研究会終了後、氏と出席していた前貿易商社マンK氏が全く同じ時限立法案を話し合っていた。自分達の媚米拒絶の愛国主義運動こそ共謀罪法の最初の適用対象になり得ると言う政治本能的予感があって、理論斗争による修正よりも実質廃案策を考えたのであろう。今となれば、将来の廃法を堂々と目指すより他なし。
平成29年6月19日(月)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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