資本主義的国民経済の成立と原理論・段階論(上)
- 2017年 6月 21日
- スタディルーム
- 矢沢国光、世界資本主義フォーラム
- 主催 世界資本主義フォーラム
- 日時 2017年6月24日 午後2時~5時
- 会場 立正大学大崎キャンパス 9号館5階 951教室
- コメンテーター 吉村信之(信州大学経済学部、経済学原理論 経済発展段階論. 現代資本主義分析)
- 【報告1】矢沢国光: 「国民経済」の成立と原理論・段階論
- 【報告2】青山 雫: 貿易論:中国との貿易でアメリカ産業の特に雇用面で受けた影響についてのMITの研究を参考に
*2017年6月24日世界資本主義フォーラム報告予稿
1 マルクスは世界商業の歩みの中から資本主義が生まれたとした。宇野弘蔵はこれを引き継いで、商品経済の発展が資本主義社会をつくり出したとする:
…近世初期の西欧諸国における商品経済の発展は、スペイン、ポルトガル、オランダ等を中心とする国際的貿易関係として発展し、終にイギリスにおいては、生産過程自身をも商品形態をもって行うという、一社会の基本的社会関係の商品経済化をも実現することになったのであって、ここに初めて資本主義社会が形成されたのであった。[経済原論、岩波全書1964 6p]
では、なぜイギリスにおいて初めて、資本主義社会が成立したのか?宇野は、
…ブルジョア的生産様式の確立自身も、近世初期のスペイン、ポルトガル等を中心とする国際貿易関係の発展を背景としながら、結局スペイン、ポルトガルではなく、またオランダでもなく、イギリスにおいて初めて実現することとなったのである。
と述べるにとどまり、「なぜイギリスに」の解明は「経済学の原理論の規定を規準として行われる経済史的研究」に委ねられた。
宇野の言う「経済学の原理論の規定」とは、このばあい、商人資本から「生産過程自身をも商品形態をもって行う」産業資本への発展の論理とみてよいだろう。
2 宇野の論理は、次のようになる:商人資本は、共同体と共同体の間の価格差から利潤を得る資本形態であり、その内部に利潤の源泉を持っていない。それゆえ、「生産過程自身をも商品形態をもって行う」産業資本――賃金労働者を雇用する資本家的生産――へと発展する必然性があった。
では、イギリス以前のスペイン、ポルトガル、オランダには賃金労働者は存在しなかったのか?
オランダは織物業等においてイギリスをしのぐ工業先進国であり、その中には賃金労働者を雇用する「資本家的生産」もあった。オランダ商人の扱う商品は、ドイツからの木材、穀物、造船資材等だけでなく、自国の工業製品――賃金労働者による生産物――も含まれていた。生産過程の商品生産化のある・なしだけで、資本主義の成立・非成立を判断できないのではないか。
また、なぜオランダではなくイギリスに「資本主義」が成立したのか?何をもって「資本主義の成立」と判断するのか、あらためて問う必要がある。
結論から言えば、資本主義の成立の目安は「生産過程の商品生産化」ではなく、国家と資本主義経済(はじめは商人資本)の結合による「国民経済」の成立とみるべきだ。
以下、その理由を経済史に即してみていこう。
3 商人資本と国家の関係を見る上で、イタリアのベネチアとジェノバが参考になる。どちらも13-14世紀に台頭した北イタリアの商人都市国家であるが、フランス王権・ハプスブルク王朝・トルコ海軍力の台頭で都市経済の経営が困難になると、ヴェネチアはその投資を航海事業から徐々に引き揚げ、国内の農業や工業に投資する方向に転換し、商人共同体(コムーネ)の都市国家(都市連合)から領域国家へと転換していった。これに対してジェノバの商人たちは、金融業者としてヨーロッパ各地に分散した。ヨーロッパの国家を超えた商業・金融網の担い手は、国家を持たぬディアスポラした国際商人・金融業者たちであるが、その中心にジェノバ商人がいたのだ。
4 16世紀後半から17世紀前半にかけて、オランダは世界一豊かな商業「国家」としてヨーロッパに君臨した。それなのに英蘭戦争(1652-1667)を境に衰退し、18世紀にはヨーロッパ経済の中心はイギリスへと移動した。18世紀末フランス革命軍に占領されて、オランダは終に「資本主義国家」となることなく、都市連合体のまま終焉した。つまりオランダ商人資本は「国民経済」を形成することなく、商人資本の集合体のまま推移し、商業覇権もイギリス商業に奪われたのだ。なぜか? オランダの都市国家が国家として弱かったからである。オランダ共和国は、元々「スペインの支配に対する独立戦争の中で生まれた都市連合であり、西・英・仏のような主権国家ではなかった。
(註)オランダ共和国の起源 山越建一、世界経済における資本と国家、都市より http://www.nautpolis.net/weltwirtschaft/chapter03/section01/index.html#city_forming
11世紀頃、各地を遍歴していた初期の商人が、その遍歴商人仲間とともに新たな商工業の育成をもくろんで、フランデルン伯保護下の都市集落の商人定住地に居をかまえるようになった。彼らはイングランドの羊毛のすぐれた性質を発見するや、農村の織物業をこの新しい都市集落に移して、農村副業から都市集落の住民による専門的な製造業につくり変えていった。織布工たちをイングランド産羊毛の織布に習熟させ、前貸問屋制度をつうじて彼らの営みを自分たちに従属させ、その製品によって全ヨーロッパを販売市場として獲得していったのだ。彼らこそが、フランデルン諸都市の本来の創造者だったとフリッツ・レーリッヒは言う。
オランダ経済の衰退要因は何か?「高賃金」による競争力低下もあるが、より大きな要因は、英仏の重商主義政策による圧迫・締め出しであった。とくにイギリスの航海条例は、英軍艦によるオランダ商船の拿捕という軍事的強硬手段をともなうオランダ商業の締め出しであり、英蘭海軍戦争に発展し、オランダは敗退した。
オランダ流の世界商業は、その内部に小規模な「産業資本」を生み出しつつも、「世界の工場」になる前に、オランダ世界商業の没落とその運命をともにした。オランダ商業の没落は、海上覇権をめぐるイギリスとの抗争に敗れたことの結果と言える。
オランダは戦時にはスペイン・イギリスをもしのぐ強力な海軍を有することができたが、オランダの海軍は都市連合の「海軍支庁」が共同管理する艦隊であり、その基本的性格は、武装商船隊の延長であった。
オランダ海軍とイギリス海軍のちがいは、イギリス海軍がイギリスの商業・運輸を守り、守ることによって得られた富がイギリス海軍の増強に投入される、という「国民経済的な循環」が形成された[イギリスの財政=軍事国家の形成。後述]のにたいして、オランダではこのような海軍あるいは国家と商業の関係が構築されなかったことである。
オランダ商人に、西・仏・英といった強国に対抗する「国家としての意識」がなかったわけではないが、西・仏・英に比して希薄であった。オランダ商人にとって敵国のスペインに武器輸出することは通常の経済活動であった。オランダの商人資本は、始めから終わりまで、商人連合としての共和国にとどまり、主権国家を形成しなかった。
また、アムステルダムには国際商業取引の決済銀行としてアムステルダム振替銀行が創設されて振替による決済をしたが、のちのロンドンの銀行のような発券銀行ではなかった。それゆえ、オランダ商人の豊富な資金の多くは対外的に投資され、オランダ産業に投資されなかった。アムステルダム振替銀行は、商人資本の収益を産業資本の資本蓄積に導く金融機構となっていなかったのだ。
5 16世紀末、オランダが世界商業の頂点に立ち、アムステルダムが世界の商業・金融センターとなったが、オランダ商業は基本的にヨーロッパ内商業であり、都市国家が必要に応じて海軍を編成すれば事足りた。世界商業がヨーロッパ内商業からアフリカ・新大陸・アジアの世界商業へと拡大したとき、世界商業を制したのは、海賊・私掠船も合わせて「国王の海軍」として自国商船団を守り他国商船団を攻撃したイギリスであった。これがイギリスにおける国家と資本主義の結合の始まりである。
6 17世紀、イギリスは名誉革命1688で立憲王政に移行し、「国王の海軍」から「国家の海軍」になるとともに、戦費の調達が「国王の借金」から「国債」へと転換され、国債の発行・償還の機構として中央銀行が設立された。戦費を調達した国債の利払いは増税でなされた。さらにイギリスは「二つの三角貿易」によって世界商品・綿布の工場生産と国内国外市場への販売拡張によって急激な経済発展を遂げた。イギリスにおける財政=軍事国家の誕生であり、それは無国籍の商人資本が国籍をもつ資本――「イギリス資本主義」という国民経済――に転化したと言える。
7 財政=軍事国家とは何か。
1)国王の「家産」から国家の「財政」への転換。国王に代わって議会、つまり土地貴族・資本家等実際の経済権力階級が「財政」の責任を負う財政統括体制の確立。
2)同時に、経済権力によって創設された中央銀行が国家の借金(国債)の返済の責任を負う。
3)確実な徴税によって国債の元利返済が実現する。
4)以上の1)~3)によって、国家の内外金融市場に対する信用が確立し、中央銀行が財政と金融市場を結ぶ媒介環となって国家の借金つまり国債というかたちでの軍事資金・戦費の内外金融市場からの低利の資金調達を可能にする。
5)内外金融市場からの資金調達(および財政)によって増強された軍事力が――貿易・海運の排他的利益確保、植民地の獲得、支配地域・領土の拡張、戦争による賠償金の獲得などによって――国民経済の発展を助長する。国民経済の発展が税収増・国債の償還を可能にし、国債の確実な償還が財政への信任を高め、さらなる低利の国債発行を可能にする。こうして国民経済・財政の発展拡張と軍事力拡張の好循環が形成される。
6)国民経済の発展は、内外の金融市場と産業を結ぶ銀行信用によって媒介されており、中央銀行は唯一の発券銀行となる。商品貨幣(金本位制)・商業信用を基礎とした銀行信用の頂点としての中央銀行の銀行券が国民経済の国民通貨となる。
8 中央銀行の銀行券発行権は、「貨幣高権」として、近代国家=資本主義国家の国家主権の一つに数えられる。中央銀行は、イギリスの「財政=軍事国家」についてみたように、国家と資本主義経済の結合(国民経済の成立)を前提とする。「貨幣高権」には自国通貨の(他国通貨との)交換にたいする規制も含まれる。資本の活動はいずれかの通貨を用いることなくして成り立たず、使用通貨によって、国民経済に――したがって国家に――束縛される。
9 イギリスにおいて実現した「財政=軍事国家」は、このあと先進国フランスだけでなくドイツや日本のような後発資本主義国にとっても、モデルとなるものであった――ただしイギリスと同じようにはならなかったが。
10 国家にとらわれる商人資本ととらわれない商人資本
オランダ経済が衰退するにつれて、貿易、海運、金融、産業の一体となった商業活動がそれぞれに分立し、オランダの投資家層は投資先を貿易や産業以外に求めるようになる。オランダ人の保有する公債は,全イギリス公債額面価格の32~22% に及んだという[石坂昭雄、アムステルダム17-18世紀金融市場]。このように、商人資本は国家に補足されて国民経済に組み入れられるものと、国民経済から自由に「グローバルに」活動するものに分かれる。言い換えれば、商人資本がある時期一斉にすべて国民経済の産業資本へと発展するのではなく、商人資本の一部が国家にとらわれて国民経済に組み入れられ、他は依然として無国籍の商人資本として[またはそこから派生して無国籍の金貸し資本や無国籍[多国籍]の産業資本として]、活動を継続する。
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〔study864:170621〕
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