似非毛沢東への道
- 2017年 8月 16日
- 評論・紹介・意見
- 中国習近平阿部治平
――八ヶ岳山麓から(231)――
この秋の中国共産党19回大会の最大の見どころは、党規約が改定され、毛沢東以来の党主席制が復活して習近平がその座にすわれるかどうかである。
毛沢東の専制政治がいくたびもの悲劇を生んだ反省として、1982年の12回党大会では党主席制を廃止し、政治局常務委員会を最高指導部とした。重要な権限は各常務委員が分担し、政策は多数決によることとし、総書記はその議長とされてきた。現在常務委員は7人。68歳引退の慣習があるから19回党大会で残るのは、習近平と李克強だけである。
習近平は総書記就任以来、反腐敗闘争を名目に目障りな人物を葬り、李克強総理をはじめ他の常務委員の権限をかたっぱしから削って権力を自分に集中した。さらに自身を他の常務委員とは別格の「核心」と位置付けさせ、メディアに忠誠を求め、言論の圧殺を続けている。
最近では、次期総理候補の一人といわれた前重慶市書記の孫政才政治局員の首を切り、代りに側近の陳敏爾をすえた。北京市党委書記となった蔡奇、上海市長の応勇などは習近平のかつての部下である。さらに側近の栗戦書・党中央弁公庁主任の親族の不正蓄財疑惑が香港紙で報じられたが、翌日には撤回されるという不可解な事件があったし、「打虎隊長(腐敗取締)」の王岐山中央紀律検査委員会書記は68歳勇退年限を無視して、次期指導部に留任するのではないかという観測もある。
以下は朝日新聞の報道記事。
「中国共産党の高官が相次いで、習近平総書記(国家主席)の『重要講話精神』を『思想』と踏み込む発言をしている。秋の党大会では、習氏の『思想』が『毛沢東思想』や『鄧小平理論』などと並ぶ党の指導思想として党規約に盛り込まれるかどうかが焦点となっており、注目される。
中国の公式メディアは最近、『習総書記の重要講話精神と治国理政の新理念、新思想、新戦略』といった表現を多用し始めた。国務院新聞弁公室主任(閣僚級)で党中央宣伝部副部長の蔣建国氏は3日、朝日新聞など一部メディアに対し、こうした表現について『すでに完全な思想体系となった』と説明した」(2017・08・08)。
この報道は事実だが、やや遅きに失した感がある。遅くとも去年には「習近平の新理念新思想新戦略」という文言が頻繁に使われていた。たとえば日本の科学研究費助成金(科研費)にあたる「国家社会科学基金」の2017年募集要項をみると、「習近平総書記の一連の重要講話の精神と治国理政の新理念新思想新戦略を深く貫徹し……」とあり、また「とくに習近平総書記の重要講話と18回大会第6回中央委員会総会の精神、とりわけ哲学社会科学工作座談会での(習近平の)講話の精神をめぐって研究テーマを選択するように」といった文言がある。
社会科学基金の支給対象には23の分野があって、それぞれ数十から百数十のテーマが並んでいる。「マルクス主義・科学的社会主義」分野では132項目のうち21項目に、「党史・党建設」分野では108項目中9項目に、「哲学」では95項目中4項目に習近平の名前がある。
「党の18回大会」とか「一帯一路」、「新常態」など習近平の治政と直接かかわる語彙の入ったものを数えると、膨大な研究テーマが習近平関連のものとなる。
たとえば「マルクス主義・科学的社会主義」分野だと、「18回大会以来の習近平同志を核心とする党中央治国理政の新理念新思想戦略研究」とか、「習近平総書記治国理政思想と中華の優秀な伝統文化との関係の研究」といったたぐいである。
この文書は昨年の半ばには稟議されただろうから、イデオロギー分野の習近平への権威づけは、これ以前から人事分野の闘争とともに進んだことがわかる。
もし中共19回大会で毛沢東時代の「主席制」を復活させようとするなら、党規約を改訂する必要がある。現形勢ではそれは可能である。
同規約前文には指導思想としてマルクス・レーニン主義と並んで「毛沢東思想」「鄧小平理論」「三つの代表」「科学的発展観」が列挙されている。「毛沢東思想」「鄧小平理論」には毛沢東・鄧小平の名がある。だが、「三つの代表」は江沢民、「科学的発展観」は胡錦涛のものであるのに二人の名前がない。そこにもし「習近平思想」が入れば、習近平は江沢民や胡錦濤を跳び越えて、毛沢東・鄧小平に並ぶ地位に躍進することになる。
ところで、習近平が傾倒する毛沢東の治政は(1949年の革命勝利まではともかく)、中国経済を破壊し大量の人民の犠牲を生んだ。彼が執着したのは階級闘争をかなめとし、ブルジョア的権利を批判し制限することであった。また商品経済を制限し、分配においては平均主義、人民所有の経営形態を「一に大(大規模の意味)、二に公有制」とした。それはスターリンのおかしな社会主義論の毛沢東による焼き直しだった。
彼は晩年には、革命とは生産力を発展させ貧困を変革して人民が富裕になることとしながら、富裕になれば修正主義=資本主義になるという自己撞着に陥っていた。
しかし中国では、習近平が毛沢東に傾倒しているものだから、かつて党の決議で毛沢東の過ちとした1958年からの大躍進、66年からの文化大革命を、今は「実事求是」の記述をすることはできない。世界中が知っている事実、たとえば大躍進による餓死者を3000万とか4000万としたり、文革によって中国経済が崩壊の危機に直面したと書くことは、「歴史ニヒリズム」とされて非難の対象となっている。
だが、毛沢東をマルクス主義者ではなく、中国史上の専制君主あるいは皇帝としてみたとき、彼はやはり偉大な存在である。下層民から出て天下を取った人物は、毛沢東のほか、漢の劉邦や明の朱元璋などがある。彼らは巧みな戦略と権謀術数、高い部下操縦能力、残虐性をいとわない決断力をもっていた。しかも等しく政権樹立の功臣を難癖をつけて殺した。
だが毛沢東が劉邦や朱元璋といちじるしく異なるのは、なんといっても中国伝統の高い教養をもった人物だったことだ。史書を読み明史に詳しく、その「詩」や「詞」は一流のもので、しかも独特の筆法の書をよくした。鄧小平も江沢民も胡錦濤もこの種の教養がないから、毛沢東に比べればいかにも軽く見える。
というわけだから、中共19回大会で「習主席」が実現しても、ただちに「毛主席」に次ぐ権威を獲得できるとは思えない。「習近平の新理念新思想新戦略」なるものは、いまのところまるでからっぽだ。「一帯一路」や「新常態」は政策や現状説明であって、理念とか思想には到底なりえない。党中央宣伝部副部長の蔣建国が習近平の片言隻句を「すでに完全な思想体系となった」などというのは、ただのおべんちゃらにすぎない。
「習主席」に中国伝統の教養がなかったとしても、いまさらそれを問うても仕方がない。では習近平はどうやったら毛沢東に近づくことができるか。
習近平が毛沢東に傾倒しつつ、いわゆる中国の特色のある社会主義(市場経済という土台の上に立つ一党独裁)の現体制を肯定するなら、それを合理化する理論を打ち立てなければならない。
毛沢東思想と市場経済の、この股裂き状態を統一する理論がうまれるなら、それこそ独創的な「新思想新理論」と世界が認めるだろう。それができなければ、「習主席」は「毛主席」流の専制支配をやるだけの権力亡者、歴史上は下手な喜劇役者として終るであろう。「中国共産党主席」もなかなか一筋縄では参らないのである。
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