中印国境は緊張している
- 2017年 9月 9日
- 評論・紹介・意見
- インド中国外務省阿部治平
――八ヶ岳山麓から(234)――
8月半ば、北京の友人が「中印国境では、我国とインドとの本格戦争の恐れがあるが、日本ではどう見ているか」といってきた。日本では小さいニュースだったが、中国ではメディアがかなり緊張を煽っているらしい。
ドクラム高地(中国名・洞朗)は中国領チベットとブータン西部が接する地域である。この地で国境問題が顕在化したのは、文化大革命が始まった1966年といわれる。この年中国解放軍はチョモラリ(海抜7314m)南方のチュンビ渓谷南方に進駐し、その東側すなわちブータンと接するドクラム高地を自国領とし、1990年代には中国はここに道路をつくった。2000年代に入ってからも軍や民間人が越境したので、ブータン政府が抗議を行ったことがある。
今回の中印緊張は、今年6月中旬に中国軍がまた道路建設を始めたのに端を発している。この6月から中印両国軍それぞれ300人の兵士が進駐して、ときどき小競り合いをやった。中国ではこれが大きく報道されていたから友人は心配になったのだろう。
インドと中国はドクラム高地で境を接しているのではない。ここは中国とブータンの国境である。ではインド軍がなぜブータン領のドクラム高地にいるかといえば、複雑な経過によってブータンの国防がインドに委託されているからである。ブータン軍は警察も含めて1万人しかないうえに、兵器も貧弱だから中国とは勝負にならない。そこでインドは軍事顧問団1000人余を常時ブータンに置いている。
この8月3日には中国政府はドクラム高地でインド軍が兵舎を建設しているとして即時撤退を要求した。一方インド政府も「ブータン領内に中国軍が不法に侵入している」と非難してこれに応じなかった。
だが8月28日、インド外務省は突然、双方が現地から撤退することで合意したと発表し、中国でも同様の報道があった。9月3日から5日まで開催される中国、ロシア、インド、ブラジル、南アフリカ、新興5カ国(BRICS)の首脳会議があり、習近平とモディの両首脳もこれに参加するので、急いで事態の沈静化をはかったものと思われる。
これまでの中印国境紛争に関するニュースは、インドヒマラヤのシプキ峠などをめぐる小地域を除けば、カシミール東部のアクサイチン地区とブータン東方のアルナチャル・プラデシュ(州)の2カ所に限られていた。アクサイチンは九州に近い面積だし、アルナチャル・プラデシュは北海道とほぼ同じ面積であって、これに比べればドクラム高地などはわが村ほどの土地である。
中国はガンデン・ポチャン(旧ラサ政権)の支配地域を即ち中国領だとしているから、アルナチャル・プラデシュがヒマラヤの南麓とはいえ、これを中国領とする(この論理だとブータンも中国領になる)。アルナチャルのヒマラヤ寄りの人々の多くはチベット仏教信者である。
インドはヒマラヤ頂上線のマクマホン・ライン(1914年シムラ会議の際、イギリスの外交官マクマホンが引いたブータン東方からミャンマーまでのヒマラヤをインド・チベットの境界とする線)を国境としているから、当然のようにヒマラヤ南麓を自国領とした。
アクサイチンでは、ここがラサ政権支配地域であるうえに、ラサから新疆ウイグル自治区ヤルカンドに通じる少数民族支配上の戦略道路があるから、中国はこの土地を譲るわけにはいかなかった。インドはアクサイチンではイギリス植民地官僚がかってに引いた境界線を正当なものとした。
中国軍とインド軍はサイバー攻撃や小競り合いをアクサイチンとアルナチャルでもやっている。この夏はアルナチャル・プラデシュをダライ・ラマ14世が訪問し、法事をおこなった。もちろん中国はこれを批難し、インドは内政に干渉するべきでないと、中国の非難を拒否した。アクサイチンでもパンゴン湖付近の休戦ライン近くでは銃撃戦には至らなかったが、殴りあいがあった。
1954年「平和五原則」を共同声明でうたい、アジア・アフリカ諸民族の希望をになった中印両国だったが、62年になるとヒマラヤをめぐって本格的な国境戦争をやった。結果は中国軍の大勝利。アクサイチンではインド軍は高地障害などで戦えず、アルナチャルでは中国軍はあっという間にヒマラヤ南麓を占領した。
にもかかわらず、62年10月中国は突然に実際支配線から20キロ撤収するとして、マクマホン・ラインからヒマラヤ北麓に退いた。おそらく大躍進政策の飢餓状態が続いており、アルナチャルを維持しつづける国力がなかったからであろう。
もちろん公式には、両国とも東西2地域を今日まで自国領としてきたことに変りはない。当時も今日も「絶対にいかなる領土も放棄しない」というのが中国の領土問題にたいする原則である。これからすれば、アルナチャル・プラデシュを事実上放棄したのはこの原則に反する。
習近平政権にとってインドは、「一帯一路」など習近平政権の国際政策を展開する際の最大の障碍である。
中印国境はいま一時的におだやかだが、5日にBRICS会議がおわれば、すぐにでも軍事的対立に還る危険をはらんでいる。中国軍はインド軍の部隊駐留地から近い地域で、戦車訓練や迫撃砲による砲撃、ミサイルの発射といった臨戦的(原語「針対」)演習を行なっている。これに対するインド側拠点は数年前から軍事要塞化している。
インドは2014年にモディ首相が就任してから(就任式にチベット亡命政権のロブサン・センゲ首相を招くなど)、中国に対し以前の政権よりは挑戦的である。
一方今回の中印対峙で中国の思い通りにならなかったら(BRICS会議のさなかの北朝鮮の6回目の核実験で中国外交は打撃を受けているから)、習近平総書記にとっては失敗、面子丸つぶれになる。
このため中印両国の対立がエスカレートするのは目に見えている。前線で偶発的衝突が起きやすい状態だ。日本ではあまり注目されていないが、これはアジアの平和を左右する。双方は核保有国のうえに、人口世界第一と第二の国家の対立だから。
付加えておくべきことがある。ドクラム高地をめぐる中国とブータン・インドとの紛争に日本が「介入した」と思われるできごとがあった。
秋篠宮家長女眞子内親王が6月1日からブータンを訪れた。これは2011年11月ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王夫妻が国賓として来日したことの返礼である。だが、今回の中国とインド・ブータンのつばぜり合いがそろそろ本格的になろうとする時期だから、眞子内親王のブータン訪問は、日本のインド支持というメッセージを送ったととられる可能性があった。外務省はこれに留意しなかったのだろうか。
さらにインドのラジオ放送やTimes of India紙は、ドクラム高地をめぐって日本の平松賢司駐インド大使が日本政府の「インド支持の立場」を表明したと報じた。これにあわてた在印日本大使館は、平松大使がインドメディアの取材に対して「力による一方的な現状の変更」を行わないことが重要だと述べただけだと、インド支持の報道内容を否定したという(時事2017・08・18)。
平松発言について中国外交部の華春瑩報道官は、8月18日の記者会見で平松大使のドクラム高地に関する発言は根拠がないとして、「ドクラム高地に関する対立は存在しない、国境線は明確であり、双方共にそれを受諾している」と述べた。
中国が日本大使の発言に対して拒否反応をあらわにしたのは、根拠のあることである。ことの経過からして「『力による一方的な現状の変更』を行わないことが重要だ」といえば、中国を牽制したことになる。駐印大使館がいくら弁解しても相手には通じない。日本政府の中国敵視政策をこれ以上エスカレートしたいならともかく、よく勉強してから発言すべきだった。知らないなら何もいわないほうがよい。
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