周回遅れの読書報告(その26)小泉喜三郎と武田百合子(下)
- 2017年 9月 17日
- 評論・紹介・意見
- 脇野町善造
義父の家には3週間程度の予定で出かけた。しかし、思わぬトラブル(この詳細については省く)に巻き込まれ、滞在は6週間近くに伸びた。それで、滞在中に読もうと思って持っていった本を全部読み終えてしまい、読む本がなくなってしまった。義父の書斎の本の中には読みたいと思うものは見つからなかった。しようがないので、近くの古本屋に出かけ、「安い」ということを条件にして、何冊か買ってきて、読んだ。
そのなかの一冊に、池内紀『森の紳士録』があった。暇つぶしにはいい本であった。寝転びながら読んでいると、「オオカミ」のことについて触れた文章の中に「小泉輝三郎」という名前が出て来た。オオカミのことが記されている郷土史の著者として、である。どこかで聞いたことのある名前だなあ、と思ったが、すぐには『大正犯罪史正談』の著者とは結び付かなかった。しかしどうにも気になり、自宅に送り返す分として既に整理していた本のなかから『大正犯罪史正談』を引っ張り出した。やはりこの本の著者と同じ名前であった。
池内の紹介によれば、小泉輝三郎は東京高検の検事だったが、退官後、故郷の奥多摩(檜原村)に戻ったという。小泉は検事として『大正犯罪史正談』を著わし、引退後は故郷で古老からの聞き書きをもとに郷土史を書いたことになる。彼が書いた郷土史『檜原・ふるさとの覚書』を読んでみたい気がするが、それはもう「鈴弁事件」「山憲事件」とは遠く離れた世界になる。古本はそういう遠いところにも連れて行ってくれるものらしい。
それから数年後、「鈴弁事件」をまた思い出させられることになった。きっかけは『埴谷雄高全集第11巻』に収められていた、「武田百合子さんのこと」と題する埴谷の文章である。埴谷は次のことを記している(同書、640頁)。
私達の世代のものは、信濃川トランク事件について知っているが、横浜の米穀商であった百合子さんの祖父に触れられることは、鈴木家にとって到底容認しがたいことで、前記の『未来の淫女』も『血と米の物語』も、武田泰淳の著作にも全集にも収められていない。『女の部屋』にも『風媒花』にも登場する百合子さんの弟、現在、鹿島建設の国際事業本部長である鈴木修さんに、百合子さんが亡くなったとき私ははじめてであったが、それらの作品不収用の方針はなお続けられるであろう。
「百合子さん」とあるのは、武田泰淳の妻だった武田百合子さんのことで、「信濃川トランク事件」とは「鈴弁事件」のことである。武田百合子さんが鈴弁の孫であるとは知らなかった。埴谷の全集で鈴弁のことが出てくるとは想像もしてなかった。
こうなると、また鈴弁事件のことが気になる。それで武田の『未来の淫女』と『血と米の物語』が読みたくなった。しかし、埴谷が言うように、武田の全集には収められていない。探し回ったら、1951年に河出書房の市民文庫として出された『異形の者』のなかに入っているということが分かった(『血と米の物語』は『続未来の淫女』と改題されて)。今のところ、この文庫本で読む以外に方法はない。ところが、60年以上も前の文庫本であるためか、古本屋では容易にお目にかかれない。また、国会図書館以外のどこの図書館にも見当たらないため、借りることができない。やむなく国会図書館まで出かけて閲覧してみようと思ったが、これはまだ実現していない。
しかしそれ以前に、『信濃川ものがたり』に始まった鈴弁事件のことをそろそろ忘れたほうがいいようだ。
小泉輝三朗『大正犯罪史正談』(大学書房、1955年)
池内紀『森の紳士録』(岩波新書、2005年)
埴谷雄高『埴谷雄高全集第11巻』(講談社、1999年)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion6951:170917〕
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