10月9日はチェ・ゲバラ没後50周年 - キューバ、ボリビアと日本で記念の催し -
- 2017年 10月 4日
- 時代をみる
- キューバチェ・ゲバラ岩垂 弘
1959年のキューバ革命の英雄の1人、エルネスト・チェ・ゲバラが南米ボリビアでゲリラ活動中にボリビア政府軍に射殺されてから、今年10月9日で50年。これを記念して、この日を中心にキューバ、ボリビア、そして日本で、さまざまな催しが行われる。1970年代には、ゲバラは革命を目指す世界の若者たちにとって熱狂的な崇拝の的だったが、今なお彼の生き方に共感する人たちが少なくないということだろうか。
エルネスト・チェ・ゲバラは、キューバ革命を成功させた革命家、政治家。医師でもある。1928年、アルゼンチンで裕福な家庭の長男として生まれる。ブエノスアイレス大学医学部の学生だった51年、友人と2人でオートバイでラテンアメリカを見て回る旅に出る(このことは、2004年に米国の映画俳優ロバート・レッドフォードによって『モーターサイクル・ダイアリーズ』のタイトルで映画化される)。
この旅で、彼は米国と結んだ軍事政権下で苦しむ社会の底辺の人々の姿を目の当たりにし、ラテンアメリカの虐げられた人々の解放に身を投じたいと思うようになる。1953年に医師免許を取得するが、ペロン政権下で軍医になることを避け、ラテンアメリカを放浪する。54年、メキシコへ。そこで、キューバからメキシコに亡命中のフィデル・カストロ、弟のラウル・カストロ両氏と出会う。フィデルは、祖国をバチスタ大統領独裁から解放するという革命構想を熱っぽく語り、ゲバラはそれに共鳴、従軍医としてフィデルらのバチスタ政権打倒闘争に参加することを決意する。
56年、カストロらはヨット・グランマ号でメキシコを発ち、キューバへ向かう。グランマ号に乗っていたのは82人で、もちろん、ゲバラも乗船していた。
グランマ号はキューバの東海岸に到着するが、待ち構えていたバチスタ政府軍の攻撃にあい、生き残ったのはフィデル、ラウル、ゲバラら16人だった。一行はシェラ・マエストラの山中に逃げ込んでゲリラ戦を展開する。
その後、カストロらの反乱軍兵士は次第に数を増し、ゲバラは反乱軍第2軍(75人)の指揮官(少佐)となった。
58年12月28日、ゲバラ率いる反乱軍がキューバ中部のサンタ・クララでバチスタ政府軍との戦いを開始し、59年1月1日、サンタ・クララを占領。バチスタ大統領は同日未明、家族、側近らとともに飛行機でドミニカ共和国へ脱出、ここにカストロらのキューバ革命が成就する。
革命後の新政権で、ゲバラは国立銀行総裁、工業相などなどを歴任。65年にキューバを去り、アフリカのコンゴで革命を試みたが失敗。いったんキューバに戻るが、66年、ヨーロッパ経由でボリビアへ。そこでゲリラ活動中、67年10月8日にボリビア政府軍に捕まり、翌9日に処刑された。39歳だった。
没後20年を記念して87年にゲバラの銅像と、同じくボリビア政府軍との戦闘で亡くなった38人を慰霊する霊廟がサンタ・クララに建てられた。霊廟がサンタ・クララに建てられたのは、ここが、ゲバラ率いる反乱軍がバチスタ軍を打ち破って革命勝利に突破口を開いた場所であるからに他ならない。
97年には、ボリビアでゲバラの遺骨が発見され、この霊廟に収められた。2007年10月には、ここでゲバラ没後40周年記念式典が行われた。
ゲバラの生き方と、その最期が劇的だっただけに、その人間像は革命を夢見る若者たちの心をとらえ、世界各地に信奉者を生んだ。1970年代には、ゲバラの肖像画をプリントしたTシャツが大流行し、とくに学生運動の活動家は好んでこれを着たものだ。
2008年5月、日本で、キューバとの友好促進を目指す実行委員会がゲバラの長女で小児科医のアレイダ・ゲバラさんを招いて全国各地で講演会を催したが、どこの会場にも多数の聴衆がつめかけた。キューバ友好円卓会議が東京・明治大学で開催した講演会では、聴衆が定員300人の会場に入りきれず、溢れた100人のために急きょ第2会場を設けたほどだった。
そんな光景を見て、私は「日本では“ゲバラ人気”はまだ衰えていないな」と思ったものだ。
さて、没後50周年を記念する催しだが、私が得た情報では、10月8日にサンタ・クララでキューバ政府主催の記念式典が行われることが決まった。かなりの数の市民が集まると予想される。
それから、9月初めに来日したマルセリーノ・メディーナ・キューバ第1外務次官から私が得た情報では、ゲバラの命日の10月9日にボリビアでも記念式典があるとのことだった。
文化関係でも、ゲバラ没後50周年にちなんだ企画がみられる。
まず、写真展「写真家チェ・ゲバラが見た世界」が、テレビ東京の主催で8月9日から27日まで、東京・恵比寿ガーデンプレイス ガーデンロームで開かれた。ゲバラ自身が撮影した写真約240点が展示され、中には、革命直後の1959年7月に日本を訪問したゲバラが広島の平和公園で撮った写真もあった。会期中、ゲバラの息子のカミーロ・ゲバラ氏も会場に姿をみせた。
10月6日からは、日本・キューバ合作劇映画『エルネスト』が全国で公開される。脚本・監督は阪本順治、主演はオダギリジョー。1967年にボリビアで捕らえられ、処刑されたゲバラと行動をともにし、命を落とした日系二世がいた。フレディ前村といい、医師を目指してボリビアからキューバの大学に留学。キューバ危機中にゲバラと出会い、ゲバラからファースト名の「エルネスト」を戦士名として授けられる。そして、ゲバラの部隊に参加してゆくわけだが、そうした彼の半生を描いたのがこの映画である。
映画の冒頭は、広島を訪れたゲバラが平和公園の慰霊碑を参拝するシーンだ。
この8月には、太郎次郎社エディタスから、「見る・読む・つなげるピクチャー・ドラマ」と銘打った『チェ・ゲバラ』が発行された。絵・チャンキー松本+いぬんこ。16枚の漫画仕立ての絵でゲバラの生涯が分かる仕組みだ。
「ゲバラ没後50周年だから」と、10月から11月にかけてキューバを訪れる日本人が増えそうだ。
旅行会社企画のキューバ・ツアーもある。友好団体でもキューバ・ツアーを実施するところがあり、キューバ友好円卓会議は10月5日から、総勢20人の訪問団を派遣する。また、日本キューバ連帯委員会は、11月22日から「2017年秋キューバ友好訪問団」を派遣する。どちらも、行程中にチェ・ゲバラ霊廟があるサンタ・クララ訪問が含まれている。
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