周回遅れの読書報告(その32) 記憶し、分類し、検索する機械
- 2017年 11月 4日
- 評論・紹介・意見
- 脇野町善造
初めて電子計算機なるものに触れたのは、1970年代のなか頃だった。その頃の話をしたら、当時のことを知らない若い人たちには、「笑い話」になってしまう。パーソナル・コンピュータというものがようやく普及し始めていた。使うには自分でプログラムを組まなければならなかった。そのために、やむを得ずコンピュータ言語を少し勉強したが、これは私の生涯でも最も無駄な「勉強」の一つであった。10年もしないうちに、コンピュータ言語など普通の人間には無用の長物になったからである。その上、この無用の長物になったコンピュータ言語はあくまでコンピュータを「計算する機械」として使うためのものであった。実際、当時の私にとって、コンピュータはどこまでも、電子回路を使って、複雑な計算を短時間に処理する機械に過ぎなかった。「計算する機械」以外の用法など考えたこともなかった。いまから考えると、その方がもっと大きな失敗であった。
コンピュータを計算機として使うとして使うというのは、一見当然そうに見えるが、決してそうではない。現に、この小論を読んでいる読者のほとんどは、コンピュータを「記憶し、分類し、検索する機械」として使っているのではないか。「計算をする機械」と「記憶し、分類し、検索する機械」との間には、大きな隔たりがある。この隔たりを世界で最初に越えたのは、旧国鉄の技術者・穂坂衛という人物であることを、下山進『勝負の分かれ目』ではじめて知った。しかし、当時の旧国鉄の関係者でさえ、穂坂の業績や、穂坂その人を知るものは稀である。そして穂坂が開発したMARSという指定席券発券システムを、無尽の潜在的能力を持つ情報処理システムとして認識していた人間も旧国鉄の中にはほとんどいなかった。旧国鉄の関係者からは「あの頃はそんなものよりも組合対策の方がはるかに重要だった」という哀れな話を聞いた。
穂坂の開発した情報処理システムこそが、コンピュータを基軸とした情報化社会を切り拓くものであったような気がする。それまでただの経済情報を売るだけの通信社に過ぎなかったロイター(通信)が自ら国際通貨市場を構築することができたのは、コンピュータを「記憶し、分類し、検索する機械」として捉えたことにあったといっても過言ではない。旧国鉄の技術者が世界に先駆けて開発したシステムの恐るべき力にどうして日本の通信社(例えば時事通信)が気づかなかったのか。凡庸な経営者(時事通信の場合は長谷川才次)に全ての責を負わすことには疑問が残る。
そして他方における金本位制の廃絶によって、通貨の相対的価格は情報を如何に早く正確に把握するかに大きく影響されることになった。それが情報の技術的革新に強い刺激を与えることになる。これによって情報通信革命(IT革命)と呼ばれるものが始まった。その出自からして、また途方もない利益が得られることからも、IT革命は国際通貨市場の中でまず進むことになる。そんなことに30年前はまったく気がつかなかった。いやこの本を読むまで気が付いていたとは言い難い。「革命」という二文字に対するある種の思い入れから、「IT革命」などは幻想にすぎないと思っていたが、これはやはり、金の廃貨という大きな混乱の中から現れた「革命」であった。ただ私がそうであったように、このことに気が付いた人間は決して多くはなかった。
ひょっとしたら、今も新しい「革命」が静かに進行しているのか知れない。そうなのか、そうではないかも、もう分からなくなっている。その意味では、現代は「見えない革命」の時代なのであろうか。
下山進『勝負の分かれ目』(講談社、1999)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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