宗教と性的搾取と男性優位社会
- 2017年 11月 13日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマー野上俊明
イラワジ紙がしばらくの低迷(?)から脱し、息を吹き返したようにミャンマーではタブーに属する問題に切り込んでいます。イラワジ紙記者二人とフェミニズム活動家の鼎談で、宗教と性というデリケートな問題を扱っています(11/11付)。議論のきっかけとなった事件とは、モン州のタトンというところである宗教指導者が、判明しているだけで数年にわたって信者の少女たち6名に対し性的搾取を行なっていたというショッキングなものです。一人の被害者の少女の父親が告訴して、事件が明るみに出たのです。宗教を価値的な位階秩序のトップに据えるミャンマー社会では、宗教指導者を司法に訴えるなどということは普通ありえないことです。おそらく妊娠や出産などといった被害が背景にあるのでしょう。
記者によれば、おそらくこれに近いことは全国で起きており、被害者の親が、どこか遠くへ娘をやって妊娠を隠すように努める場合も少なくないという。また深刻なのは被害者が性的搾取だと気付かないで、搾取者についていくケースだという。世界でもカルト集団絡みでの性的搾取は、被害者の指導者への「帰依」にもとづく「自発性」があるだけに問題として顕在化しない傾向があります。
しかし本日問題にしたいのは、事件の解釈をめぐってイラワジ紙の男性幹部記者とフェミニズム女性活動家とのちがいです。男性記者は事件の背景に信仰や知識の不足と教育レベルの低さがあるとします。この場合、男性側のことを言っているのか、女性側のことを言っているのか明瞭ではありませんが、宗教指導者であるような人が信仰や知識の不足と教育レベルの低さが問題になるとは一般的に言えないでしょうから、女性被害者のことを言っているのでしょう。見方によっては、これはひどい話です。性犯罪が問題になるとき、男性を挑発する態度など女性側にも非があるという言い方とよく似ています。また教育水準の低さを言いますが、統計的には相対的に教育水準が高いはずの都会での性犯罪発生率の方が農村部より高いのです。先進都市社会でのカルト教団は、教団内部の性搾取だけでなくテロ行為も含む一般犯罪にも手を染めることが少なくないのですが、その構成員は必ずしも教育レベルが低いとはいえません。オウム真理教が典型的ですが、高学歴者が幹部団を構成する場合も多いのです。
ともかくここで一番問題にしたいのは、信仰の不足を第一原因としてあげた男性記者の見方です。そこには権威者による性的搾取という比較的新しい問題を、あくまで既存のミャンマー社会特有の宗教的コンセプトの枠内で処理しようとする精神的態度,傾向性がみられるように思えます。その伝でいくと、上座部仏教に深く帰依すれば、あらゆる人生論的、倫理的諸問題は解決可能ということになります。そのような発想する仕方に、男性記者の宗教的保守性を感じるのです―イラワジ紙はリベラルが看板で、記者はそのエグゼクティブです。ミャンマー社会が極端な男性社会であることは周知のことです。これは単に前近代社会の要素が強く残っているというだけではありません。上座部仏教では出家の資格を男子に限っていることだけからみても、男性優位社会が仏教によって補強されているといえます。女性を劣性、「第二の性」(ボーヴォワール)とみる観念の呪縛性は、仏教に淵源すると言っても過言ではないのです。ジェンダーの差別構造が精神生活の中枢まで入り込んでいるのです。しかもこういう下地の上に軍人文化はマッチョ(男らしさ)な価値を重視しますから、男子優位社会の権威主義的構造がますます強まったのでしょう。適切な例かどうかは分かりませんが、大学の医学部は単純に成績だけで選抜すると女性だけになってしまうので、男性にいわゆる「下駄をはかせて」入学させ人数のバランスを取っているという話は、在緬中何度も聞かされたことでした。
男性記者の見方に対し、女性活動家は鋭く切り返します。
――2016年公式発表だけでも1100件、うち671件(61%)が、少女が性的搾取の被害者です。※(性的搾取の原因は)男が主体で女性をモノとみる観念を女性の側も受け入れてしまっているところにあります。私たちの日常生活における性別に基づいてあらゆる差別を問う必要があるのです。教育においても、教育者=優性、生徒=劣性という固定観念があります。また性被害者にも責任があるとする風潮があります。
差別の問題は女性だけの問題と考えてはなりません。社会そのものの差別構造や階層構造を問題にしなくてはなりません。男女ともに、宗教という文化的規範によって搾取されているのです。しかし、女性は、女性が劣っていて弱い性だという観念のためにより脆弱なあり方になっているのです。映画や各種メディアのなかで繰り返し家族の犠牲を引き受けるというあり方がよき女性像として広められ、それに女性の側も順応している結果なのです。
おそらくミャンマー社会においては、この女性活動家の様な考え方をする人間は、まだごくごく限られているでしょう。しかしメディアに浮上してきて、堂々と意見を述べるようになってきたのは、大きな変化の兆しでしょう。宗教や民族などに限らない普遍的差別構造を問題にしており、ジェンダー、民族、人種、宗教、年齢、教育、性的志向性等によるあらゆる差別と闘う姿勢を明確にしています。ロヒンギャ問題はなにもラカイン州に限られません。「内なるラカイン州問題」が社会全体に広がっているのです。
ミャンマー社会の近代化、工業化、都市化にともなって現れてくる新しい倫理的諸問題に、ともすれば男性記者のように上座部仏教への原理主義的回帰で対応しようとする動きも強まってくるでしょう。排外主義的ブッディズムと背中合わせの男性優位社会を守ろうとする観念と闘う上では、はやり女性が頼りになりそうです。
※以前紹介したことがありますが、民政化してからの方が性犯罪は増えています。特に少女が被害を受けるケースが急増している由。その理由はインフレなどで生活が苦しくなり共稼ぎが増えていること、さらに郊外から都心への通勤時間が交通渋滞のため長くなり、家を親たちが空ける時間が長くなっていること―保育園も学童保育もありません。このために一人家にいる少女たちが、仕事がなくてうろついている若者の餌食になるケースが多いそうです。スーチー氏は女性指導者でありながら、残念ながら民主化の重要な一環としてジェンダー差別の問題に触れたことはないようです。
2017年11月13日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion7102:171113〕
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