11.11リヒャルト・ゾルゲ・尾崎墓参会(多磨霊園)
- 2017年 11月 13日
- カルチャー
- 山川 哲
毎年行われているリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実(関東軍の満州作戦変更をいち早く通報して、ナチのモスクワ進行を食い止めるのに役立った「スパイ・ゾルゲ」事件の当事者)の墓参会に参加した。
参加者は約30名足らず、概ね年配の方たちだった。
記念講演として、下斗米伸夫(法政大学教授)の「ロシア革命から100年」とオーストラリア人のルイス・マギー「ドクターヨーゼフ・ヴィルツ:ゾルゲ・グループにかかわったあるドイツ人の生涯」を拝聴した。お二人の講演内容については機会があれば改めて触れたいと思うが、下斗米さんの話は私達位の年配の者にとってはまことにショッキングな報告だった。それまでの「レーニンとロシア革命」という図式がもろくも崩れてしまったからだ。
講演会に先立って、有志数人でゾルゲや尾崎のお墓を訪れた。
この会には何度か参加しているのだが、墓参をするのは初めてだった。
17号区画と表示された一角にゾルゲの墓があった。その脇にはゾルゲ事件関係者の碑も立っていた。
われわれがそこに着いた時には、既に2~30人の方々が来ていた。聞けば、むさしの市民の「ピースウォーク」の人たちで、この日は多磨霊園内のいろんな墓地を散策する日だったという。リーダーがゾルゲ事件のいわれを説明していた。請われたため、飛び入りで、われわれの会の事務局長のK氏が、補足説明をした。墓地がきれいなのは、このK氏などの日頃からの尽力があったればということを私自身初めて知った。
ゾルゲの墓(花の影になっているが、彼の妻:石井花子の名前が刻まれている)
ゾルゲ事件関係者の碑
ここに行く途中には、かつての日本共産党書記長・徳田球一の墓もあった。ここに彫られた「徳田球一」の名前は毛沢東が揮毫したものだという。
徳田球一の墓
ゾルゲの墓からかなり離れた15号だったか(?)の区域に、尾崎秀実の墓があった。尾崎の墓のすぐ近くに竹内好の墓、またハワイアンの歌手だった川田晴久(彼は戦争中の弾圧下でもハワイアンを歌い続けたそうだ)の墓があった。
尾崎秀実の墓
晩秋の柔らかな日差しを浴びながら、遠く彼らの反軍部・反国家権力の闘いの日々に思いをはせた。
墓参の後は近くのメモリアルホールで下斗米さんとルイス・マギ―さんの報告を聴いた。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0552:171113]
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