(書評)堀利和編著:「私たちの津久井やまゆり園事件 ― 障害者とともに<共生社会>の明日へ」(社会評論社)を読んで
- 2017年 11月 13日
- カルチャー
- やまゆり園事件山本勝美
「これは大変な力作! 入所施設から共生社会への第一歩として」
<入所施設の凄まじさに思わず息を呑む>
一読して、なんと重みのある本だろうと思った。70年代を彷彿とさせる堀さんのプロローグ、「母よ、殺すな!」との青い芝の糾弾を植松被告に差し向けるアナロジーの鋭さに驚く。続く入所施設の過酷な実態をえぐる諸論文、措置入院者・精神障害者の管理強化への赤信号。他方で当事者へのやさしさに溢れる地域実践の報告も。総体としていろんな立場の論旨と多様な情報に編集者の視野の広さがにじむ。次々と登場する書き手と資料とを辿っていくうちにこのような感銘を深めた。
この本は、大きく二部に分かれる。 第1部は重度知的障害者の入所施設における大量殺害をめぐる混乱と今後のあり方をめぐって。第2部は施設に乱入した男の事実経過と精神保健福祉法改訂案に抗する闘い。
前半では、重度知的障害者の家族会の「とにかく早く元の場所に元の施設を!」と切望する声、それに対し「いや、このような機会だからこそ地域移行へ。私の息子は地域社会で立派に自立しています」とアピールする先進的な当事者と家族との実践を紹介する。行政はその間で右往左往する。
とくに注意をさそったのは、ほかの施設に寄留を始めた利用者が、その惨たんたる境遇にいたたまれなくなって、親が元のやまゆり園に戻してと要望するが断られたという報告である。施設も下には下がある実態が露呈する凄まじい事実関係に思わず息を呑む。こうして永年隠蔽されてきた入所施設群の悲惨な実態が今ようやく明るみに出た。
<「真犯人は施設そのものだ!」>
犯人はどうしてこんな残酷な行動を!と誰しもいだく問いに対し、違う!「真犯人は施設そのものだ!」という鋭い見解に直面する。半世紀にわたって身を持って入所施設を点検し続けてきた先駆者はこう指摘している。それに、インクルーシブ教育運動の無力な現状が優生思想を生み出したとする厳しい自責の言葉が続く。さらに福祉政策の先進国スウェーデンとの国際比較による日本福祉社会の未成熟性の解明。この事件は起こるべくして起きたと語っているのだ。
ところで事件発生により利用者の方々は突然やまゆり園から放り出され、いくつかの入所施設に分散されていく。しかも今後の方針は全く見えない。高齢のご家族は戸惑いと疲労から「早く元の場に元の施設を」と訴える。これらの辛苦の状況は理解できる。だからこのような境遇の家族会を地域移行へと説得できるのは先駆的な地域移行を果たした当事者と家族の方の実銭だろう。その声、実践成果をより効果的に伝える努力が急務ではないかと感じた。
<「精神病」との病名が不可解な事件を納得させる>
第2部では、そもそも「精神病」という病名が不可解な事件を人々に納得させてしまう効力を持つという。私の見解だが、米精神医学会の診断体系(DSM)自体、身体医学体系をモデルにしながらも、変転し続けてきた荒唐無稽物だ。権力にどう利用されるかわかったものではない。
さてこの事件に乗じてその翌日直ぐに首相は国会でこの事件を取り上げ「精神保健福祉対策の再検討を行い、再発の防止を計る」旨唱えた。その日から措置入院経験者を管理するための法改悪攻撃が始まった。こうして今、障害者権利条約に謳われた本来的な精神保健福祉政策は進まぬばかりか、地域移行が一層疎遠になりかねない。それ故当事者集団や精神医療関係者、野党は総力を挙げて阻止の闘いを組んできた。ただ他方で「人間らしく下町で」長年かけてひと同士の関わり合いを育ててきた「こらーるたいとう」の実践報告には心温まる。
<豊富な経験と柔軟なスタンスの堀さんならではの編集>
総じて、重度重症知的障害者の置かれた状況、今後のあり方を巡る家族間の対立、不透明な行政、職員の実態、さらに植松被告の衆議院議長宛文書まで含めた正確な情報・資料、それに諸論稿の数々、全国の津々浦々から沸き上がってきた施設解体と地域移行の声をコンパクトに一冊に集約した編集は、堀さんの豊富な経験と柔軟なスタンスならではの成果として拍手を惜しまない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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