住宅国有化をめぐる階級闘争――1920年代モスクワ、ブルガーコフの『犬の心臓』を観る――
- 2017年 11月 20日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
11月5日(日) ワルシャワの劇場テアトル・フスプルチェスヌィ(現代劇場)にてミハイル・ブルガーコフ(ポーランド語ではブルハコフ)の小説『犬の心臓』を観た。ブルガーコフが『巨匠とマルガリータ』の作者だと言う位の知識だけあって、彼の作品を読んだことは全くない。『犬の心臓』のこともこの時はじめて知った。
舞台のセリフの内容が95パーセントわからなかった。それでも役者の演技と5パーセントのセリフから分かった事がある。
モスクワに7部屋ある豪華な住宅を有している教授外科医がいる。その一部を貧困プロレタリアに解放させようとするボリシェヴィキ活動家達と住宅を死守しようとする教授と部下の博士との階級闘争の様相を人間社会の外部から野良犬を引き入れて、その姿を使って、描写する。そして、終幕は差し当たり教授達の勝利となる。1920年代ソ連ネップ期の社会的雰囲気が伝わってくる。
帰路の夜道で、一緒に観たワルシャワっ子は、「プリヴァティザーチャ(私有化)の話だ。」とぽつんと言った。私は「えっ!ナツィオナリザーチャ(国有化)の話じゃないの?」と応じた。1920年代モスクワの住宅国有化の問題が『犬の心臓』のテーマであるが、2017年のワルシャワっ子が『犬の心臓』を住宅私有化、正確に言えば、住宅再私有化の問題と感じ取ったのは、そのワルシャワっ子がノンポリながら、舞台上の教授・博士とは異なる社会階層に属していて、現在のワルシャワで吹き荒れる公有住宅再私有化(レプリヴァティザーチャ)の被害者になる可能性が全くないとは言えないからであろう。
帰国後、『犬の心臓』を新潮文庫版、増本浩子/ヴァレリー・グレチュコ訳で一気に読んだ。
カラブホフ・ハウスと言う豪華なマンションがある。そこに元来12世帯が入居していた。フィリップ・フィリーパヴィチ・プレオブラジェンスキー教授は、12世帯の一つであるが、7部屋の占有がボリシェヴィキ党の上部の人間とのコネクションによって許されている。それに敵意をいだいているマンション管理委員会のシュヴォンデルは、様々な手口で教授から2部屋を供出させようとする。両者間の対立の狂言回しが野良犬出身の教授の飼い犬シャリクである。教授の移植手術によって人間化され、シャリコフとなると、教授を裏切って、シュヴォンデルの側につくが、再手術によって犬に戻され、再び教授の側になって、シュヴォンデル等ボリシェヴィキのもくろみをこわす。
ここで、管理委員シュヴォンデル、プレオブラジェンスキー教授、犬人間シャリコフの思想・物の見方紹介しておく。
シュヴォンデルの発言。「住民総会では、お宅の問題を検討した結果、あなたが不当に広い面積を占有しているという結論に至りました。極端に広い面積を。ひとり暮らしなのに、七部屋もある。」(p.51)「その食堂と診察室のことで伺ったんです。あなたが労働規律に従って自発的に食堂を手放すことを住民総会は求めています。モスクワで食堂を持っている人なんかいません。」(p.52)
プレオブラジェンスキーの発言。「私は食事は食堂でするし、手術は手術室でする!そう住民総会に伝えて下さい。・・・。正気の人となら誰でも食事をする場所、つまり廊下や子ども部屋ではなく食堂で、私にも食事させて下さい。」(p54)「冷たい前菜とスープをウォッカの後に食べるのは、ボリシェヴィキの手をまだ免れている田舎者の地主だけなんですよ。少しでもプライドのある人物だったら、温かい前菜を食べるんです。」(p.63)「私はクリニックで30例観察したんです。・・・。新聞(ソヴィエトの:岩田)を読まなかった患者はとても体調がよかった。それに対して、私が『プラウダ』を読むように強制した患者は体重が減ったんです!」「それだけではありません。膝の反射が鈍くなり、食欲が落ち、・・・。」(p.65)「往復書簡集だ。あのエンゲルスとあいつ(カウツキー:岩田)の・・・かまどにくべてしまえ!」「シュヴォンデルのやつ、真っ先に縛り首にしてやる!本気だぞ!」(p.163)
シャリコフの発言。「やつら(エンゲルスとカウツキー:岩田)はなにやらダラダラ書いて・・・会議がどうの、ドイツ人がどうの・・・頭でかちで。全部取って来て分ければいいんだ。」(p.159)「簡単なことだよ。こっちに七部屋もあるマンションに住んで、ズボンを40着も持っているやつがいる。あっちはうろつき回って、食べ物がないかとゴミ箱を漁るやつがいる。」(p.160)
訳者達は、1920年代の住宅問題を本分の注4(p.25)で解説している。「革命後、政府の工業化政策により農村部から都市部に大量の人々が流入したために、大変な住宅難が生じた。この問題を解決するために、政府は大きな住居の住人に強制的に何部屋かを供出させ、そこに他人を住まわせるようにした。」しかしながら、「訳者あとがき」ではこの問題は全く無視されている。集合住宅の国有化が進行して、私有権が侵害され、そこにおける職業生活の正常な営みに支障が生じ、プライバシーさえ確保できず怒り狂う社会集団とかかる国有化のおかげでホームレス状態から脱却し、どうにか明日からの労働生活を目指せるようになる社会集団が対立・衝突する。生産の場における階級対立ではなく、住居という基本生活をめぐる階級衝突がここに生起する。訳者達は、「訳者あとがき」において、このような社会状況を「善良な犬のコロ(シャリク)から悪党のコロフ(シャリコフ)が誕生する。」(p.381)と理解する。
農村部から流入した大量の労働力は、差し当たり、モスクワでホームレスに近い生活をする人々、すなわち野良犬シャリクであるが、頭上に屋根を求めて、富裕階級の居住空間に侵入して、犬人間シャリコフとなり、ボリシェヴィキ政権と協力する。私=岩田は、かかる変身を「善良」と「悪党」と言う単純な対規定で済ますことに納得出来ない。
1920年代に現場で生きたブルガーコフの気持になれば、「善良」と「悪党」の対立・衝突であろう。ワルシャワの現代劇場作製のパンフレットにブルガーコフの体験記がのっている。それによれば、ブルガーコフの面前で彼の友人は、「同志某に住まいを分与すべし」の指示文書を受けとった。後にブルガーコフが訪ねてみると、友人の住まいは、べニア板の仕切り壁で五つの帽子箱のような長方形に区画されてしまっていた。真中の箱のベットに友人が、横に妻が、そのまた横に友人の兄(弟)が座っていた。その兄(弟)はベットから起き上らないで、片手を伸ばして、反対側の仕切り壁に妻の肖像をクレヨンで描いていた。』妻はターザンを読んでいた。
こんな調子で居住空間が五分の一にされた友人を見ていた、あるいは自分もそんな運命に見まわれるかも知れなかったブルガーコフならば、自分が拾って来て餌をあげているシャリクは「善良」である。しかし人間となるや図に乗って、ブルガーコフの家の一画を占有させよと権利のように要求するに至るシャリコフは「悪党」である。プレオブラジェンスキー教授は、ブルガーコフの分身であろう。
だからと言って、再私有化全盛期の2015年10月になっても、『犬の心臓』の「訳者あとがき」がブルガーコフに完全同調であってよい訳がない。本分の初めに記したように、住宅国有化をめぐる社会対立の演劇を再私有化における社会的悲劇と受け止めるワルシャワっ子がいるのだ。1989-1991年期のソ連東欧体制自崩以後、今日に至る同時代史は、プレオブラジェンスキー教授の復権かつ復讎の時代であるかのように見える。
教授は叫んでいた、「真っ先に縛り首にしてやる!本気だぞ!」
平成29年11月19日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7119:171120〕
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