ジンバブエを振り返る トニー・ブレアによるランカスターハウス協定の反故と白人からの農地接収
- 2017年 11月 26日
- 評論・紹介・意見
- ジンバブエ村上良太
ジンバブエで1980年代から事実上の独裁者として君臨してきたロバート・ムガベ大統領が軍のクーデターで拘束され、今月辞任を強いられたと報じられました。これが日本でどう報道されているかと大手新聞を見てみると、アラブの春と同様、腐敗した独裁政権が打倒されたというのが基本的なストーリーになっています。その核心に来るものがムガベ大統領が農業技術もない黒人に白人から強制接収した農地を分配したことにある、という風になっているのでした。
この描き方はジンバブエの宗主国であった英国とその同盟国である米国における主要メディアと基本的に同じです。日本と言う西欧の外部における独自の視点はどこにもありません。今の日本の空気として、農地を大土地所有者から実際に土地を耕している小作農に配布する改革というものは失敗したソ連の革命を彷彿とさせるからかもしれません。保守という言葉が流行するのと同じ基本思考があるのではないでしょうか。しかし、その記事は白人から農地を強制接収したと書いていますが、なぜそんなことをしたのかについてはデテールは全然触れられていません。
かつてローデシアと呼ばれ、南アフリカと並んで激しい人種差別が行われていたジンバブエはかつて英国の植民地でした。1970年代の当時はその英国からの独立を標榜するローデシアと名乗る白人政権に対してロバート・ムガベたちは隣国のモザンビークに拠点を置いたりしながら植民地解放闘争を行っていました。実質は奴隷同然の植民地的状態から祖国を解放したい、という思いは当然のものだったと思います。英国も黒人差別を容認するローデシア政府を批判する立場でした。そして1980年代にようやくムガベだちは闘争に勝利し、ローデシア政府の打倒を果たします。この時、ジンバブエの農業は簡単に言えば白人の大土地所有者と大量に存在する土地を持たないルンペン同様の黒人の小作農に二分されていたと言って過言ではありません。せっかく白人支配からの解放を果たしたとは言え、黒人の農民たちが搾取されて働かされているという事態は変わることがなかったのです。
そこでジンバブエ政府は大土地所有者から農地を一定の補償金を支払って買い上げ、土地を持たない黒人農民に分け与える、ということをやりました。その土地買い取りの原資としてムガベ政権はかつて宗主国だった英国に植民地支配の代償ということで資金提供を求めたのです。当時は英国の保守党の時代で立派だったのは英国が過去の歴史を認め、土地の補償金の原資を毎年供出することを約束して実行していたことです。ところが1997年に政権を奪い首相になった労働党のトニー・ブレアは前政権が約束していたジンバブエへの補償を反故にして一切支払わなくなったというのです。これはジンバブエ人たちから聞いた話です。ブレアがなぜジンバブエへの土地買い取りの資金提供をやめたのかと言えば、自分たち労働党は植民地支配には関与していない、という考えだったと聞いたことがあります(これについてはブレア側に確認したわけではない)。
いずれにせよ、ムガベ大統領が白人地主から土地を強制接収するのはこのブレア政権の方針転換がきっかけだったとジンバブエの人々は主張しているんです。実際にムガベ大統領が強制接収に転じたのは2000年のことでブレア時代に起きています。それまではムガベ大統領の評価は決して悪いものではありませんでした。しかし、ムガベ大統領は旧宗主国が約束を反故にしたのだから、ジンバブエ政府ももう土地を買い上げるスキームを捨て、土地を強制的に無償で取り上げることに転じたというです。このことは西側メディアにはほとんど報じられることがなかったことです。ですから、一方的にムガベ大統領が土地を白人から強制接収して、農業技術のない農民に分け与えたために経済がめちゃくちゃになった・・・こういう物語だけが独り歩きしてしまうのです。そしてジンバブエは過酷な経済封鎖をされてしまいました。
日本も英国と同様に植民地支配を行った国であり、であるからこそ、植民地支配を受けた国の人々の物語を報じる時はより、冷静に事態を見る姿勢が必要だと思います。植民地支配を受けた側の事情を理解することは、たとえ最終的にどういう伝え方をするにせよ、必要なことでしょう。ムガベが独裁者ではなかったか、と言えば独裁者だったでしょうし、そのよくない点を上げようと思えばいくらでも挙げられると思います。でも、そこだけをいくら反復しても歴史の真実にはそれ以上迫ることはできないのではないでしょうか。
補足
2年前に英国のガーディアン紙が上記のことを裏付ける記事を書いていたのを発見しました。ムガベ大統領がブレア労働党政権が約束を反故にしたことを非難している、というもの。ジンバブエ政府と保守党時代の英国政府の間で結ばれた土地買い取りのための補償金の拠出に関する交渉は”1979 Lancaster House agreement”(1979年のランカスターハウス協定)と呼ばれているようです。ランカスターハウスとは英国の国益を守る省庁の1つでそのような名称の建物があるのだと言います。以下の記事です。
※Robert Mugabe slates Tony Blair over Zimbabwe’s land reform programme (ガーディアン紙)
https://www.theguardian.com/world/2015/apr/08/robert-mugabe-slates-tony-blair-over-zimbabwes-land-reform-programme
”Mugabe has long accused Blair’s Labour government of reneging on promises of funding land redistribution in Zimbabwe made under the 1979 Lancaster House agreement. Critics, however, say it is an attempt to shift blame from his supporters’ violent seizures of white-owned farms that crippled the southern African nation’s economy.”
「ムガベは長い間、ブレアの労働党政権を非難していました。1979年のランカスターハウス協定で決められたジンバブエの土地再配分のための原資を支払うことを拒否したからでした。しかしながら、ムガベの批判者たちはムガベの支持者たちが白人所有の土地を奪ったことで経済が衰退してしまった責任をブレアに責任転嫁しているのだと言っているのです」
さらにガーディアンはこの問題の焦点となっているランカスターハウス協定の経緯についても触れていました。2002年の記事で、これは農地の接収が2000年に行われましたから比較的アクチュアルな時期に書かれたものです。以下がその記事です。
※The trail from Lancaster House(2002年のガーディアン紙の記事)
https://www.theguardian.com/world/2002/jan/16/zimbabwe.chrismcgreal
”Yet after 20 years of Mugabe’s rule – until the “war veterans” began seizing land two years ago – the picture was not hugely different. Just 6,000 white farmers occupied half of Zimbabwe’s 81m acres of arable land. About 850,000 black farmers were crammed into the rest. Since independence, only 10% of arable land has moved legally from white to black hands.”
「20年におよぶムガベ大統領の統治のもとで、独立戦争を戦った元兵士たちが2年前に農地を手に入れるまでは、農地の状況は独立以前とさして代わり映えしていませんでした。わずか6000人の白人農民が8100万エーカーの土地を独占していたのです。およそ85万人の黒人農民たちは残りのわずかな農地に群がるしかありませんでした。独立してから2000年までに黒人農民の手に合法的に移転された耕作可能な農地はジンバブエの農地全体のわずか10%に過ぎなかったのです」
独立から10年は土地問題はそのまま、というサッチャー政権と結んだランカスターハウス協定の下で、独立後20年の期間で実際に白人の大土地所有者から黒人農民に所有が移ったのは10%に過ぎなかったと書かれています。ランカスターハウス協定が結ばれ、実行されていたとしても農地の偏在は2000年の段階に至っても解消されていなかったことがわかります。とはいえ、その期間、ジンバブエの農業生産は成果を上げていました。なかなか農地改革が進まないところに後継のブレア政権が協定を白紙撤回したということのようです。記事によれば、そもそもこの協定の起こりは独立したジンバブエで白人の土地が無償で強制接収されることがないようにとサッチャーの英政府が一定の資金を拠出してジンバブエ政府をなだめ、共同で穏健な農地改革を支えることを目指したとされています。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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