ロヒンギャ問題についての若干の理論的考察
- 2017年 11月 28日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマーロヒンギャ野上俊明
ローマ法王の27日ミャンマー訪問・スーチー会談を前に決着を付けたかったのでしょうか、ミャンマーとバングラデッシュとの政府間で、ロヒンギャ帰還に向けた協定が成立したそうです。1992年に発効した協定を踏襲するものだとしていますが、国際社会が懸念し指摘してきた問題点について、ある程度考慮するものになっているようです。
協定によれば、帰還手続きを二カ月以内に開始して「合理的な時期までに」完了させるとしています。タイムスケジュールが曖昧なのは懸念材料です。1992年の協定ではラカイン州に居住していたということが文書証明できるものから帰還させたものの、10年経過してもその作業は終了しなかったといいます。今回は総数で80万人を超える難民です。ミャンマー政府が今まで頑なに拒否してきた国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の関与を認めることが文書に盛り込まれたことは大きな前進です。帰還手続の迅速さや公正公平さを保障し、かつ再定住に当たっての人権的配慮を行き渡らせるうえでのUNHCRの役割は重大です。いずれにせよ、アナン勧告にそって帰還がどのように行なわれるのか、国際世論の十分な監視が必要です。私はスーチー政権がロヒンギャ問題を本当に解決する意思を持っているかどうかをまだ疑っています。国際監視が緩めば、問題が放置されることは避けられないとみています。
さて、協定締結に先立ち、先週アメリカの国務長官ティラーソンが訪緬、スーチー国家顧問とミンアウンライン最高司令官と会談しました。会談後、ティラーソン長官はミャンマー全体に対する制裁の復活は民主化途上の同国にダメージを与えるので行わないが、迫害に関与した個人、すなわち国軍指導者には制裁を課することを検討中としました。また国連の調査団が現地に入るのを許可するよう、重ねてミャンマー政府に要請しました。
これに対してスーチー顧問府のスポースクマンは、次のように反論しました。
――ティラーソンの声明は、長期的な解決策を見出そうとするミャンマーにとっては助けにならないものである❶。 明らかなのは、この声明がARSAによるヒンズー教徒と無実の民間人の殺害に言及しなかったこと、その結論がなんら実証された事実がなくて導かれたものだということ❷である。(イラワジ紙11/24)
下線は筆者が問題にしたいところです。❶の「長期的な解決」という文言はスーチー氏の常用後ですが、たしかに異教徒間異人種間の根深い偏見と差別が絡んでいるだけに、アナン勧告の終点である「異なるコミュニテ―間の和解・宥和・共存」に至る道は簡単ではありません。しかし今までのスーチー氏の発言をみていると、深刻な人道的危機に対し緊急の行動を求める国際社会に対して、効果的な行動を起こさないことの言い訳めいてしか聞こえなかったのです。時間稼ぎの言い訳ではないかという疑念は、相変わらず払拭できていないのです。
また人道に対する罪を犯した疑いのある国軍に何らかの処罰を与えることが、どうしてミャンマーの民主化の阻害要因になるのか、その理屈が理解できません。高官による政治犯罪の免責条項を具えているのが現憲法です。国内法では国軍犯罪を裁くことはできないこと、これこそが民主化の大きな障害になっているのです。NLDが国軍と抱き合うようにして没義道の坂道を転げ落ちて行くのを見るのは、本当につらいことです。
またNLD政府に欠ける能力が浮き彫りになります。前向きな政治な構図を描き、細部を政策で埋めていくという変革期の政党政治に必要な能力に欠けているのです。ロヒンギャ問題の解決には、目的実現に至るロードマップの作成が不可欠です。短期・中期・長期の政治目標と節目を明らかにし、絶えざる検証作業を不可欠な構成要素としてときどきの政治目標にフィードバックし、軌道修正することが必要なのです。
ちなみに、中国の王毅外相は紛争解決の三段階プランとして、①停戦~平穏と秩序回復 ②暴力の再燃を防ぐあらゆる措置 ③帰還と貧困との闘いの成功による定住成功、を明らかにしました。超大国になりつつある中国は、善し悪しは別にして「一帯一路」など戦略的な構図を描く能力を有しています。日本は旧ビルマ時代から因縁浅からぬ歴史的関係にあり、現在も深く経済的にコミットしているにもかかわらず、ミャンマーと同様こうした戦略的思考が苦手で、カネで相手の歓心を買う以外の外交能力がないかのように見えるのは、かえすがえすも残念です。
❷これにはあきれて開いた口がふさがりません。国連人権委の調査団の現地入りを求める国際社会の一致した要求を撥ねつけているのが、ミャンマー政府と国軍です。fact-finding(実情調査)を一番恐れているのが彼らなのです。バングラデッシュに逃れてきた難民たちの聴き取りを精力的に行った結果でも、国軍の掃討作戦の残忍さと規模の大きさは人道上の罪に当たるといえます。これを否定するスーチー政権は今や国軍と一蓮托生の身なのです。
ミャンマーのような極端に権威主義的な社会構造にあっては、トップの言うことにはまず逆らうことはできません。国軍への融和政策はスーチー氏一人の決断から始まって、いまやNLD全体の党是になっています。国軍が人道上の犯罪を犯しつつあるときに、NLDのスポークスマンは「国軍は変わった」、だから我々の国軍への態度も変わったのだと言ってはばからないのです。こういう政治風土では、重要政策がどこか正式な党会議や党大会で決められる必要がありません。インフォーマルな耳打ちや忖度の方が力をもつのです。アセアンに新風を吹き込むだろうと数年前にはその指導力が期待されたスーチー氏です。しかしいまやミャンマーはロヒンギャ問題でお荷物にもなりかねない現状です。しかし民主主義の卓越した政治家というスーチー氏の虚像が剥がれつつあるいまこそ、逆にミャンマー人が政治家と政治の実像に向き合う機会が到来したとみるべきでしょう。政治家の質を決定するのは、大局的に見れば国民の政治力の水準なのです。まずはこの国の選良たちにこのことに気付かせ、NLDとは別の選択肢を追究し始める仕事にできるだけ早く着手するよう促すべきでしょう。
極秘のはずの掃討作戦の模様の写真が漏えいしています。ただし部隊は軍隊でなく武装警察隊でしょう。幾人かは右手にミャンマー特産の空洞のない竹を持っています。これで頭を一撃されれば、即死です。
<当日の議論から―民族ethnicityと市民権>
11月24日に行なわれた「ロヒンギャ問題報告・学習会」で、学習院大学の村主教授は新しい問題群のひとつとして、国籍(国民としての認知)と市民権(人権保護)との関係を問い直すべきであると問題提起しました。ロヒンギャに国籍が認められない、つまりミャンマー国民として認知されない場合でも、「住民」としての生きる権利は認められるべきであり、それを保護する義務がミャンマー政府に課せられているのではないか、そういう趣旨の発言でした。西側の評論家にも民族と市民権の問題は切り離すべきであるとする人が出てきています。
ミャンマーでの圧倒的世論のロヒンギャ迫害の理屈はこうです。
――ベンガリ(ロヒンギャ)は不法なバングラデッシュからの移民であり、ミャンマーを構成する135の民族に入っていない。したがって彼らには国籍は認められないし、市民的諸権利も認められない。
すでに何世代も前からラカイン州での存在が認められているにもかかわらず、不法移民扱いを受け、とくに1982年に独裁者ネウインが制定した国籍法を根拠に、政府が認定した135民族外であるが故に市民権は認められないとしています。すなわちミャンマーにおける市民権認知の枠組みは、135の諸民族のどれかへの所属―→国民として認知―→国籍付与―→市民権付与という流れです。
加えてラカイン州仏教徒たるラカイン族が特にロヒンギャの呼称を許さないのは、ロヒンギャという呼称が直ちに民族としての存在の自己主張につながるとみるからです。民族である限り自決権と分離の自由持ち出す可能性があり、「ベンガリ」の年来の主張であるとされるラカイン州の分離独立~イスラム国家建設という政治目標に正当性を与えかねないと恐れるのです。
将来的にロヒンギャとラカイン族が和解し共存共栄していくためには、いま言ったラカイン族の恐怖にも十分配慮を払う必要があります。おそらくロヒンギャの圧倒的多数は分離独立を求めているわけではなく、ラカイン州の居住地で市民として人権を尊重されて平穏に暮らすことを望んでいるのでしょう。ミャンマーには自らを「ミャンマー・ムスリム」とか「カーマン・ムスリム」とか呼んで自己同定しつつ、ビルマ族と共存している準民族集団が少なからずあります。ある程度はそういうあり方も参考にすべきでしょう。市民権を正当に認めれば、極端な主張に走ることはなくなるだろうと予想されます。
蛇足ですが、ロヒンギャの出生率の異常な高さをもって、ムスリムの征服欲を証立てるものだとラカイン人は言います。しかし失業と貧困、無学と無権利状態こそが子作りに向かわせる原因でしょう。ここでも正しい因果関係の理解を啓蒙する必要があるのです。
<ヘーゲルの思想から>
いかなる法的根拠にもとづいてロヒンギャに市民権を付与するのか―この答えの参
考になると思われることを、ドイツのヘーゲルという哲学者が「法の哲学」(1821年)で述べています。
ヘーゲルはユダヤ民族と市民権の問題に触れ、次のような所論を展開しています。
――ユダヤ人はたんなるユダヤ教徒の集団でなく、ユダヤ民族として自己主張してきたので、異国人なのだから彼らには市民権は与えないという形式論も成り立つはずであった。しかしナポレオン戦争以後、西ヨーロッパではユダヤ人に市民権付与してきた歴史がある。
ナポレオン戦争以後、つまり資本主義ないし近代市民社会の成立とともに、ユダヤ人が市民権を得てきた歴史があるというのです。とりわけ「人の譲りわたすことのできない神聖な自然的権利」を謳ったフランス革命における「人権宣言」こそが、市民権付与の原動力となったことは疑いありません。近代市民社会の産物でもあり、フランス革命の原理でもある「人権」概念(普遍的人格という形式における諸個人の基本的権利)が、市民権付与の法的根拠にもなったのです。※
※市民社会においては、(封建的な身分的束縛から脱した)各人は自由に自己の欲求の実現を追求しながら、相互に労働を交換し合い相互に欲求を満たし合う全面的相互依存の関係におかれる。言い換えれば、市民社会とは普遍的な市場関係から成り立つ経済社会である。ヘーゲルはA・スミスの「見えざる手」に倣って、市場はそこで各人が私的利益を追求しながら、結果として社会全体の公的利益に資するように働くメカニズムを具えていると考えるのです。
この市場関係における人間相互の関係の特徴は、身分的差異をはじめあらゆる具体的属性を失った抽象的で量に還元しうる関係になるということです。ヘーゲルはこの関係を主体的思想的に捉えなおせば、抽象的で自由な人格性と、相互に相手を必要とするが故に相互尊重し合う人格関係という概念が生まれるとしている。
「人間が人間とみなされるのは、彼が人間であるからであり、彼がユダヤ教徒、カトリック教徒、プロテスタント、ドイツ人、イタリア人等々であるからではない」
「ユダヤ人と言えどもまず第一に人間であること、人間であるということはたんに平板な抽象的性質ではないこと、それどころか人間であることが認められてはじめて、市民権の承認を通じて市民社会の法的人格とみなされるという自己感情が生じ、そして他のすべてのものから自由なこの無限の根柢から、思惟方法と心術の待ち望まれた同化が生じる」(中央公論社「世界の名著」ヘーゲル「法の哲学」P.505/S.421 Surkamp Verlag 1973)
つまりヘーゲルによれば、国籍、民族、資産、宗教などは人間にとって二次的副次的なな属性にすぎず、現代社会を構成する最も基本的な権利根拠は、そういう属性を剥ぎ取られた「人間そのもの」、「人間であること」であるとしたのです。したがって一国民を135の民族に分け(歴史家によれば、これ自体根拠薄弱)、そのどれかに所属することを市民権付与の条件とするのは、近代社会の原理を真っ向うから否定するものだということになります。ロヒンギャが市民権を要求するのには、「人間として」ラカイン州で集団的に生活を営んできたということで十分だということになるでしょう。我々日本人は人格上の権利=基本的人権を憲法の柱として学んできており、不十分ながらもその恩恵を受けて暮らしているので、ビルマ族仏教徒の反ロヒンギャ感情が途轍もなく「反人間的」「反近代的」なものに思われるのです。もちろん西欧社会においても、人格概念が一朝一夕に成立した訳ではありません。すべての人が(自律的な)同一の普遍的人格を有するというコンセプトは、カントらによって思想的に捉え返され哲学思想へと彫琢されて、それがやがて紆余曲折を経ながら普及し一般社会の常識となったのです。ただ人格概念には、キリスト教に由来する主体的内面的自由や近代市民社会の成立とともに熟してきた自立的人格という意味が内包されています。したがって上座部仏教を精神的基盤とするミャンマーでは、個人の自立性、自我、主体性などはむしろ実体のない「無」とみなされてしまうので、なかなか西欧的人権概念への本格的理解が進まないうらみがあるのです。しかし現状がどうであれ、ミャンマーが西洋型近代社会化への道を選んだ以上、人類が到達した普遍的な人権思想を受け入れ、それに沿って国づくりを進める以外の選択肢はないのです。さらにいえば、今日の人権概念は人間のみに関するコンセプトではなく、エコロジー的な観点を含むものに拡張されてきています。人間の復権と自然の復権は車の両輪となって現代哲学の新しい地平を切り拓くことが熱望されています。
2017年11月28日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion7144:171128〕
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