検査データ改ざんをリアルに考える
- 2017年 12月 1日
- 評論・紹介・意見
- データ改ざん半澤健市
《企業の検査スキャンダルが続発》
日産自動車、神戸製鋼所、三菱マテリアル、東レと大企業の製品検査の不備やデータ改ざんの報道が続いている。メディアはここぞとばかり企業叩きに走っている。
私はこれらの企業を無条件で弁護はしない。
しかし、報道にいくらかの違和感をもつので三点ほど率直に書く。
第一 これらの情報がどうして露見したのか
第二 これらの行為のリスクはそんなに大きいのか
第三 大企業の体質はいつから変わったのか
先ず露見の経緯が一向にわからず、報道もこの点に殆ど触れていない。四割の非正規雇用者が、薄れた「忠誠心」によって現場から情報を漏洩した。これが私の推定である。
私の実務家時代、企業内のスキャンダルを社内一致団結して隠蔽するのは常識であった。今も原則はそうであろう。企業ガバナンスや社会的責任の強化は、隠蔽洗練化の変形である。スキャンダルがそういう新制度で劇的に暴露された事例を私は聞いたことがない。しかし「隠蔽ファースト」の常識は、ゆっくりと崩壊を始めているのではないか。その崩壊は、おそらく「正義」「義憤」でなく「怨念」「復讐」の心情に起因しているのであろう。
《スキャンダルか「商習慣」か》
次に、誤解を恐れずにいえば、変則検査は日常的な「商慣習」ではないのか。そして「リスク」は小さいのではないのか。「特採」(特別採用)は「法的には問題ない」とする企業側の発言は、愉快ではないが、それを示している。本当に重要なリスクなら、買い手企業にも重大な責任がある。リスクが現実となれば、買い手も売り手も、手が後ろにまわるのである。そこまで行かないのを、取引する企業は承知していると私は考える。
そして、私のいうこの「商慣習」が実在してきたのであれば、それはいつからなのか。
戦後高度成長期を通して、ずっとそうであったのではないのか。ただし、である。
上記企業の検査不備の一部は30年から40年前から起きていたという報道があった。それは大いに気になるところである。検査不備は「グローバリゼーション」の日本侵入と時を同じくしている。「過剰性能」で世界に進出した日本製品は「日本的経営」に依存していた。年功序列・終身雇用・企業内組合である。「グローバリゼーション」はそれを徐々に、または急速に、崩壊させた。国際競争が激化し、その対応のために「特別採用」と「情報漏洩」が増大したのである。
《愛憎半ばするというのは大袈裟か》
私の中に、日本企業を今も信頼したい気持ちと、日本企業の「劣化」を懸念する気持ちが共存する。そんな愛憎半ばする気分でここまで書いてきた。私が金融企業の現場を離れて四半世紀になる。企業のリアリズムは私の想像を超えているかも知れない。OBと現役からの反応が聞ければ有り難い。最近は何でも「劣化」一語で割り切る論議が多い。それは何も言っていないに等しい。内容に即した実質的な論議に発展することが望ましいと思う。(2017/11/29)
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