周回遅れの読書報告(その36) 共同体の規定、その実体と空洞化
- 2017年 12月 2日
- 評論・紹介・意見
- 脇野町善造
だいぶ前に、中村吉次教授の共同体論を読んだことがある。当時まだ存命であった降旗節雄教授の推薦だったと思う。例によって、内容は殆ど覚えていない。僅かに次のような三つの小さな論文に書かれたことが記憶に残っているだけである。
中村教授は共同体を次のように規定する(「共同体の残存について」『社会史論考』所収340頁)。[]は引用者による補足。下線部は引用者が付加したもの(以下、敬称略)。
[共同体では]人と土地(生産者と生産手段)は不可分である。離すことはできない。人と人とは、直接的なpersonalな関係にある。無媒介の人格的結合である。村と家は、同じ性格における二重構造である。身分社会といい同族社会という性格がそこにある。封建制というのは、そういう基礎の上に構築された支配体制であり、社会関係である。
中村は封建制を生産関係に基礎を置いてとらえるから、主として肥料の側面における商品流通の拡大によって農業生産における家の非独立性の基盤が失われた江戸時代(とりわけその後期)の封建制を「空洞化」した封建制とする(「近代化と共同体」『社会史論考』所収321頁)。
勿論、明治維新後も農村集落は地租改正という制度的変化はあって、村落という集団は基本変化を受けずに存続したわけであるが、土地との結びつきを失い、生産関係における共同性を失ってしまっていたわけであるから、村落は単なる近隣関係に過ぎなくなるとする。そして「性格的に共同体的な本分家の消滅した上にかぶさった地主小作への移行であって、地主小作関係が空洞化した本分家関係を持つということである」とする(「共同体の残存について」『社会史論考』所収343-4頁)。
そして中村はこの空洞化した共同体を生産関係次元での実態を持った真の共同体と混同することに共同体論議の誤解の原因があるとする(「共同体論あれこれ」『社会史論考』所収357-8頁)。わたしもまた空洞化した共同体を真の共同体と混同していた。しかし江戸時代の共同体が「空洞化した共同体」であり、明治以降の地主小作関係は、「空洞化した本分家関係を持つ」ものにすぎないとされると、戦前にあれほど真剣に闘われた日本資本主義論争は、その根本的な部分で誤解があったのではないかと思ってしまう。
いままた、資本主義の次の世界のイメージとして「共同体」が語られることが多くなってきているが、「共同体」が本質的には、「身分社会」であり、「同族社会」であるとする中村の共同体論を熟知して語られているとは思えない。資本主義に代わるものとして「共同体」を語るのは自由であるが、その場合に、「共同体」がどういうものであるかを丁寧に説明(定義づけ)しておかないと、大きな誤解が生まれる恐れがある。論争は歓迎されるべきではあるが、本質的部分で誤解があれば、論争はひどく不毛なものとなってしまう。それを防ぐためにも、中村の共同体論にもう一度目を向けてみても、いい。
とはいうものの、『社会史論考』を含む中村『社会史への歩み』全4巻は、とうの昔に書棚から消えている。もう読むこともあるまいと思っていたからである。中村や、戦前の東北大学で中村の影響を受けたとされる宇野弘蔵らが死んでもう随分経つ。中村の共同体論もすっかり忘れられている。中村は忘れられていいであろうが、その共同体論はそうではない。そのことを反省した。
本文中で触れた中村の論文の初出は次の通り。
近代化と共同体(国学院大学『日本文化研究所紀要』第25輯 1970年3月)
共同体の残存について (『伝統と現代』第43号 伝統と現代社 1977年1月)
共同体論あれこれ (『社会科学の方法』第10巻第4号 御茶の水書房 1977年4月)
3つとも中村吉治『社会史論考』(刀水書房、1988)所収。頁は同書のもの。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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