元号命名権という発想
- 2017年 12月 15日
- 評論・紹介・意見
- 澤藤統一郎
私にも、少数ながら顧問先というものがある。本日、その忘年会の席で元号問題が話題となった。元号の不便さを語り合ったあと、「年号の命名権はどうだろう」と奇想天外な発想を聞かされた。
提案は、値段は1兆円程度で、期間は4~5年ということだった。4~5年で年号を変えるのは短すぎるかも知れない。ならば、2兆円で期間10年ほどでは。買おうと名乗り出る、大金持ちや企業があるのではないか。複数希望者があれば、入札すればよい。国庫が潤うことになる。福祉予算が充実する。
その年号使用を民間に強制するわけにはいかないが、官庁や公的機関には義務づけることができる。なによりもNHKが律儀に使用するだろう。もしかしたら産経も。
もし、トヨタが名乗り出れば、「平成31年」が終わると「トヨタ元年」が始まることになる。トランプが金を出せば、「トランプ2年」。アラブの王族の場合はどうなるだろうか。
「明治以来は、一世一元。元号は天皇の代替わりと結びついている。天皇はどうする?」と投げると、「民主主義の世に相応しく、天皇も選挙で選べばよい」。なるほど。それなら、元号の存続期間と公選天皇の任期を一致させた方が分かり易いかも知れない。むしろ、元号の命名権と皇位をセットで売りに出してはどうだろう。資本主義時代の天皇と元号のあり方に相応しいではないか。
皆したたかだ。天皇の権威に、おそれいる空気はない。
ところで、元号は不便だ。西暦との二重表記は面倒きわまる。いずれ、西暦が元号を駆逐する。これを危機と感じる保守派が、元号法を作った。絶滅に瀕する前に、虚弱な元号を滅亡から救おうという感覚。
元号法が成立したのは1979年6月6日。当時は大騒ぎの対決法案だった。
同年4月20日が第87通常国会衆議院本会議での採決の日。この日、社会党・共産党が「元号法」に反対の議会演説をしている。気合いがはいっているし、格調も高い。そのさわりをご紹介しておこう。
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[山花貞夫] 日本社会党を代表して、ただいま議題となりました元号法案について反対の討論を行うものであります。
元号法制化は、天皇を元首化、神格化しようとする思想的潮流に法的な保障を与えようとするものであり、主権在民を掲げる現憲法に明白に違反するものであります。わが党は、これを断じて認めることができません。
政府は、元号法制化の根拠を象徴天皇制に求めました。しかしながら、現憲法における象徴天皇制は、明治憲法におげる天皇主権と、統治権の総攬者たる天皇を中心として構成されている国家の統治機構の全体を否定したところから誕生したものであります。天皇支配の国家体制を象徴した一世一元の元号制は、国民主権の原理を掲げる現憲法下で認められる余地はありません。
政府は、この元号法案の今国会における成立を至上命令としてきました。委員会における審議も日程の消化だけが推し進められ、議論が尽くされないまま採決に持ち込まれたのであります。国民の間で意見が大きく分かれている元号法制化問題が、一政党内の派閥の調整に利用されてはなりません。また、多党化時代における政党連携の手段とされてもならないのであります。
国民の多数は、元号法制化に反対しているのであります。
最近のマスコミの調査によれば、政府の主張とは全く逆の世論が明らかにされています。各新聞社の調査によると、元号法制化賛成はおよそ20%前後にすぎないのであります。この世論の動向に照らせば、全国の自治体における法制化決議の正体もまた明らかであると言わなければなりません。(拍手)
多数の力による世論の捏造は、民主主義の危機をもたらすものであります。
次に、元号法制化賛成論は、元号が1300年以上も続いた国民的文化遺産であることを強調いたしました。時の権力者が、人民と領土を支配するとともに、その時代をも支配する象徴としてみずから権力的に決定した元号の制度をもって文化的伝統とするがごとき議論は、文化の何たるかを知らない議論であると言うべきであります。(拍手)仮にこれを文化的伝統と言うならば、それは権力者のための文化であり、国民とは無縁であります。文化は、国民の生活の中から生まれるものであり、国民の日常生活の中から創造されるものであります。文化を法律によってつくり出そうとする議論のごときは笑止と言わざるを得ません。
改元は、国民生活に大きな影響、混乱、損害を与えるものであります。この元号問題についての国民的合意が形成されていないのはもちろん、これに関する議論もいまだ未成熟な中で、未来に生きる子供や孫たちに法的な拘束力をもって元号を押しつげることは許されません。それは、歴史に禍根を残すものであると言わざるを得ないのであります。〔拍手〕
しかも、元号法制化は、思想、表現の自由など、国民の基本的人権を侵すものであります。政府は、この法律を国民には強制しないと強調いたしました。しかしながら、国会答弁においては、公務員にそれを強制することを通じて、官公庁の窓口では事実上国民に強制することが明らかになったのであります。
かつて、内閣は、原田実参議院議員の質問主意書に対し、こう言っております。もし元号の使用を国民に強制しようとするのであれば法律を必要とすることは当然であるが、そうでなければ必ずしも法律によることを必要としないものと考えられる、こう答えていたのであります。すなわち、元号の法制化は強制を伴うものであることを政府みずから認めていたのであります。
また、政府は、元号法制化はイデオロギーとは関係ないと繰り返し述べてきましたけれども、事の真相を押し隠そうとするものであると言わざるを得ません。元号法制化のねらいは、国民思想を天皇制のもとに統合しようとするところにあります。それは、君が代、日の丸、靖国、教育勅語、軍人勅諭などと深いかかわりを持って天皇制賛美の思想的渦流の中心にあるものなのであります。天皇主権の復活を目指す一部勢力の要求にこたえたものであります。
国民は、過日の防衛大学校の卒業式において、元号法制化実現国民会議議長石田和外元最高裁判所長官が軍人勅諭を賛美した事件…に不安を感じています。
わが党は、以上の立場から、大平内閣に対し元号法案の撤回を強く要求し、かかる反動的、反憲法的な法案を強行せんとする大平内閲の政治姿勢を強く糾弾するものであります。(拍手)
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[柴田睦夫]私は、日本共産党・革新共同を代表して、元号法案に断固反対するものであります。(拍手)
反対理由のまず第一は、本法案が、現憲法の主権在民原則に逆行するということであります。元号制度が中国でつくり出され、その後、わが国を含む東アジア諸国を中心にして使用された君主体制に固有の政治制度であり、明治になって一世一元が制度化されて以降のわが国の元号制度、が、天皇主権、天皇の統治権と不可分の政治制度であることは、政府みずからが委員会審議で認めたところであります。
戦後、主権在民の現憲法施行と同時に、一世一元の元号制度の法的根拠が失われ、元号制度がなくなったのはきわめて当然であります。元号制度が現憲法の主権在民原則に逆行することは、新しい皇室典範から元号制定の項が削除されたことや、1946年の元号法制化の企てが、準備中の現憲法の精神に逆行するものとして断念された経過などによっても全く明白であります。
天皇の在位期間に応じて年号を変える一世一元の元号を制度として復活させ、恒久的に固定化することは、現憲法の主権在民原則に逆行する、まさに時代錯誤の非文化的愚行と断ぜざるを得ないのであります。(拍手)
第二は、本法案が、天皇元首化、憲法改悪を目指す法制化推進派の反動的な企てと不可分であり、軍事ファシズムの路線に立った重大な政治・思想反動の一環をなすものであるということであります。
本法案は、まさに、戦時立法、君が代国歌化、教育勅語や軍人勅諭の礼賛、靖国神社問題などとともに、対米従属下の軍国主義復活の路線に立った重大な政治・思想反動の一環をなすものであり、断じて認めることができないのであります。(拍手)
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便利・不便もさることながら、元号問題は天皇制問題にほかならない。元号の存続は天皇制の存続でもあり、象徴天皇制の変質の問題として捉えられていたのだ。
あらためて、元号使用を社会から廃絶したいものと思う。
(2017年12月14日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2017.12.14より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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