テント日誌12月15日…沖縄の辺野古新基地反対闘争の写真を
- 2017年 12月 18日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
沖縄の辺野古新基地反対闘争の写真を回しみた 12月11日(月)
きょうは晴れて陽射しが強く暖かい1日だった。先週、急きょ沖縄の辺野古新基地建設反対闘争に行ってきたので、その様子が良くわかる写真集を買ってきたのでみんなにみてもらいました。沖縄のことはみんな関心がありおおいに盛り上がりました。わたしは他の会議があり一時間ばかりでテントを離れました。夕方帰って来たら韓国サンケン闘争でお会いしたMさんとレジェンドSさんが座り込みをされていた。お二人とも元気そうで何よりです。テントを離れている間にあった出来事といえば警察車両が廻ってきて、早くここから退去して下さい、と言って来たことぐらいだったとのことです。平穏無事に終わった1日でした。(保)
「山城裁判を知ろう」に出掛けた 12月12日(火)
座り込みの準備を終わると、直ぐに制服の警官がやって来た、今日は何人位来ますか?(そんな事知るわけが無いので無視)逆にこちらから、貴方はどなたですかと問いかけると、機動隊の松田ですと真面目な返答(かなりの好青年でした)
12時半頃に10時から参議院議員会館で開催された、「大軍拡にNO!の声をあげよう」の集会に参加されたIさんと、Kさんが来られ、暫く6人が座り込む。
気温は低かったようだが、幸い風も少なく太陽の恩恵を受けて、日陰になるまでは比較的に楽な前半の座り込みであった。
後半の担当者も早目に到着したので、私達3人は17時開始の「山城裁判を知ろう」~山城博治さんが語る沖縄の現状とこれから~ の参議院議員会館講堂の集会に後半組に後を託して出かけた。その集会は、なんと300名の講堂が満席で、補助椅子まで出す盛況でした。この様子は直ぐに、動画にアップされると思いますので是非ともご覧ください。明日は10時からの井戸川裁判(福島被ばく訴訟)傍聴に行く予定です。(Y・R)
いろいろと賑やかな経産省前だった 12月13日(水)
今日は東京で最低気温-1度、最高気温9度ということだ。北国は吹雪のようだ。ところが、グッズの台車を運んでいくうちに暑くなって、グッズをセットするときはコート類をぬぐ状態。座り込みを始めるとやはり寒い。
今日は午前中に、井戸川さんの裁判があった。代理人(弁護士)の準備書面の説明だけで、すぐ終わったそうだ。午後に報告会。
座り込みを始めて少ししたらKさんが来て、あれこれと話す。Oさんが愛媛のおいしいお菓子を持ってこられていただく。今日は保さんが沖縄から帰って来られて登場。パンを持ってきてくださる。これもみんなで分けていただく。(T)
テントには2時過ぎに着いた。早番のTさんは用事があって帰られた。空は晴れていて陽射しが暖かく過ごしやすそうだ。座り込みは常連が中心だったが、午前中から井戸川裁判に来られた方がちょくちょく寄って下さったので賑やかな1日だった。
賑やかといえば2時半過ぎに英語講師をされているIさんが広島高裁判決の第一報を知らせて下さった。詳しいことは分からないが住民側の伊方原発に対する差し止めが認められたということだった。座り込み一同おおいに元気をもらった。春の広島地裁判決が余りにも再稼働を推進する安倍政権に忖度した判決だったので。その後、差し止め期間は来年9月までとの事だがその理由も分からず明日の新聞を読んでたしかめたいと思った。
午後3時から、「『鎮魂 死者が裁く』日本祈祷団47士」の人たちによる歌と祈りの儀式が行われた。
20名程の僧侶集団が突如テントひろば前に現れた瞬間からそこには結界が作られ宗教空間となり、多くの通行人が経産省の敷地内を通っていった。これには警備員もどうすることも出来ず傍観するしかなかった。
祈祷(呪殺)集団の安倍政権に対する告発は一時間に及び、ここを何気なく通っていた人達には、現下の危険極まりない情勢の幾つかは理解されたことを祈るばかりだ。
陽射しがあった天候も太陽がビルに隠れるとともに南方には黒雲が現れ風も強くなってきた。Tmさんが持ってきてくれたLED電球を取り付けたのだがこの冬一番の風に抗し切れず一瞬の内にバタバタと落下してしまった。地面に落ちた豆電球は点滅していたからよかった。その後は残った半分の点滅を眺めながら通行人に原発反対を訴えた。広島高裁の判決には通行人も耳を傾けたのではないかと思っています。(保)
そういえば多くの訃報を聞いた一年だった 12月13日(水)
「暑さ寒さに苦しんだものでなければ英雄のことなんか分からない」。記憶は定かではないが高校生のころ好きだったゲーテの格言集の言葉だ。若いころは体力だけは自信があったせいか寒さにも強かったのだが、今は少し臆病になっている。寒さは身体にこたえるし、幾分かの用心をしている。経産省前にくるペースもそれで落ちてきているのだが、この寒さの中で足を運んでくれているひとに本当に感謝をしている。今日は日本祈祷団の月例祈祷会「鎮魂 死者が裁く」があったので、経産省前にやってきた。
祈祷会は会を重ねるたびに魅かれるようになっている。「死者が裁く」という意味も分かりやすくなってきたし、この祈祷会に加わることも楽しい。僕は子供のころから死の事を考えて来た方だが、「死者が裁く」という形で死や死者のことを考えるということはなかったので初めはいくらかの戸惑いもあったのだが、今はその意味も分かるようになってきた。そう思っている。僕が死という言葉に心が震えた経験をしたのは幼少のころだった。祖母(祖母は僕が二歳くらいのころに亡くなったらしいが記憶はない)を亡くした祖父が寂しかろうということで僕は祖父と寝ていた。
祖父は若いころに単身でカナダに出稼ぎに行っていた冒険心に富んだ明治人だったが、信仰心も篤かった。カナダでの生活やいろいろの物語をしてくれ、また、縁日やお寺参り,説教会などにも連れて行ってくれた。地獄や極楽の図を見せられたし話もしてくれた。そうしたついでに死のことも話してくれたのだった。祖父にとっては何気のないはなしだったのだろうが、幼少の僕には大変な衝撃だった。死という言葉に不安にかられ、こころはいいようのない震えにみまわれた。この世から父や母がいなくなるということに絶望的な気持ちになったのだ。そしてこのこころの震えは死を考える契機としてその後に強く残ってきたように思う。
高校生のころに三木清の『人生論ノート』でもっとも強く魅かれたのも死についての考察だったし、後に親鸞に魅かれたのも死についての考えだった。三島由紀夫でなく吉本隆明に共感してきたのも死について考えが大きく作用していたともいえる。この辺はあまり触れないが、僕はずぅーと死について考えてきた。こうした中で死を考え続けてきたのだが、死ということを考える場合に、死を考え続ける上で、死という事をかんがえることには二つの要素があり、そこは区別しつつ考えて行く他ないことを知った。それは自己の実存を対象にして死を考えることと、他者の死を考えることにおいてだ。これは死を自己の生の内に生きさせることにおいてと行ってもいいものだ。死という言葉、あるいは観念を感がるづけることと、他者の死を考えることと言ってもよい。このことは話せばながくなるから端折るが、他者の死に直面することにおける死のこと、あるいはそれに僕らはどう対応すべきかを教えてくれたというか、多くの示唆を与えてくれたのは祈祷団の祈祷会だった。
死は個別的に訪れものだが、僕らはその個人は自己の経験することはできない。だからそのことを言葉にすることはできない。どこまでも死という言葉、観念を考え続けるだけである。そこでは死を考えることが生を考える契機になるということが意味であり、大事なこととなる。しかし、他者の死に直面して死ということを考えざるをえない現実がある。あるいは僕らが死という事を意識させられるのは他者の死に直面して、ともいえる。僕らは様々の形で他者の死に直面し、悲しみや嘆きという意識への波紋としてそれを受け止める。他者の死は僕らにとって関係の断絶であり、関係の欠如である。この断絶や欠如の感覚が悲しみや嘆きであり、失われることの哀しみや悔恨である。
この事態は自己の生にとって大きな打撃であり、不幸である。子を失った母親の嘆きである。僕らは失われた関係、あるいは存在を取り戻そうとする。それは子を失った親の嘆きでもある。もはや子供が帰らないとしても、嘆きの内に子供は親の内に生きているのであり、それは人間的な行為そのものなのだ。子供の死は親にとって断絶や失われたものだが、たとえ嘆きであれ、子供の声を聴くことで、子供は親の内に存在し続けている。こうした、事態は他者との関係においてだけではなく、また、自己関係においてもあるものだ。僕らは時間の中で、多くのものを失い、自己の内で断絶を経験している。そして、記憶やその再生(現存化)においてそれを取り戻そうとする。これは内において死者の声を聴こうとしていることなのだ。だから、死者の声を聞くとは死に行く己(過去化する己)を記憶することでもあり、自己の内に現存在化させることなのだ。それによって現在の生を照らし、豊かにしていくことである。現在というものはそのように満たされていくものであり、生の生産とはそういう行為なのだ。生という器の水が満たされる、それが続けられるということはそういうことなのだ。歴史が僕らにとって大事なのもそのためである。
死者のこえを聴くことは僕らの生を生なるものにすることなのだ、僕らは他者の死に直面して受け取る哀しみや悔悟の思いを死者の声を聴くことによって、失われた関係を保持して行くのだ。僕は「死者が裁く」という祈祷会の中でこういうことを学んだ。
それにしてこの一年は多くに訃報を聞いた。年のはじめに立て続けに親しかった友の訃報からはじまって年末に至るまでそれは続いた。塩見孝也さんことは以前に伝えたが、テントに泊まっていた山崎耕一郎さんも少し前に亡くなられた。確か、月曜日の泊りをやっていただいていたのだと思う、彼は古くから知り合いだったが僕と同年だったように思う。持久戦という闘いではこういう形で訃報を聞くことになるのかと思うが、彼等の事を時には思い出し、対話をしていくことになるのだと思う。(三上治)
風が冷たい一日だった、でもいろいろの行動があった 12月14日(木)
冷たい北風が強く吹いていたのでバナーを付けるのをあきらめた。
Yさんが幟旗を付けた椅子を4連に括り付け風で倒れるのを防いだ。
この冬私が経験した一番の寒さではないかと思う。
12時過ぎ「重慶大爆撃裁判弾劾控訴審不当判決霞が関デモ」が通った。
街宣車から女性が「脱原発テントの皆様寒い中お疲れ様です」と声をかけてくれたのでYさんと手を振って答えた。デモに参加していた青年が寄ってしばらく話をしてカンパしてくれた。以前テントのバッテリーの修理などをしてくれた方で川内テントに顔を出したこともあるのでYさんと話が弾んでいた。
少しして通りがかりの男性が写真を撮らせてくださいとやって来て経産省の敷地の中から撮影していると警備員が飛んできて文句を言っていた。丁度居合わせたTさんが出て行って事情を聞くと、抗議行動やっている人は敷地内に入ってはいけないそうだ。変な話!
彼はその対応に怒り一言言わなきゃ収まらないと経産省に向けて「再稼働やめろ!」「福島の人たちのことを思え!」「国民の声を聞け!」「経産省は責任を捕れ!」「国民の命を守れ!」などなど大声で叫んで帰った。
寒い所大変ですねとカンパしてくれた人もいて励みになった。
2時半過ぎY子さんが来てくれ午後番の人も現れたので私は帰途に着いた。(I・K)
東京は暖かいですねの声は北海道の方から 12月15日(金)
ずっと低温が続く。防寒対策はばっちり。しかし、まだ12月だというのに、1月、2月になったらどんな対策をすれば良いのか途方に暮れる。それぐらい寒い。
この様な中で座り込みをしていて、時々「頑張って」と言って通り過ぎていく人がいる。しばし、寒さを忘れさせる言葉掛けだ。月並みであるが嬉しい。一時であるが陽が差してきた瞬間があった。ほっとする一時である。
3時頃、「東京は暖かいですね。」と声をかけられた。見ると、男性が1人コートの前のボタンをはずして立っている。「どこからですか?」と訊ねると、北海道だということが分かり納得した。仕事の関係で東京に出てきたので寄ってみたとのこと。
北海道では泊原発があるけど、あれ(泊3号機)は当分再稼働できないと言う。なんでも北電(北海道電力)が規制委員会の安全審査会で出してきた資料には、原発敷地内に活断層がない証拠としていた約20万年前の火山灰層が、今年改めて調査したところ見つからず、安全性を規制委員会に明示できないと言うことだそうだ。北電が資料を改竄(?)したのではと言う疑惑がわき起こっているそうだ。規制委員会でさえ呆れているそうだ。
広島高裁が伊方原発に出した停止命令や泊の話を聞くに付け、寒さに負けず頑張っていきて良かったと思う。再稼働反対を粘り強く訴えていこう。(S・S)
金曜経産省抗議行動:伊方差止、再エネ、沖縄、重慶、泊、甲状腺がん等の訴え 12月15日(金)
文科省前の朝鮮高校差別反対のコールが終わる頃、経産省本館前で抗議行動を開始。広島地裁の伊方原発稼働差止決定が出て皆元気。沖縄でのヘリ窓の小学校校庭への落下に怒り。閉鎖を日米政府で合意してから既に20年も経っている世界一危険な普天間基地のヘリだ。12日に参議院議員会館講堂を一杯にして山城博治さんが元気に歌った「座り込め」を本館前でも高らかに歌った。
続いて、世界は再生エネル時代であるのに、日本が未だに原子力にこだわっている愚かさを若い女性が訴える。通りがかったテント裁判の一瀬弁護士からも一言。脱原発を訴える経産省前の座り込み・抗議行動支持とともに、重慶爆撃とその裁判(1939年から1941年にかけて日本軍が国際法に反する無差別爆撃をし、多数の中国民間人を殺戮し家屋を崩壊させ、日本政府が謝罪と賠償を求められている)の話。
更に、常連さんとともに、フリーカメラマンの西中さんから経産省批判、北海道からCさんから泊が止まっている、亀屋幸子さんから小児甲状腺がん多発、と短時間に盛りだくさんのアピールを聞き、最後に経産省に総ての原発を止めろと強く訴えた。(K.M)
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経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その52
原子力発電の神話をこれ以上増やすな
~高木仁三郎が早くに予測していた原発の数々の問題点~木村雅英(経産省前テントひろば)
高木仁三郎の「原子力神話からの解放~日本を滅ぼす九つの呪縛」(講談社α文庫、762円)を読み直してみて、私たちが今強く実感していることを高木さんは2000年に呪縛(神話)として書いていたことを再確認した。
以下に目次を紹介する。
第1章 原子力発電の本質と困難さ
第2章~第10章
「原子力は無限のエネルギー源」 という神話
「原子力は石油危機を克服する」 という神話
「原子力の平和利用」 という神話
「原子力は安全」 という神話
「原子力は安い電力を提供する」 という神話
「原発は地域振興に寄与する」 という神話
「原子力はクリーンなエネルギー」 という神話
「核燃料はリサイクルできる」 という神話
「日本の原子力技術は優秀」 という神話
第11章 原子力問題の現在とこれから
○原子炉の老朽化症候群
○原子力産業の斜陽化症候群
○廃炉の時代の諸問題
○放射性廃棄物と余剰プルトニウム問題
そう、経産省により、既に20年以上前から沢山の愚かしい「神話」が造られて「国民」を「呪縛」していたのだ。
おまけに、経産省は懲りもせずに10番目の神話「大事故が起こっても電力会社はつぶれない」、第11番目の神話「放射能被ばくの影響は過小」を造ろうとしているようだ。
一方、第11章に予想されていたことが今現実に起こっているのだ。
これら再確認しながら脱原発を実現しよう。
12月19日(火)大間原発NO!スタンディングデモ
場所:電源開発本社前(東銀座) 地下鉄日比谷線東銀座A4出口3分
時間:16時30分~17時30分 フルMOXなんてごめんだ!
12月19日(火) 「安倍内閣退陣 改憲阻止」総がかり行動
12月19日(火)18時30分~衆院第二議員会館前中心に
12月22日(金)5時~6時経産省前抗議行動(テントひろば)
官邸前抗議行動は6時30分から(首都圏反原連)
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