翼賛と動揺と逃避が新聞の大勢 ―2018年元旦の全国紙を読む―
- 2018年 1月 3日
- 時代をみる
- 2018半澤健市社説
元旦全国紙読み比べは9回目である。毎年、悲観的な評価になるが今年も同じである。結論から先に言うと今年の全国紙は、分析・展望・提言のいずれにも、自信にあふれた文章が殆どない。今年が、戦後民主主義の運命を決まる年、なのにである。論調に、「翼賛」「動揺」「晦渋」「逃避」などが強く感じられた。「正論」は少数であった。いつもながらいくらか教条的な立場から発言する。
《社説を読むと全体像がわかる》
社説から見てゆく。
『読売』社説は一頁の半分以上の長文である。北朝鮮の脅威を説いて抑制の必要を強調する。しかし予測不能のトランプに対する全面支持には懐疑的で「日本などの同盟国による適切な助言と働きかけが今後も不可欠だ」という。トランプ一辺倒の安倍に適切な助言ができると思う神経に驚愕する。安倍内閣・黒田日銀による異次元緩和の失敗も弁明できず「金融政策の総括が必要だ」と述べている。長文にしては事実の列挙と誤診に終わっており内容に乏しい。なお、同紙の英文姉妹紙 The Japan News にこの社説を日英両文で掲載している。
『産経』は、社説と言わず「年のはじめに」という石井聡論説委員長による文章である。「戦後最大の難局をかかえて越年」した「国も個人も自らの進路を決める」要ありという。自衛隊の活躍に敬意を表するが、安倍の説明責任や異質なトランプにいくらか批判的に言及し「どう生きていくか能動的に考えたい」という平凡な結論を示している。米海兵隊員の日本人救済の善行への謝意が執拗に記載されている。
読売と産経に比べると『毎日』社説「国民国家のゆらぎ」は時間軸が長い。
「自分のことは自分で決める」民主的な国民国家は、いまでも有効なモデルであるとしながら、米国を筆頭に揺らぎとほころびが始まっているという。グローバル化への抵抗と「枠内に押し込まれた民族や地域の違和感」が原因と指摘する。沖縄を例示して次のようにいう。「日本も例外ではない。沖縄は明治初期の琉球処分で日本に統合された歴史を持つ。今も重い基地負担に苦しむ沖縄を追い立てるような風潮は、本土との一体感をむしばむ」。この言い方に、私は、客観主義を装った当事者性の放棄を感ずる。無責任な言葉だと思う。沖縄問題を論ずるときメディアは必ず「県民の反発が強まっています」という。なぜ主語は「県民」なのか。米ヘリが国会議事堂に落ちても、我々は「国会議員の反発が強まっている」というだろうか。首相官邸に落ちたら、皇居に落ちたらと考えてみよ。
『朝日』も「より長い時間軸の政治を」と題して、安倍内閣の「場当たり的な政権運営」を批判する。政治学者飯尾潤の「政権維持が自己目的化し、長期的見通しや政権担当期間を通じてのプログラムがない」を引用する。
私はこの場当たり的手法の批判には賛成である。しかし朝日の社説は「どのように」についてだけ語るだけで「何に」ついてを語らない。「護憲・軍縮・共生」(我が「リベラル21」の理念)について語らない。2018年における日本の危機は「護憲・軍縮・共生」の危機であるのに、朝日社説は日本政治に関して「どのように」しか語らないのである。
『東京』社説は「明治150年と民主主義」と題して、旧憲法が「絶対的天皇制ではあるが、立憲制と議会制をしっかり明記した。日本民主主義のはじまりといわれるゆえんです」と認識する。そして、作家堀田善衛がベネチアのサンマルコ広場に、伊藤博文を立たせたエッセイを引く。「堀田はこう記します。〈重大事が起こったときに、共和国の全市民がこの広場に集まって事を議し、決定をし、その決定を大聖堂が祝認するといった政治形式を、(伊藤は)一瞬でも考えたことかあったかどうか〉」。はるかに時空を駈ける想像力豊かな文章である。
しかし明治憲法は、結局プロシャの憲法を真似た。後進国の近代化に不可避な「国家を個人より優位に置く官僚指導型国家」を目指さざるを得なかったと書く。しかし民主主義の水流は、自由民権運動や大正デモクラシーの高揚として続いていた。「しかし広場は不要、もしくは悪用され、やがてドイツも日本も国家主義、軍国主義へと突き進んで無残な敗北」を迎えた。1948年の世界人権宣言を基底にもつ「国家より個人」を優先する戦後民主主義は、しかし今どうなっているのか。そこには「格差」拡大と一強政治の「独走」がある。広場の声と政治がずれている。社説は次のように結ばれる。「思い出すべきは、民権を叫んだ明治人であり、伊藤が立ったかもしれない広場です。私たちはその広場の一員なのです」。
『日経』社説の現状認識は極めて楽観的である。世界経済、日本経済とも好調であり今年は更なる拡大が期待できる。「国内政治も波風の少ない年である。衆院選は終えたばかりで、参院選も19年夏までない。(略)総裁3選ならば20年の東京五輪・パラリンピックをまたぐ超長期政権が現実味を帯びる」というのである。この順風の時期に「政府のやるべきことは何か。超高齢化社会を乗り切る社会問題と財政の見取り図をきちんと描くことにつきる」のである。ここには「北の脅威」、「トランブの奇矯」「改憲論議」は一言も出てこない。情報産業の雄たる日経の「マーケット史観」「損得史観」が鮮やかに表現されている。
6紙の社説を総括する。『読売』、『産経』の政権広報任務は健在。『毎日』、『朝日』の腰の座らなさ、日本近代史を踏まえた確かな『東京』、経済だけに強い脳天気な『日経』。以上である。
《一面トップと「特集」をみていくと》
圧倒的なスクープ記事はない。「北朝鮮の脅威」に関わるものが多い。産経の「中国2020年までに空母4隻」、読売の「中露企業 北へ密輸網」、毎日の脱北高官インタビュー「拉致解決 資金援助が条件」の三つがある。日経は「パンゲア(すべての陸地)の扉」でIT革命の展望をしている。朝日が「仮想通貨長者 把握へ」、東京が「福島除染 手抜き」である。読売、産経は、政府翼賛の危機煽りにみえる。
以下、一般記事や特集をピックアップしてみる。
朝日は「挑戦の勧め」、「平成とは」、「幸せの形」といった連載を始めた。歌手矢沢永吉、芸人田村淳へのインタビュー、幸福感世界第一位のドミニカ共和国のルポがある。テーマ設定や人選など分かりにくいが、不透明な現実や多様性の容認といった視点だろうと一応納得しておく。ソングライター水野良樹・脚本家森下佳子、哲学者柄谷行人・美術家横尾忠則、棋士藤井聡太・経済学者安田洋祐の対談、社会学者関沢英孝と哲学者浅田彰へのインタビューなど多彩な顔振れはそれなりに面白いが、慰安婦問題以後の両論併記的特徴がここでも出ている。どうしても言いたいことは何なのか。それがピンと伝わってこない。60歳の浅田は「逃走論」は今も有効だと語っている。
毎日の「この50年の世界」で「プラハの春」の活動家で現在大学学長ペトル・ヤン・パヤス(79)にインタビューしている。あれほど求めた民主主義は、手に入れたが自由と引き換えに拝金主義が広まったと氏は言い「金につながる活動が優先され、市民活動や社会貢献などは重視されなくなってしまった」と語る結びが印象的である。
ジャーナリストの伊藤詩織が元TBS記者に性的暴行を受けたと訴えている事件は海外メディアでは国内よりも大きく報道されてきたが、12月29日のニューヨークタイムズ(電子版)も遂に東京発の長文で報じた。そのことを載せたのは管見の限り毎日だけである。
産経の安倍支持とリベラル攻撃が執拗である。安倍首相の年頭所感を全文掲載した。「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の中立性に疑義」として大きく取り上げている。潮匡人や上念司(じょうねん・つかさ)らにBPOの偏向を語らせている。しかし、読者は文化放送の午前5時からのニュース番組「おはようタケちゃん」に週一回登場する上念のコメント発言を一度聞いて欲しい。本命記事は、安倍首相を囲む櫻井よしこら4人のキモノ女性による「首相と語る」である。カラー写真7枚入り、見開き2頁。以下に同座談の見出しを掲げておく。「自衛隊論争に終止符を・拉致被害者帰国見たい・安保環境非常に厳しい・印象操作の沖縄祇・安保法対北で不可欠」である。
読売で、同紙編集委員橋本五郎と歴史家磯田道史が「歴史と対話 今を知る」という対談をしている。小見出しに「後世の審判恐れるな」とある。私は、読売新聞に「後世の審判恐れよ」と言っておく。
東京にICAN国際運営委員川崎哲と被爆者サーロー節子の対談がある。以下に一部を引く。「サーロー:海外に住んでいて、日本への信頼が落ちているという話を聞く。何か恥ずかしく、悔しく思う。生まれ育った日本を今も愛している。しかし、その政府は道徳的な責任をどこまで感じているのか。川崎:日本では〈核はなくせない〉〈日米関係も変わらない〉とする現状維持の論理が支配している。現実は変えられないとの冷笑主義をどう克服するかが最大の課題だ」。
日経社説論で「マーケット史観」と貶したが、特集「明治150年 維新再び 新しい日本への8つの提案」は力作である。経済成長を是とする思考は変わらないが、企業と市場に密着した現場感覚による問題点の指摘、改革のための提言に好感をもった。150年の歴史の文脈が効いている。
毎年恒例の専門家各20名による主要国経済成長率・為替レートと日経平均株価の予想も記しておく。
前者は日本のみ記す。GDP成長率予想平均は、1.2%、最高は1.5%、最低は1.0%である。円相場は平均113円台。株価は高値平均25440円、最低21240円である。個人別での最高値は28000円、最低は19500円であった。首相が戦後最大の国難と言う割に財界は経済実態と市況のいずれにも強気、楽観的であることがわかる。
《天皇夫妻の御製・御歌で結ぶ今年の読み比べ》
この他に頁数でいうと、五輪中心のスポーツ記事、メディア正月番組中心のエンタメ記事のそれが大きいが、いずれも宣伝か報道か不分明なものが多く評価する必要を感じない。五輪自体とエンタメの存在理由まで掘り下げた記事が欲しいが、そういう視点は皆無である。
瀬戸内寂聴ら4氏への朝日賞、高村薫ら7氏への毎日芸術賞にも触れたいが紙数がない。
全紙に掲載された天皇夫妻の「御製」、「御歌」から数首を掲げ今年の読み比べを終わる。
明仁天皇
(第68回全国植樹祭)
無花粉のたてやますぎを植ゑにけり患ふ人のなきを願ひて
(ベトナム国訪問)
戦の日々人らはいかに過ごせしか思いつつ訪ふベトナムの国
美智子皇后
(旅)
「父の国」と日本を語る人らの住む遠きベトナムを訪ひ来たり
(南の島々)
遠く来て島人と共に過ごしたる三日ありしと君と愛しむ
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