周回遅れの読書報告(その42)弁護士の息子が検事になったら
- 2018年 1月 14日
- 評論・紹介・意見
- 脇野町善造
通常は「大逆事件」という名で知られる、無政府主義者弾圧事件があった。もう100年以上も前の事件である。しかし、国家権力はこうして反対派を弾圧するという典型のような事件であり、決して忘れてはいけない事件でもある。
この事件で結果的に12人が死刑になった。その中に女性が一人いた。管野スガである。彼女が荒畑寒村の妻であるのか、幸徳秋水の愛人であるのか、今は問わないことにするが、彼女が明治天皇の暗殺を企てたのは、確かなようだ。幸徳秋水は管野スガと同棲していて、無政府主義者の首魁ということで目をつけられ、管野スガの巻き添えになったようなものである。その管野スガの弁護をしたのが、平出修、今井力三郎らであった。弁護むなしくスガは死刑になったが、何がなんでも無政府主義者をつぶすという政府の意図が事件の背景にあったことを考えれば、これは平出らの力不足とはとてもいえない。
平出修は若くして死んだが、息子があった。禾(ひいず)という。禾は東京帝国大学を終えて、どういうわけか検事になった。父親のことを知っている法曹関係者の一部は、「検事などという仕事は君に合わないから早く辞めろ」と忠告したらしいが、禾はエリート検事としての道を進み、高位の検事として定年まで勤め上げた。
禾は定年後(退官後)に『法の周辺』と題する、自伝のようなものが混じった随筆集を書いた。(その25)で触れた遠方の義父宅の書棚にこの本があった。「検事の書いた随筆など読めるか」と思い、長い間、開こうともしなかった。ただ、捨てることもなかった。書籍を含む資料の処分は一任されていたから、いつでも捨てられたはずなのだが、そして実際大量の法律関係書籍を捨てたのだが、この本はなんとなく残った。
そういう事情で残ったこの本を、「ほかに読むものがない」という消極的理由で開いてみた。法曹関係者が「検事などという仕事は君に合わない」と禾に忠告した理由がわかった気がした。この本には、これが検事が書くものかと思うような文章が並んでいる。父親(修)が管野スガの弁護をしたことも丁寧に説明し、父親・修と今井力三郎は管野スガを媒介にして出会ったようなものだと文もある。そしてなんと、スピノザの自由論までもが肯定的に引用され、言論の自由がいかに重要であるかが紹介されている。
(スピノザは)『神学・政治論』の冒頭に「思考の自由を許容することは、決して敬虔の念と国家の平和を損なうことにはならないばかりでなく、かえってこの自由を奪うことは、国家の平和と敬虔の念を危うくする所以であることを示す若干の論文集」であると掲げているし、また末尾に「各人に対してその欲することを考え、その考えることをいう権利を認めること、このことほど国家の安全のために必要なことはない」と書いている。(159頁)
ほとんどがスピノザの文章そのものだが、禾の考えもやはりそうだったのであろう。今の政治家に聞かせてやりたい文章である。これを読んでいると、一体、禾はどんな思いで、国家の僕(しもべ)として検事をやっていたのかと、思ってしまう。勿論、この本を読むことを薦める気持ちはない。こんな本は探すのに相当苦労するであろうが、その苦労に見合う収穫があるかどうか、はなはだ疑問だからだ。ただ「検事の書いた随筆」という理由だけで、敬遠してきた自分の不明を恥じるばかりである。どんな本にも、読むに値する部分があるものである。「書物は原典について調べよ」(59頁)とする禾の忠告を若い時分に聞いておきたかった気がする。そうすれば、もう少しまともな読書ができたかもしれない。
平出禾『法の周辺』(ぎょうせい、1978年)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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