3月1日 今日はビキニデー
- 2018年 3月 2日
- 評論・紹介・意見
- 弁護士澤藤統一郎
今日、3月1日はビキニデーです。
1954年の今日、アメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行いました。広島に落とされた原爆の1000倍もの威力のあるものでした。この核実験で、多くの日本人が被爆しました。その最前線にいたのが、第五福竜丸の乗組員23名の方々です。その全員が急性放射線障害で入院され、久保山愛吉さんが半年後に亡くなられました。原爆に続いて、水爆でも、爆発の最初の犠牲者は日本人となったのです。
3月1日のビキニデーには、この世から恐ろしい核兵器をなくすことを誓い合いたいと思います。
是非東京夢の島にある第五福竜丸展示館にお越しください。そして耳を澄まして、保存されたこの船の、核の悲惨さを訴える声に耳を傾けてください。核のない平和な世の中を作ろうという呼びかけが聞こえてくるはずです。
「お互いに核兵器をもてば、戦争を抑止して平和を保つことができる」という意見はおろかしいのではありませんか。核に囲まれた平和なんてゴメンだ。世界中の原爆も水爆も、そして原発もなくしてほしい。第五福竜丸が、そう言っているように聞こえませんか。
夢の島まで足を運ぶ時間がないかたは、せめて展示館のURLを開いて、第五福竜丸の写真と資料をご覧ください。
こんな説明があります。
第五福竜丸とは
第五福竜丸は 1954 年3 月1 日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験により被ばくした静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船です。爆心地より160キロ東方の海上で操業中、突如西に閃光を見、地鳴りのような爆発音が船をおそいました。 やがて、実験により生じた「死の灰」(放射性降下物)が第五福竜丸に降りそそぎ、乗組員23人は全員被ばくしました。
その後、第五福竜丸は放射能がへるのを待って東京水産大学(現・東京海洋大学)の学生の航海の練習船「はやぶさ丸」となりました。
水爆ブラボー
3月1日に、アメリカが炸裂させた水爆「ブラボー」は、広島に落とされた原爆の1000 倍(15メガトン)の破壊力でした。爆発によって砕けた珊瑚の粉塵はキノコ雲に吸い上げられ、放射能を帯びた「死の灰」となり周辺の海や島々に降り積もりました。放射能は広範な海と大気を汚染したのです。
漁船の被ばく
被害を受けたのは、第五福竜丸だけではありません。日本各地から多くの船が出漁し被害を受けました。54年末までに856隻が放射能に汚染されたマグロを水揚げしています。多くの乗組員が被ばくした可能性がありますが、健康被害など不明な点が多いのです。
マーシャル諸島の被害
マーシャル諸島は太平洋中西部に浮かぶ、たくさんの珊瑚礁からなる国です。アメリカは1946年から58年までここを核実験場とし、67 回もの実験を行いました。
実験場とされたビキニ環礁とエニウェトク環礁をはじめ、多くの環礁や島が被害を受けたとされていますが、アメリカ政府はビキニ、エニウェトク、ロンゲラップ、ウトリックの四環礁以外の被害は認めていません。
人びとの間ではガンや甲状腺異常、死産や先天的に障がいを持つ子どもが生まれるなど、被害が現れています。また、いくつかの環礁では故郷の島に戻ることができません。
世界遺産ビキニ環礁
2010年7月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により、ビキニ環礁は世界遺産に登録されました。その理由として「珊瑚礁の海に沈んだ船やブラボー水爆の巨大なクレーターなど、核実験の証拠を保持している。繰り返された核実験はビキニ環礁の地質、自然、人々の健康に重大な影響を与えており、平和と地上の楽園とは矛盾したイメージをもち核時代の夜明けを象徴している」と発表しています。同環礁の住民は、いまも帰ることはできません。
第五福竜丸の保存
第五福竜丸(当時は水産大の「はやぶさ丸」)は1967年に廃船処分となり、解体業者に払い下げられ、船体はゴミの処分場であった「夢の島」の埋立地に放置されました。これを知った市民のあいだから保存のうごきがおこり、「沈めてよいか第五福竜丸」の投書(朝日新聞68年3月10日)や原水爆禁止運動など全国で取り組みがすすめられました。
1976年6月に東京都立第五福竜丸展示館が開館し、船は展示・公開されました。
木造船第五福竜丸
第五福竜丸は1947年に和歌山県古座町(現・串本町)でカツオ漁船第七事代丸として建造されました。全長約30メートル、高さ15メートル、幅6メートル、総トン数140トンの木造船です。
第五福竜丸は戦後の食糧難の時代に遠洋漁業に従事した木造船としてきわめて貴重です。
「第五福竜丸事件」と「ビキニ事件」
ビキニ水爆実験により、第五福竜丸一隻だけでなく多くの船舶が被害を受けたことから、当協会では「ビキニ事件」という呼称を使っています。マーシャル諸島での核実験は1958年までつづけられており、被害を限定的に捉えることは適切ではないと考えています。
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ビキニデーの今日、東京新聞が、核問題にちなんだ社説を掲載しました。
抜粋して紹介したいと思います。
ビキニ水爆実験の教え 記憶で未来を守れ
64年前、ビキニ水爆実験で第五福竜丸をはじめ多くの日本人漁船員や現地の住民が被ばくした。苦しみは今も続く。教訓を未来に伝えたい。
第五福竜丸の漁船員らが被ばくしたのは、米国の水爆実験「ブラボー」で、1954年3月1日にマーシャル諸島のビキニ環礁で実施された。漁船には23人が乗り組んでいて、実験場の約160キロ東にいた。
5月まで続いた6回の水爆実験で、周辺の海域にいた漁船や貨物船などの乗組員約1万人が被ばくしたとされる。漁船員は帰国後、検査を受けたが、そのデータは長い間、厚生労働省が「ない」としていた。情報公開請求で開示したのは2014年である。
◆治療はなかった
米国がマーシャル諸島で核実験を始めたのは、46年7月。58年までに原爆、水爆合わせて67回に達した。この地域は第二次大戦が終わるまでは日本の委任統治領で、南洋群島と呼ばれた。戦後、米国が施政権を握り、核実験場にされたのである。
核実験は軍事機密なので、現地ではかん口令がしかれた。米国政府は住民の被ばくを隠す一方で、専門医らを送って放射線の健康影響調査を進めたといわれる。
たとえば、爆心地から百八十キロ東にあったロンゲラップ島では、ブラボー実験のとき、82人が暮らしていた。島民は下痢や嘔吐(おうと)、やけど、脱毛といった急性放射線障害に見舞われた。二日後、米軍が別の島にある基地に移送した。そこでは米人医師によって検査や写真撮影はされたが、特に治療はされなかったという。
米国は57年に「安全だ」と説明して住民を島に帰還させた。帰還したのは、被ばく者と核実験時には島にいなかった住民ら約250人。
人体実験という見方を米国は否定しているが、ブルックヘブン米国立研究所は「もっとも価値ある生態学的放射線被ばくデータを提供してくれる」ことを意義としていた。島では死産、流産が続き、やがて甲状腺がんが多発した。住民は85年に再び、島を離れた。
マーシャル諸島は86年にマーシャル諸島共和国として独立したが、経済は米国に依存している。ビキニ環礁核実験場は「負の世界遺産」に指定されたが、日米で情報が隠されていたこともあり、実態はあまり知られていない。
(以下略)
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今年のビキニデーは、世界中の国々が核兵器禁止条約の締結を目指して、「核兵器のない世界を」「非核平和の日本の実現を」という、運動の高まりの中で迎えることとなりました。
「ヒバクシャ国際署名」と「安倍9条改憲ノーの署名」運動をともに広げようという声も大きく広がっています。
被爆国日本こそが、核兵器の全面禁止・廃絶の先頭に立たねばなりません。まずは、日本政府に、広島・長崎の声と、第五福竜丸の声を聞かせなければなりません。そうして、情けない日本政府に、日本国民の声を集めて突きつけて、「核兵器禁止条約に署名せよ」と迫りましょう。
3・1ビキニデーの今日こそは、そのように思いをめぐらすべき日だと思います。
(2018年3月1日・連続1796回)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2018.3.1より許可を得て掲載
http://article9.jp/wordpress/?p=9984
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7402:180302〕
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