女人禁制と興行
- 2018年 4月 8日
- 交流の広場
- 箒川兵庫助
日本の神道では建物の一番奥が神聖とされている。しかし何もない空間である。そこは女人禁制の場所であるのかどうか、小生は知らない。
栃木県日光市にある男体山は女人禁制である。なぜ女人禁制であるのか。
相撲は興行であり,テキ屋の商売である。なぜこれにNHKが補助金を出すのか。相撲は国技ではない。国技館でやる興行の一つに過ぎない。
日本の国技は「武道」であるという意見もある。しかるに国技とは何かということになるがこれもよく分からない。柔道や剣道も国技であるのかどうか。しかし柔道・剣道連盟の大会がテキ屋の商売の一つだと言わないのはなぜか。基本的に相撲はテキ屋の興行である。
さて本題に入るが,土俵は女人禁制である。その理由は何か。それは伝統というほかに言いようがないだろう。と同様に男体山も伝統的に女人禁制である。もし女性入山可であれば,男体山は女体山とも呼べなくなり「男」という字をとらなくてはならなくなる。
女人禁制がもたらす問題の解決は,もしそれが伝統であるとするならばそれを認めることである。差別主義だとか時代遅れであるとか言っても仕方ないと考えることである。
土俵の女人禁制が投票行動に影響を与えるとか,男女差別につながるという恐れはほとんどないと考える。暴力団の上納金制度のように一種の悪と考えればいい。相撲は国技ではなくてテキ屋の興行であり,見たい人が行けばいいだけの話である。
さて男体山は誰の所有物であったのか。修験者たちの神聖な場所であってそのように名前が付けられたとすれば「男」体山は男体山であって,女体山でもない。
男体山の所有者が国とすれば,女性を登山禁止にはできない。しかし伝統は伝統であるから別名にすることもできないであろう。
永平寺ではなぜ座禅を組むのか。肩を叩くのはなぜか。肩を叩くのは暴力であるとするのかどうか。
問題は,女人禁制や肩叩きが社会に大きな悪い影響を与えない限り,怪しからんと断罪することであろう。
そして伝統を人命救助より大切とするアナウンサー(女性?)の問題意識であろう。
話は,テキ屋の相撲興行内での伝統の話に過ぎない。興行なのだから補助金なしに勝手にやってもらえばいいだけの話である。
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