教員の労働の実態は、残業代ゼロ・裁量労働制の先行形態だ
- 2018年 4月 11日
- 時代をみる
- 青木茂雄
私は、十年前に退職した元教員です。35年間、主として都立高校の現場でひらの教員として働き、かつ組合運動の末端を支えてきたと自負しています。今、国会の議論で裁量労働制とそれに伴う「働き過ぎ」が問題になっていますが、教育現場の教員の働き過ぎはもう大きな社会問題になっています。キャリア官僚の「働き過ぎ」もすごいようですが、こちらはどちらかというと「働かせる側」です、まぁ、ある種自業自得ですが、教員の場合は違います。明らかに「働かされる」側です。
夜中の12時前に自宅に着いたことがない、とか、夜の10時前に職場を離れたことがない、そして家に帰って授業準備で、3時に寝て6時に起きるとか、私の経験からは考えられないようなことが常態化しているようです。多分に誇張はあるにせよ、私が危惧を覚えるのは、そういうことが言われる場合、どこかで誇らしげな響きを感じることです。私なんかは、自発的に働いているのだから、自発的に止めて家へ帰ったら、と考えるのですが、どうもそうも行かないようです。失礼ながら“働き中毒では?”と言いたくなってきます。
教員の労働の実態は、事実上の裁量労働制の先行であったと私は思っています。もちろん、各職場では始業時刻と終業時刻とが決められています。組合では年度当初に各職場で校長交渉をして勤務時間の確認をします。私が教員になった当初はまだ組合がしっかりしていて、勤務時間を守ろうとする圧力が強かったのですが、それでも時間内に仕事が終わることはなく、気が付いてみたらもう終業時刻はとっくに過ぎていた、ということもしばしばありました。でも当時は「1日8時間が正規の労働時間」という意識がしっかりしていて、それ以上の労働時間はあってはならぬもの、要するに例外、との職場全体での共通認識がありました。それでも、この余分に働いた時間は無報酬なのか、とずっと疑問に思ってきました(まぁ、「夏休み」があるから埋め合わせが出来るか、と納得させていましたが、それも今はなくなりました)。教員の労働には労働基準法に定める「超過勤務」という概念がないのですから。
教員に「超過勤務手当」がつかないのは、給与の4%の「調整額」が支払われているからだ、と言われるようになっています。今では多くの人がそう考えているようです。しかし、それは間違いです。4%「調整額」の根拠法である「公立学校の教育職員の給与等に関する特別措置法」(「給特法」)には、教員には「超過勤務」手当はつかない、その代わりに、特別の例外的な勤務に対しては「調整額」を支払うということになっています。政令にもとづき条例で、修学旅行・校外実習・職員会議・非常災害や生徒指導における緊急の事態、の4項目については時間外勤務を校長が命じることを可能としたのです。それ以外には時間外勤務はない、という原則です。ただし「給特法」には、4項目の時間外勤務を命じる場合にも「教育職員の健康と福祉を害することとならないように勤務の実情について十分な配慮がなされなければならない」としています。夜の10時過ぎまで居残るような勤務が連日続くような事態はまったく想定していないのです。「給特法」によるならば、通常の仕事は全部時間内でなければならないのです。この原則から言って、仕事を全部時間内に終わらせるように労使ともに努力してきたのです。もちろん、労働組合がしっかりしていることも条件です。
4%の「調整額」は、現在行われているような無際限な教員の時間外労働の対価ではないのです。そのことをまずきちんと認識しなければなりません。ところが、次第に、この4%があるから教員を無際限働かせても良い、というふうに解釈が変えられてきたのです。私の記憶では、1990年代の終わり頃からだと記憶しています。職場で校長交渉をしていると管理職がそういうことを言い始めてきたのです。2003年の「日の丸・君が代の強制」つまり10・23通達の出る少し前くらいからだと記憶しています。この時期は、組合(都高教)がそれまでの闘いの中で獲得してきた研修日や長期休業中の自主研修権、職場毎に獲得してきた様々な勤務慣行や職員会議・人事予算委員会等の民主的な意志決定のシステム等が次々に破壊され、その仕上げとして「人事考課」や「主幹制」が導入されていった、累々たる残骸の、少なくともそれが残骸であると認識する者がまだ多数存在していた、そうした時期です。
私の記憶では、その時期から次第に、職場に遅くまで居残ることを是とする雰囲気が生まれて行ったように思います。特に、若年層にその傾向が見られました。というのは、この時期は、次々に都教委が「高校改革」のプランをもってきては、校長はそれを若年層に目をつけてプランさせる、それが教員としてのキャリアを積むことだ、と言って仕向ける、という傾向が生じてきました。彼らは喜々として、遅くまで仕事に張り込むという構図です。
そしていつのまにか、4%の「調整額」があるのだから教員は無際限に働け、というふうになってきたのです。つまり、事実上の裁量労働制です。裁量労働制も多少の割増賃金を誘い水にするようです。しかし、行き着く先はみえています。
つまり何が重要なのかと言いますと、労働基準法による労働時間の時間規制があるから、たとえ、労働時間を「裁量」したところで、大枠の規制の圧力は存在するのです。ところが裁量労働制というのは、その大枠を無くしてしまうものです。「裁量」どころか、無際限です。文字通り労働の「搾取」です。
私は、教員の労働が、無際限の搾取の方向に、自ら主体的に(この「主体的に」という言葉は、今度の新学習指導要領のキーワードです)、半ば喜々として向かっていることを大変に危惧しています。
話は変わりますが、今度の「働き方改革」の労働側にとっての「目玉」とされているものの一つに「同一労働、同一賃金」というものがあります。一見して良さそうに思えるけれども私はこれも要注意です。この考え方は、労働が商品であるという考えに基づいています。売買の対象であれば「一物一価」が原則です。しかし、私は賃金は労働の対価というふうには考えません。「賃金」はあくまでも労働者の生活保障であるだけではなく、一国の文化水準、将来の世代の維持のためのものであり、広い意味での生活給です。そうでなければなれません。ですから年功序列はある意味で大変に合理的です。年功序列はそういう観点から先行する労働運動が勝ち取ってきた成果なのです。そうであるならば、世代ごとに適切な給与というものはあるのであり、そういう意味で、もし「同一労働、同一賃金」を言う場合でも、世代ごとの「同一労働、同一賃金」でなければなりません。
そもそも、成果主義に基づく、成果給の概念は、労働を商品と考えるから成り立つものです。今度の新学習指導要領でもその成果主義の考え方が「資質・能力」の達成という考え方として貫かれています。ことは相当に根深いと考えています。
私は、現行の資本主義制度の永続を願う者ではさらさらありませんし、また、この制度から特別に恩恵を受けている者でもありません。けれども、この制度のもとで獲得してきた私たちの文化的達成は、将来に向けても維持し、継承していかなければならない、と考えています。私が一番危惧しているのが、この資本主義という制度がそういう文化的達成をすべて灰燼に帰すのではないのかという危惧です。何か途方もない怪物(ビヒモス)をこの資本主義という制度が生み出すことを、私は何よりも危惧しています。
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