安倍が悪代官なら、藩主や御用商人は
- 2018年 4月 21日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」から院内集会の案内のメールを頂戴した。メールのタイトルは「3.20 緊急院内集会の知らせ ~森友文書改ざん疑惑を徹底追及する!~」で、添付されていたビラには主催者の主張と関係者や政党名が書かれていて、会場への案内の地図やデモの写真も載っていた。
主催者や活動している方々には畏敬の念がある。人任せの響きになってしまうのが気になるが、このような人たちのおかげで社会がよくなる、少なくとも悪くなるのを抑えられる。この類のビラやメールをもらうたびに、活動に参加しないでいることに後ろめたい気持ちが膨れる。膨れはするが、それを抑えるつもり積もった「がっかり」があって、両者の押し合いのなかで、どうしたものかと考え込む。
似たようなビラが多いからだろう、よほどのことでもなければ、もらってもスルっと流れていってしまう。ただ今回はちょっと違った。頂戴したメールの最下段に次の文章があった。
「テレビの前で不満をつぶやくだけでは腐敗政治を変えられません。ここで私たちが息切れしたら、悪代官三人組(安倍・麻生・佐川)の逃げ切りを許してしまいます。こんな低俗な政治を次の世代に背負わせないよう、声を上げ続けましょう!」
「テレビの前で不満を」は、そんな番組は観ないからないが、朝刊を見るたびに、あきれるは腹は立つやらで、どうするかと思ってきた。それは、もう数十年にわたるもので、森友・加計問題に始まったことではない。
なんとかしなければ、行動しなければという気持ちがある。動かなきゃという気持ちがそれこそ毎日のように、ポコポコ泡のように浮かび上がってくる。そして何かのたびに集まりにでかけるのだが、いつも決まってちょっと元気をもらって、がっかりして帰ってくる。もらった元気は時間とともに薄れてしまうが、がっかりのほうはしっかり記憶に残る。積もったがっかりがどうにもならない気もちに輪をかける。それが出かける前の期待が大きすぎたからというわけではないだけに、なんとしたものかという重い気持ちがさらに重くなる。
「不満をつぶやくだけで……」と声をかけられても、出かけたところで、またちょっとがっかりして帰ってくるだけだろうと思うと気が重い。それでも何とかしなきゃと出かけてみた。
平日だったこともあってだろうが、年配の方々が会場の準備やなにやらで忙しく走り回っていた。たくさんの人たちが同じように思ってがんばっているのを目の当たりにして、高揚感を味わって元気をもらった。ところが、主催者の人たちの話はとなると、何があるわけでもない。マスコミで見聞きしていることをご自身の言葉でくりかえしているだけだった。分かっていることを聞きに来たつもりはないし、野党といわれる議員連中の歯切れがいいだけの、選挙演説のような空疎な話など聞いてもしょうがない。
いつものように、集まっている人たちの熱意と行動力に感動して、その感動の裏返しのようなどうしたものかという気持ちのままがっかりして帰ってきた。
三百人ほどの参加者のおそらく全員が主催者の人たちの話に納得というのか同意している人たちだろう。ここで全員というのをちょっとためらう。そこには、もしかしたら追及されている人たちに派遣されて調査に来ている人もいるかもしれない。ただそんな人たちでも、立場が違うというのか、違う立場で禄を食んでいるというだけで、主催者の話には納得しているだろう。
主催者の話は、新聞やテレビで報道されている内容と同じで、なにか聞いたこともない話が出てくるわけでもない。話す方も聞いている方も、そこで何か新しい事実をとは思っていない。では、何のために集まっているのか?それは頂戴した案内とお聞きした話からだが、安倍や麻生、佐川や財務省や文科省の関係官僚の退陣や免職も含めて処罰するためだろう。
集会に参加した人たちの署名を持って、麻生財務相と会計監査院長へ申し入れすると頂戴したビラに書いてある。所属政党は聞き取れなかったが、議員の一人が安倍内閣の支持率が三十パーセント近くまで落ちてきた。三十パーセントを下回ると、政権維持が難しくなる。あと一歩がんばりましょうと言っていた。
聞いた話に反論などあろうはずもなく、すべて賛成なのだが、どうも「表面的過ぎ」てという、いつもの落ち着かない気持ちがポツリポツリと出てくるのを抑えられない。
安倍政府と日本の政治の右傾化には、なんとかしなければいう気持ちがある。ただ、それは安部政権だからということではない。一国の首相や大統領なんてものは社会の実権を握っている集団がいいように使いまわすお飾りに毛の生えたようなものでしかない。安倍が退陣して、麻生が大臣を辞めて、森友や加計に関与した官僚どもが解雇されたとして、何がどれほど変わるのか?代替品が持ち上げられるだけだろう。国民の不満が支持率低下として表れたら、人心一新で違うお飾りに挿げ替えてまた似たようなことを繰り返して、反対勢力も似たようなことを繰り返してで社会がまわってきた。
先に書き写しておいた最下段に次の文章の二番目のセンテンス(?)「ここで私たちが息切れしたら、悪代官三人組(安倍・麻生・佐川)の逃げ切りを許してしまいます」を読み返してほしい。安倍や麻生、佐川を悪代官呼ばわりするのは当をえているが、ではその代官どもの君主や藩主は誰なのか、その君主か藩主を後ろで操っている御用商人どもは誰なのか。代官と呼ぶからには、代官の背後のこともわかっているだろうと思うが、背後をどうするかという話は聞こえてこない。
巷の人々の批判の矢が代官どもに向けられているうちは、後ろで利権をむさぼっている御用商人どもにしてみれば、いざとなれば代官を左遷して首を挿げ替えて、新しい悪代官のもと人心一新で、自分たちは安泰、せっせと金儲けと思っているだろう。
カビやコケは生える環境があるかぎり根絶するのは難しい。安倍が退陣しても、環境が変わらない限り似たようなのがでてくるだけでしかない。多くの人たちが選挙で自民党に投票しているかぎり、安倍政権と大きく違う政権が生まれることはなない。
安倍政権が成り立っているのは、安倍が進めている政策を支持している、というより安倍に進めさせていることで利益を得ている社会集団がいるということに他ならない。安倍政権のその後ろ盾になっている自民党議員連中を、その自民党議員連中を国会議員としてだすことによって利益を得ている君主か藩主か御用商人が問題の根源で、ここをなんとかしなければ、問題の解決にはならない。
その利権集団に、意識してかせざるかかかわらず、生活を左右されている(と感じているか思い込んでいるか)人たちが日本の社会の大勢で、その人たちが自民党に投票している。それは偏ったマスコミに誘導された衆愚政治の故だということを言い出す人もいるだろう。であれば、安倍政権がどうの、森友が、加計がどうのというの同時にというより、それ以上に力をいれて、衆愚に貶められている人たちに、目の前に起きている問題より、その問題としている現象を引き起こしている根源に気がついてもらえるように、知識の敷衍を図らなければならないだろう。
図ろうとすれば否が応でも、衆愚、あるいは穏やかに覚醒しない一般大衆と勝手に思っている人たちの地に足のついた生活に根ざした実の社会認識に突き当たる。図ろうとしてきている人たち、憲法九条がどうのというより、今日の職の安定やもうちょっと給料のいい仕事は、子供の進学塾の夏期講習の費用をどうしようか、日曜日のスーパーの納豆とマーガリンに安売りのほうが気になる巷の人たちに耳を傾けてもらえる話をしえるのか、してきているのか。
この視点で日本社会のありようを見ていくと、良識ある知識人が庶民から遊離していることに日本がよくならない原因、少なくとも原因の一つであることが明らかになってくる。
目に見える問題は現象に過ぎない。問題の根源は現象の影に隠れている。ここで根源を追い詰めていくと、ことはそう簡単ではないことが見えてくる。何かをしている、何かが起きているときに、その何かを問題としている限り、現象に右往左往しているだけで終わりかねない。その何かをしなければならない(と考えている)環境こそが何かをさせているので、その環境を変えないことには、している何かも、起きている何かも止められない。
ちょっと横道にそれるが、日本株式会社がおかれた現状を概観する。この現状を変えられなければ、あるいは変える考えがなければ、現在起きている問題はさまざまな形でおき続ける。
戦後長きにわたって軍需に依存しないで日本株式会社はなりたってきたが、それが国際競争力を失った。それをなんとかしようと、日本株式会社を動かしてきた君主や御用商人たちが、軍需産業を奨励してモノ造りの日本を再興しようとしている。軍需産業の奨励には社会の右傾化が必須で、右傾化の作業を安部にさせている。
IT技術などの新しい技術をもってして生産性を上げて国際競争力を向上すればと考える人たちも多いだろうが、生産性を向上すれば、古い言葉でいえば省力(人)化が進んで仕事が減る、あるいはたいした熟練を必要としなくなる。熟練した勤労者が非熟練勤労者によって置き換えられる。給料の高い熟練労働者(正社員)が減って、賃金の安い未熟練動労者(派遣社員)が増える。社会全体でみれば勤労者の所得が減って、生産性の向上によって生まれた利益が特定の限られた社会層に占有される。
生産性を向上する新しい技術や作業方法などを導入できない状況下で、国際金融が要求する利益分配をしようとすれば、資本の視点での生産性の向上をはかるために、勤労者の所得を削ってでも企業利益を確保しなければならない。
大雑把過ぎるとしかられかねないが、企業会計では、<売上げ>―<コスト>=<利益>で、<売上げ>が同じでも<コスト>を下げられれば、<利益>が増える。<利益>が増えれば生産性が上がったことになる。
経済成長が望めない社会では<売上げ>を増加するのが難しい。そこで<利益>を上げるには、どうるすか?答えは簡単で<コスト>を削減すればいい。<コスト>を勤労者の給与や社会保障費などの人件費とそれ以外に分けてみたとき、どちらが削減しやすいか?家賃などの施設費もあれば、製品を製造するための原料のコストもあるがどれも削減には限界がある。もっとも柔軟で下げやすいのは人件費になる。製造業のようには自動化を進めにくかったサービス産業では、コストの最大の要素は勤労者の給与が占めている。
<売上げ>は社会の経済状況など外部要因(企業の努力ではなんともしがたい)で決められてしまうが、<コスト>の多くは社内の要因で自分たちで操作できる。バブル崩壊後、多くの企業が<コスト>を操作(人件費を削減して)して<利益>を増やして、生産性を向上してきた。
生産性があがれば、豊かになれると思っていられた時代から、生産性を上げるために貧しくなることを要求される時代になって久しい。人件費を削減すれば勤労者の可処分所得が減って需要が減って市場が収縮する。ところが、軍需は一般大衆の購買力に関係なく増加できる。
安倍にさせている右傾化の作業に対して否というのは簡単だが、軍需産業抜きで、どのような社会をめざせば日本が社会的にも経済的にも成り立っていくのか。ことは、日本の社会経済構造全体にわたる話で、村起こしでもなければ、コミュニティ活動でもない。代案もなしで発言するななどという気は毛頭ないが、素案の提示もなしで、ただ反対では社会としてなりたたない。
たとえ自分では素案がなかったとしても、問題を明確にできれば、素案を考え出せる人がいるかもしれない。ことは根源まで追い詰めて問題をはっきりできるかにかかっている。
たとえばの話にすればわかりやすいかもしれない。タンカーを作っても、コンテナ船を作っても価格競合できなくなって、豪華客船に手を出したが、これもだめ。戦車は作れても乗用車ではビジネスにできない三菱重工に何が残っているのか。日本株式会社の視点では、駆逐艦に潜水艦に戦車にという軍需産業しかない。このために政治の右傾化が必要となっているとことでしかないところに、平和憲法を擁護して右傾化を押しとどめたら、三菱重工の従業員の雇用は守れるのか、企業城下町の商売や生活はどうなるのか?と企業城下町の有権者は考えるだろうし、それを煽ることで碌を食んでいる社会集団もいれば自民党の議員連中もいる。
安倍も麻生も早々に引退させなければならないし、時の権力の阿る官僚どもは罷免するしかない。ただそれができたとして、日本がおかれた状況を変える考えがなければ、何を解決したことになるのか。問われているのは目に見える現象を問題とするのではなく、次の社会の設計図を描くことだろう。目の前の利権に右往左往するのが存在理由の自民党の議員ならいざしらず野党を標榜する議員であれば、設計図の素案ぐらいは持っているのだろう。ただ寡聞にして聞いたことがない。
これなしで代官どもがどうのこうのは、それが必要であることに異論などあろうはずもないのだが、人々の視線を問題の根源から逸らすことにすらなりかねない。この不安をかかえたままで抗議行動?行動すれば同じように思っている人たちから元気をもらえる。もらえるのはありがたいが、問題の本質を隠蔽しかねない行動に?どうしたものかという気持ちの整理がつかない。
気持ちを同じにする人たちと集まって、ワイワイやれば元気をもらえる。みんなで忙しく走り回っていれば、それなりの充実感も得られる。いいことばかりじゃないか。積極的に行動しよう。躊躇することなどないではないかというのもわかる。でも、そこには大きな落とし穴がある。充実感、それも精神的なだけでなく、肉体的なものまで含めた充実感は、冷静に物事を判断するために必須の精神を麻痺させる効果がある。程度にもよるが批判精神が麻痺すれば、ただ闇雲に活動しているだけになる。それはしばし、思わぬ心ある集団や組織によって、思わぬところに向けていいように使われる危険さえある。たとえば、食の安全、食料自給をかかげての活動はいいが、注意しないと日本の食を高止まりさせることで禄を食んでいる利権団体に寄与することになりかねない。
心ある人たちの善意が善意で終わらないこともある。
年もいって身体能力の低下がはっきりしているところに、活動に参加しているという高揚感から精神的に麻痺でもしようものならと心配にはなる。なったらなったでいいじゃないか、動かなければという気持ちを奮い立たせなければ。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion7575:180421〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。