リハビリ日記Ⅱ ⑤⑥
- 2018年 4月 23日
- カルチャー
- 日記阿部浪子
⑤ひとりごとの反抗
浜松祭りはすでに終わった。そとは木々が青葉若葉に変身して、まばゆいばかりだ。どこか公園を散策したい。しかし、わたしはまだ、囚われ人みたいなもの。
だれだろう。〈ひずるしいから、カーテンを引いてください〉と、ヘルパーにたのんでいる。新緑の光景を眺めながら朝食をとるのも、趣があるのにと、こころのなかで思う。
〈食べて〉。おなじ食卓の尾崎さんが、カボチャの煮つけの食べのこしの皿を、こちらに
よせてくる。〈そのまま、のこしておいたら〉。もう3度目だ。そのつど断っているのに。尾崎さんは80歳で、農家のおくさんだ。3600万円の家屋を新築したと自慢する。教員をしていた孫娘がちかく結婚するという。食事がすむと、入れ歯をプラスチックの容器のなかで、ガチャガチャ洗いはじめる。わたしは早々に席を立って、一般療養室の自分のベッドにもどる。
さきごろ、つえを使わないで廊下を歩いていた。ナースに呼びとめられ、叱責された。〈リハビリの先生から許可がでてませんよ。つえを使ってください〉。顔の、右目のうえからほお骨のあたりが、まひとしびれでビリビリする。後遺症だ。やっかいな病気におそわれたものだと思う。それに、となりのベッドの小田さんのひとりごとが日増しにひどくなっている。
ゆううつな気分を忘れたくて、わたしは食堂のテレビのまえに行く。何年も見ていなかった大相撲中継を観戦する。遠藤に注目するが、けいこ量が不足しているのか元気がない。高安(高は旧字)という関脇が好きになる。平成生まれの27歳。母親も場所を観戦していた。ピンクのブラウスを着た、チャーミングな人だ。フィリピンの出身だという。
1階にある天然鉱石温泉につかるのも、気分転換だ。湯は黒色透明で、においがない。からだが温まる。足のむくみがとれていったら、入浴はなおたのしい。
同級生の見舞いも気晴らしになる。地元に住んでいるあつこさんとみさこさんがきた。
何十年ぶりの再会だろう。たくさん話をした。
*
となりの小田さんが食堂からもどり、わたしのカーテンを開けて入ってきた。悲壮な表情だ。〈こうのさん。ころされる。ここにいて。どこにも行かないで。くすりを飲まされる〉。わたしはおろおろする。午後8時だ。小田さんはわたしの名前をあらためない。
これまでも小田さんの抗議のひとりごとは、何回かあった。〈なんで勝手にするんですか。あたしの物を移さないでください。あなたがあたしの身になったらわかります〉などと、20分もつづく。私物の管理は自分でしたいのに、睡眠中にヘルパーが衣類をたたみなおしていく。
小田さんはひとりぐらしの自宅トイレで転び、足を骨折したという。S病院で足と手の手術をしてから、こちらに移ってきた。環境の変化で小田さんは変わってしまったのか。〈うちでは明るい人でした〉と、娘はいう。
さらに、くすりの服用をボイコットしている。なにか苦い思いがあったのか。しかし、ヘルパーたちは飲ませたい。〈小田さんはわがまますぎる〉。〈わたしたちは奴隷じゃありません〉。〈安月給で働いてます〉。かれらの非難は口の数だけある。が、受けるのは小田さん1人。〈ここは病院でしょ。やさしくしてもいいでしょ。看護婦は鬼みたい。なんで、あたしだけがいじめられるの〉。
小田さんの被害妄想はエスカレートしていく。人間はもろいもの。哀しい気持ちになる。
13年間、このような患者の症状をみてきたという主任ヘルパーの判断では、小田さんは、認知症と精神疾患が合わさった、初期の段階だという。
数日後、小田さんは車椅子にのって施設を去った。娘につきそわれて精神病院へ。
⑥真夜中の水泳
O先生が栽培した植木鉢のキュウリが、収穫をむかえた。O先生の顔がうれしそうだ。ここケアセンターに入所するとすぐに、先生はわたしに宿題をだした。先生は作業療法士で、リハビリ室の責任者だ。気配りのきく人である。
宿題とは、新美南吉の「ごんぎつね」の全文を筆写するもの。2Bの鉛筆でていねいに写していくと、テーマが浮上してきた。キツネのごんは、自分の善意が兵十に伝わらないのがくやしい。いたずらばかりしてきたごんだ。ウナギやクリをわが家にもってくるとは
思えぬ。兵十はごんを、火縄銃でドスンと撃ってしまう。かれはついに発想の転換ができなかった。想像力が伸ばせなかったのだ。わたしは、人が人を信ずることのむずかしさを思った。
筆写は、ボールペンはまだ使えないが、たのしいトレーニングだ。授業中、パソコンのウオーミングアップもした。
6月になると、介護認定の更新がある。上旬、市役所の係がきて、簡単なテストをうけた。20分くらいかかった。ベッドのうえで寝返りをしたり、口頭でくしが使えるなどと答えたりするものだ。結果は下旬にわかる。「介護2」から「支援1」に更新された。
〈ことばを交わすようになったのに、さびしいですね〉。ゆったりして、おとなしい感じの師長がいう。更新によって、わたしはこの施設にはいられなくなる。生家に帰ることになるのだが、係の自宅点検がきびしい。わたしも当日一時帰宅をした。6人もの係がぼろ家におしかけた。玄関から居間、台所まで公開しなくてはいけない。これで何が、プライバシー保護ですか。家の構造がどうなっているか。こんごの生活の安全にかかわる点検というわけである。
*
〈きょうは何かいいことあるかな〉。毎朝話しかけてくる、となりの新しい人は西村さん
である。1934(昭和9)年生まれだが、髪の毛がくろい。パチンコと氷川きよしのファンだという。彼女のこしかた、とりわけ青春時代のドラマがおもしろい。
幼少のころ、学校の勉強よりも、裏山でクリやミカンをとって遊ぶことのほうが、たのしかったという。父親は、9人きょうだいの長女の彼女を、野良仕事などさせて、こきつかった。母親が〈世の中はそうなってるのだから、あきらめろ〉という。男尊女卑を徹底させた、がんこな父親は66歳でなくなる。
これまでの束縛から解かれた。彼女は〈野遊び〉に夢中になる。子どもが3人いた。牛馬を売買する、博労と結婚したが、未入籍だ。世間の目はいっこうに気にしない。
織屋で働いていた。仕事がおわると街の飲み屋へ。そこで合流した男たち5人と、弁天島に泳ぎにいく。午前3時ころまで、なにも身につけず、素っ裸で泳ぎまくる。〈男どもは意気地がないから、遠くまで泳げなかった〉。
しかし30歳のとき、西村さんは脳こうそくにかかる。奔放な〈野遊び〉は中止された。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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