「仙童寅吉」騒動
- 2018年 4月 25日
- スタディルーム
- 子安宣邦
騒ぎの始まり
岩波書店から『仙境異聞・勝五郎再生記聞』(岩波文庫)の増刷(第6刷)の知らせを受け取ったのは2月21日である。私は「やっと増刷されるのか」といった程度にしかその通知を受け取らなかった。第5刷が出たのが2012年11月である。それから6年余りたっている。だから「やっと増刷か」とは当たり前の感想である。ところが3月に入って第7刷(1500部)増刷の通知を受け、ほとんど日を置かずして第8刷(3000部)増刷の通知を受けて、私は始めてその異常に気付いたのである。ツイッターを見ると「仙童寅吉」「天狗小僧寅吉」情報、『仙境異聞』の入手情報に溢れかえっている。ちなみに今第9刷(3000部)の増刷中である。
「仙童寅吉」騒動は2月にツイッターという情報世界に始まった事態である。だれかが火を点けたのである。ある書店の販売者は自分が火点け人だといっているが、その当否はともかくとして、だれかが火を点ければ、一気に燃え上がる事態であったのであろう。この事態をどう考えるかである。この事態を私はまったく予想していなかったし、恐らく火点け人その人も予想していなかったであろう。
『応仁の乱』の異常な売れ行き
われわれは昨年『応仁の乱』(呉座勇一著・中公新書)の異常な売れ行きの体験をした。なぜこれがこれほど売れるのか。私もその第12版の一冊を入手して読んだが、ひたすら繰り返される10年にわたる泥沼の戦いを史料にしたがって記述するこの書に異常な売れ行きの理由を探ることはできなかった。私は内藤湖南が「応仁の乱」を日本歴史上における最大の歴史転換的な事件とする理由をこの書を読んで覚った。なるほど京都朝廷的国家日本(朝廷・山門・武家連合的国家)の崩壊は、この泥沼的な10年の内乱を経てなるものであることを知ったのである。あるいはこの書を手にした多くの読者たちも、先行きの見えない泥沼的な世界に大きな転換を予感しながら『応仁の乱』を読んでいったのかもしれない。
『仙境異聞』とは何か
文政3年(1820)の秋の末、天狗小僧寅吉は山の天狗世界の情報を身につけて江戸社会に現れる。好事家的関心を強くもった江戸後期の知識人たちの手によって寅吉とその異界(天狗世界)情報は江戸社会に伝えられていった。寅吉はたちまち時代の寵児になり、もてはやされていく。『仙境異聞』とは、国学者平田篤胤(1776−1843)による寅吉からの聞き取り(インタビュー)の記録である。
仙童寅吉の出現は江戸後期社会に事件としてもてはやされ、事件として拡がっていった。この事件を構成するものは、異界(天狗世界)からもどったという寅吉という少年であり、彼が伝える異界の情報である。さらにこの寅吉の出現をいち早く知り、その貴重な情報を聞き取り、記録し、伝達していくような好奇心に満ち満ちた知識人の世界があることである。さらにその周辺には珍奇な情報を直ちに拡散する大衆的な情報社会が存在することである。19世紀初頭の江戸とはすでにそういう社会であった。
ことに寅吉の異界情報が篤胤によって記録されていったことの意味は大きい。篤胤は顕幽二元的世界の主張者であった。彼は顕世(目に見える世界)とともに幽世(目に見えない世界)の実在を主張した。幽世・幽界は神霊や死後の魂の鎮まる世界であり、同時に天狗など異類的存在の住む世界(異界)とも重ねて考えられた。篤胤はこの幽界は地上世界(顕界)の周辺にあると考え、その実在を信じていたのである。寅吉とはこの篤胤にとって幽界の有力なインフォーマントであったのである。
寅吉は篤胤の問いに見事に答えていく。予めその問いを知っているかのように。寅吉はたしかに賢い少年であった。だが寅吉は篤胤たち、当時の好奇心旺盛な知識人たちとの問答を通じて育てられていったのであろう。その意味では『仙境異聞』とは篤胤と寅吉との合作ともいいうるものである。
19世紀江戸社会と『仙境異聞』
江戸後期社会でなぜ天狗の国から返った少年の異界情報がもてはやされたのか。1820年の日本の近海にはすでに異国船が頻繁に現れている。欧米世界の知識はすでに書物を通じて民間にもかなり拡がっていた。日本の近世社会=徳川社会は知識学問については封建的な身分的制約から開放されていた。1830年の天保の時期を教育史のうえで「教育の爆発」の時代というように、藩校が全国的に設けられ、寺子屋は広く普及した。だが徳川日本は鎖国を国家体制としてもっていた。したがって知識は他世界・異文明世界との積極的な交流関係をもつことなく、好奇心をいや増しながら、別世界・異世界への関心をただ知識として増大させていった。そう考えると寅吉という異界情報の天才的な伝達者の出現も、近世日本社会の知的爛熟をある形で表現するもの、あるいは好奇的知性の逸脱的な表現ではないかという気がしてくる。
明治維新150年に仙童寅吉が出現した意味
「仙境異聞」とは、異邦の知識を導入しながらも、なお鎖国体制にあった日本の閉ざされた知識欲が溢れ出すように造り出した「異界」でありその情報ではなかったか。この「異界」の情報をもって寅吉が江戸に出現したのは1820年である。それから50年も経たずして日本はその「異国」に国を開くことになった。それ以来「異国」は「先進国」になった。そしてそれから150年、「先進国」になった日本はいま先行きの見えない世界にいる。だがいっそう先行きを見えなくしているのは日本人自身ではないか。アメリカに従ってしか世界を見ようとしてこなかった日本人には世界が、アジアが見えなくなっている。みずから鎖国しているようなものだ。その日本で、2018年の日本に「仙童寅吉」が現れたのである。浅草観音堂前の現の寅吉ではなく、スマホ上のバーチャルの寅吉が。ネット上に仮想の騒動が巻き起こっているのである。
江戸の寅吉騒動は50年後の開国を予告したとするならば、平成最後の寅吉騒動はもう一度の、本当の開国を予告するのだろうか。観光立国をいいながら、日本人は他者に不寛容である。首都で堂堂とヘイトスピーチが叫ばれ、そのデモを警官が守ったりする国は日本を措いて外にはない。
東京五輪の2020年はちょうど寅吉出現から200年である。寅吉は天狗の世界から、この国が本当に開かれた国になるかどうかを見守っているかもしれない。
初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」2018.04.24より許可を得て転載
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/75874151.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔study965:180425〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。