リハビリ日記Ⅲ ①②
- 2018年 5月 24日
- カルチャー
- 日記阿部浪子
①孫育て
真夏日の午前、わたしはS病院のリハビリ室をたずねた。7か月ぶりだった。S病院は浜松市内にある、リハビリテーション専門の病院だ。脳内出血を発症してから1年2か月が経過していた。わたしは、S病院を退院してから介護施設にいた。そこを退所して自宅にもどったものの、歩行はぎこちない。歩いていても、周りへの目配りがきかない。まだ、外部のきびしい環境に慣れていないためだ。S病院は、先生1人に生徒1人という、マンツウマン方式をとっている。週1回、1時間の授業に通うことになった。
ひさしぶりに見る先生たちのデザインカットのヘアスタイルが、すてきだ。理学療法士、作業療法士の先生たちなのだが、よく見れば、かれらの表情がどこか、さびしげである。どうしたのだろう。かれらは大変な仕事をしている。
エレベーターからT先生がおりてくる。病室から車椅子の入院患者をつれてきたのだ。入院患者はリハビリを受けなければならない。わたしは、T先生にあいさつをした。T先生の顔と腕が、小麦色に日焼けしている。休日を釣りをしながら愉しんだのであろうか。大海原とたわむれながらのんびりと過ごしたのであろう。
N先生、I先生、H先生、Y先生、A先生、B先生とも、再会のことばを交わした。車椅子で働いている言語聴覚士のJ先生とも。J先生は大学卒業後、中伊豆の病院に6年間勤めていたという。自分の考えをはっきり述べる、さわやかな女性だ。
担当の先生から、今回のリハビリの目標は? と訊かれる。〈マックへ歩いていくことです〉と、わたしは答える。冗談のつもりが、先生は計画書に書きこんだようだ。発症前は、早朝にマクドナルドへ出かけた。自宅から歩いて50分かかる。ソーセージマフィンとホットコーヒーを注文して、90分くらい原稿の下書きをする。客はいつもまばらだった。
マック山への単独登頂は、意外や、はやくに実現する。9月15日、マックのおもいドアを開けた。呼吸が乱れていた。60分もかかっていたろうか。
S病院に入院した2016(平成28)年7月から翌年1月までのことは、「リハビリ日記」と題して、ちきゅう座に掲載している。拙稿を点検してくれているのは、社会評論社の松田さんと、日野啓三などにくわしい文学好きの府川さんだ。そして、ネットに流れるとすぐに感想をくれるのは、作家の難波田節子さんと近代文学研究家の大和田茂さん。それに、大学時代の親友、ただよさんである。かれらは読める人だ。
*
わたしのような外来患者は、何人いるのだろう。待ち時間に、はじめて声をかけてきたのが中園さんだ。口紅がはみでているという。ほっといてよ。お節介なおばさんだ。こころのなかでむっとした。中園さんは、わたしが後遺症で口紅がうまく引けないことを知らない。中園さんはひざの痛みで、リハビリに3年通っている。
後日、彼女は布の手提げ袋をくれた。かるい。おもいバッグが持てないわたしには、最高の贈り物だった。
中園さんがこんな話をした。〈孫がいうの。おばあちゃん、ぼく、おかあさんなんか、いらない。女の子を連れてきたよ、って〉。中園さんの長男は、その日、自分の子どもに恋人を会わせた。帰宅して孫が祖母に報告する。孫が2歳のとき母親はなくなっている。現在、男子は中学3年生だ。その間、中園さんが母親代わりをして育ててきた。
中園さんはおしゃれな人である。センスのいい洋服を着ている。聞けば、デパートのブディックに長年勤めていたという。
彼女は読書好きでもある。わたしの『平野謙のこと、革命と女たち』(社会評論社)も読んでくれた。わかいころから本は読んできたが、感動したことを友人たちと共有して、話し合えないのが、物足りないと、中園さんはわたしに話すのだった。
②シングルマザー
隣家のハナミズキの白い花が、すずしげに咲いている。早朝、わたしは散歩にでかける。畑道はコンクリートで舗装され、とても歩きやすい。いや、車のための道路かもしれない。浜松は車のまちだから。
こんなにはやい時刻なのに、畑では、人が座りこむようにして野菜を収穫している。いまどきの畑は、雑草がなくてきれいだ。
うすいブルーの空がおおきい。視界がぐーんとひろがる。都会ではもてなかった感覚だ。朝の光に、わたしは、からだ全体がつつみこまれるようだ。歩を進めると、後遺症のせいか、右足の親指から中指までがねじまがるみたいで、からだが不安定になり、よろめく。
自宅にもどると、前の家の人が、転居のあいさつにきた。背のたかい好中年だ。リフォームの仕事をしているという。数日後のこと。かれが家の玄関を身をかがめて掃除をしていた。Tシャツがめくれあがり、背なかの入れ墨がみえた。おやっ。かれのドラマの1点を見るような思いだった。
西隣のりえこさんからもらった、もぎたてのトマトを食べた。彼女は少女時代によく遊んだ、年下の友だ。いまパソコン教室に通っている。拙文の「リハビリ日記」をすぐに読んでくれた。
民生委員の女性がたずねてきた。市役所からの指示だという。1人暮らしの高齢者を対象にした地域の役員だ。彼女は結婚後もずっと働いてきたという。おしゃれをしている。病後のしょぼくれたわたしは、なぜか、気おくれした。
*
S病院は、女性療法士がおおい。車椅子の先生も、3人の子どもをもつ先生も、働いている。前年まで、シングルマザーの先生もいた。女性が社会に進出できる時代なのだ。ある日、作業療法士のX先生が、こんなことを話した。〈出産後、かれとは会ってません。男にはうんざりした〉と。X先生は未婚の母なのだ。11歳の、〈マルコメ君みたいな〉男子が、母の帰宅を待っているという。彼女は36歳。〈結婚願望がわたしにはない〉とも。
男性の側から、〈男一般のよさをみてほしいなあ〉とも、〈そのときのかれをいいと思ったんでしょ〉とも、反論がでて当然だ。25歳の、彼女の決断である。今後の試練を想定したうえでの、母子家庭の選択だったのであろう。
が、1つ、わたしには、彼女の誤読が気にかかった。〈子どもが男の子でよかった〉というもの。女子なら、母親の選択を同性だから責めてくるにちがいないと、彼女は読んでいるみたいだ。そうだろうか。男子だから、潜在意識のなかに父親を求めるものがあるのではないか。わたしは長年、国語講師をしてきた。その過程で接触しながら学んだ男子の心理だ。その願望を、彼女は想定していたろうか。疑問である。
強気こそ彼女の武器かもしれない。しかし、X先生のことばでごまかす態度は、こころに引っかかった。先生としての実績を強調するあまり、生徒(患者)のテストの点数を偽っていいのだろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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