講座二題ー朱子と小楠と
- 2018年 6月 1日
- スタディルーム
- 子安宣邦
『朱子語類』を読むこと
『朱子語類』の和刻本のテキストをあえて江戸時代の訓読法をもって読むことを論語塾でしている。だが宋代口語で記録されている『朱子語類』のテキストを日本の訓読法をもってしては読めない、否、それは誤読するだけだと中国学者溝口雄三はいう。彼は日本で長く続けられてきた訓読法による読みの誤りを脱するために現代語による翻訳という大事業の開始を宣言し、すでに巻1〜3の現代語訳の刊行を見ている。
私はこの現代語訳『朱子語類』を見て、これは違うのではないか、これは現代日本・日本語の『朱子語類』であって、朱子と弟子達との間で交わされた生々しい思弁的対話『朱子語類』ではないと思わざるをえなかった。宋代言語からなる『朱子語類』を一千年の時を隔てた、しかも言語的に異質の現代日本語に移す作業とは何かということが、そこでは全く考えられていない。『源氏物語』の現代語訳でも、そこに成立するのは谷崎『源氏』であり、与謝野『源氏』ではないか。だから溝口は己れの『朱子語類』を創るくらいの気概をもってやればよいのだが、その溝口はもうこの世にはいない。
私はこの現代語訳を見て、わが先人たちが生み出してきた漢文訓読法を、異言語としての漢文の非常に優れた理解法だとあらためて思った。中国の漢字・漢文からなる文化・思想体系を日本人がかなりの高さで理解し、受容してきたのはこの漢文訓読法によるのである。
江戸の儒家たちは『朱子語類』を苦労してこの訓読法で読んできた。この苦労して読んできた痕跡が和刻本にはある。私はその跡を践みながら『朱子語類』の最初の数巻を訓読法で読んでみようと思っている。幸いに溝口ら中国研究者の宋代口語についての教えがある。それを斟酌しながら私は訓読法で読んでみたい。日本の近世儒家の朱子学の思想体験を追体験する最善のあり方は訓読法で読むことではないか。その試みを私は飯田橋の論語塾でしている。
私と一緒に朱子学という東アジアの宇宙論的思想体系をわが先人の跡を践みながら読み解いてみませんか。
小楠を読むこと 子安宣邦
人物叢書の一冊である圭室諦成の『横井小楠』を今朝(5月29日)から読み始め、午後の4時過ぎに50年前の最初に読んだときとほとんど同じ感銘をもって読み終えた。実は私は50年前に横井小楠をめぐる論文を一つ書いている。それは雑誌『理想』の特集号「変革期の思想」(1967年10月)に載せた「横井小楠における世界認識と変革の思想」という論文である。
私はこの論文を圭室の『横井小楠』(1967)によって書いたものと思い込んでいた。だがこの圭室の『小楠伝』はほとんど私の論文と時期を同じくして、すなわち「明治維新100年」を期して出ていることからすれば、それはやはり私の思い違いであったようだ。私は山崎正董の大著『横井小楠伝』によって書いのであろう。
そのことはともかく、圭室の『小楠伝』に50年前と同じ感銘を受けたことは、私の論文によっても小楠をめぐる感動を再び私は味わうことを意味するだろう。だが私は小楠をめぐる感動を再び思い起こすために『小楠伝』を読み、私の論文を引っ張り出しているわけではない。
私の論文は「明治維新100年」を自覚しながら書かれたものである。圭室の『小楠伝』も「維新100年」を期して出版されたものであろう。「維新100年」に私に感動を与えた小楠が、「維新150年」の今なおわれわれに感銘を与えるとすれば、それは何を意味するのか。小楠は明治2年、京都寺町の路上で尊攘派のテロによって殺された。それ以来、小楠とは日本近代の欠落させた、失ってしまった英知、世界を見ることのできる英知であり続けているのではないか。小楠への感銘とは、喪われた英知への痛惜の念をもった感銘であり、50年前においてそうであり、今においてもそうである。小楠について早稲田と梅田で話します。
初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」2018.05.31より許可を得て転載
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/76367956.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔study979:180601〕
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