自然被害と原発事故の差異
- 2011年 4月 8日
- 交流の広場
お隣の韓国でのお話しだ。東日本大震災が起こった直後は、義援金申し込みが殺到した。人気歌手グループや有名俳優などによる高額の寄付、被災者に対する温かい同情と支援の声、など。ところが、その後に明らかになった福島原発事故によって、韓国人の日本に対する態度は一変したようだ。おそらく、「なんという迷惑なことだ」という気持ちが前面に出たのではないだろうか。義援金の申し込みもぱったりとなくなったと聞く。中国、台湾でも同じようだ。
ヨーロッパでのお話し。大災害に対しては、その後始末に奔走する日本人の秩序正しさ、パニックにならず、ちゃんと交通ルールを守り、順序だって並んでオイルや生活必需品を購う姿、道路の復旧の素早さなどに、彼らは驚き、「さすがに日本人はすごい」と思ったようだ(例えば、ハイチの震災後の無秩序下では、多数のレイプ被害が出たといわれる)。ところが、福島原発事故で、やはり態度が一変する。日本に対する批判が前面に出た。
今日(4月8日)の「東京新聞」朝刊に元外務省主任分析官の佐藤優が書いていた。「外務省官僚の不作為によって日本が『原子力犯罪国家』の烙印を押される危険がある」と。
言うまでもなく、原発事故は国際的な大問題なのである。その責任は、国内の人々にのみならず、世界の人々に対してもある、このことをもっと強く自覚すべきである。
次のような痛烈な「ジョーク」を聞くことがある。「今度の事故で一番喜んでいるのは、菅首相とアメリカではないか」「なぜなら、菅はこれで命拾いした(?)し、アメリカはメア(前日本部長)の失言がうやむやにされ、『ともだち作戦』を駆使して友好を演出できたからだ。しかし、『ともだち』は、いつも原発被害地から50キロ以上離れた安全な場所での支援しかしないのはどういうことなのか?」
今回の原発事故によって僕が感じた「日本の本当の危機」は、日本人が怒りを忘れていることだ。このことが何より腹立たしい。
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