パレスチナの今を見た② - 岩のドームを勝手に閉鎖するイスラエル -
- 2018年 7月 12日
- 評論・紹介・意見
- パレスチナ坂井定雄
▼パレスチナ人は許可証なしにはエルサレムに入れない
6月23日(土)、ラマラを朝早く出て、エルサレムに行った。15キロ余でエルサレムの入り口の厳重な検問所。許可証のない大人のパレスチナ人男性は、通過できない。エルサレムは世界中から旅行者の集まる場所で、今回は初夏のハイシーズンだから、わたしたちも1泊しかホテルが予約できないほどだった。入れないのはパレスチナ人男性だけだ。しかし私たちのハイヤーは検問所通行許可できるナンバーで、運転手は東エルサレムに生まれ、現在も居住のパレスチナ人で通行証を保持、問題なく通行できた。
▼まず「丘」に向かったが
1975年以来何回もエルサレムを訪ねているが、今回もまず向かったのは、もちろん東エルサレムの「丘」だ。丘に上に、メッカ、メディナに次ぐイスラム教第3の聖地がある。692年完成の青い装飾タイルの6角形、黄金のドームの建物。ムハンマドが死ぬとき、メッカのカアバ神殿から一夜でこのエルサレムの神殿に飛び、その岩の上から天馬に乗って昇天し、アラーの神のもとに参じた、というすべてのムスリム(イスラム教徒)が信じている伝説の場所だ。隣接して、これも歴史あるアルアクサ・モスクがあり、岩のドームで祈るムスリムはこちらでも祈る。しかし今回、「丘」はイスラエル軍によって閉鎖され、入れなかった。1975年以来、何回も訪れているが、こんなことは初めてだ。
わたしはムスリムではないが、岩のドームそのものが美しく、ここを訪れ、建物の周りで正式に祈るムスリムたちの静粛、敬虔な姿にいつも感動した。丘の上にあるので、東エルサレムにたくさんあるキリスト教各派の教会やイスラム教のモスクを見下ろす風景が広がる。
ところが今回、「丘」へのムスリムはじめ市民たちの入り口も、外国人観光客用の唯一の入り口も閉鎖されていたのだ。入り口を警備する隊長らしい兵士に聞くと、「昨日も、今日もクローズだ」というだけ。他の男性に聞くと、ムスリムはラマダン(断食月)明けではしゃいでいるし、ユダヤ教徒にとっては神聖な土曜日で、その中でも特別の日だという。何の日かきいたが、よくわからない。エルサレムに住んでいる私たちのドライバー氏も知らなかったようだ。
「丘」の西側の壁に、ユダヤ教徒が最も大切にする「嘆きの壁」がある。いつも通り、ユダヤ教徒たちが祈りの儀式をやっていた。しかし今回は、小さなカメラを手に近づくと、大きな体で目の鋭い男数人が立ちはだかり、カメラ禁止、近づくなという動作 をするので、引き返した。
▼いつからこんなことを始めたのか
これまでにもイスラエル軍が「丘」を閉鎖し、岩のドームに近づくことも、隣接するアルアクサ・モスクで祈ることも出来なくなったことは何回かあった。パレスチナ人のインティファーダ(抵抗闘争)が高まり、「丘」でもパレスチナ人の若者たちがデモをやった時だ。そのときはイ軍の銃弾で若者たちが何人も死傷した。
しかし、今回、イスラエル軍が「丘」を閉鎖の理由にするような、パレスチナ人の行動は全くなかった。イスラエルは、いつから平穏な「丘」を勝手に閉鎖するようになったのか。それはなぜなのか。わたしもエルサレムをウオッチしてきたが、知らなかった。トランプ米大統領は、5月14日、エルサレムをイスラエルの首都と改めて承認することを意味する、大使館のテルアビブからの移転を強行した。パレスチナ自治政府もパレスチナ人たちも、強く抗議し、デモは西岸地区でもあったが、イスラエル軍と衝突するような激しい行動はガザ以外ではなかった。
エルサレムの「丘」の閉鎖は、分離壁の建設拡大や主要道路の検問を強化したのに通じる、イスラエルのパレスチナ軍事支配強化を示す行動の一つに違いない。
エルサレムの「丘」北側から見た東エルサレム。画面の右側に今回はイスラエル軍が閉鎖した「岩のドーム」が見える。画面の奥の丘はオリーブ・マウンテンと呼ばれ、各派キリスト教会や墓地もある。ユダヤ人入植地も増えつつある。(筆者撮影)
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