「マサオ・ミヨシのこと」──周回遅れの読書報告(その66)
- 2018年 7月 29日
- 評論・紹介・意見
- 脇野町善造
マサオ・ミヨシというのが著者の名前である。名前から分かるように、日系の学者である。10年ほど前に死んだという。何度か日本に来たことがあるようだが、会ったことはついに一度もなかった。
ミヨシはサイードやチョムスキーの友人というから、どんな思想の持ち主であるかはわかるというものだ。その『オフ・センター』の中で、渡部昇一を痛烈に揶揄する文章に出会った(130頁)。渡部も先ごろ死んだが、20年以上も前にミヨシは渡部をこう批判していた。
支離滅裂な英語学者で、愛国主義的ビジネスマンに向けてこれまで120冊の本をでっちあげてきた渡部昇一
渡部の本が(1996年の時点で)120冊もあるとは知らなかったが、それ以上に彼が「支離滅裂な英語学者」であるとは驚いた。彼の英語理論(恥ずかしながら私は読んだことがない。したがって「そんなものがあるとすれば、だが」の話である)が「支離滅裂」なのか、英語学者としての彼の言動が支離滅裂なのか、ハッキリしないが、渡部のことをここまでハッキリ罵倒する文章に始めて出会った。少し考えてみれば、英語学者でありながら幇間のような文章でもって120冊もの本を書くということだけでも変なのだ。それを今まで誰も批判してこなかったほうがよほど不思議だということになる。
そして次のような文章もある。
「闘争なしに与えられた民主的権利はたいていの人に評価もされなければ理解もされない」(291頁)
「戦後民主主義」なのものがもろくも瓦解ししつある理由はこの一点につきるのではないか。日本の「戦後民主主義」は日本国民が地と汗で戦い取ったものではなく、望んだものでさえなかった。それは占領者たる連合軍、正確に言えば、アメリカのルーズベルト連合によって「押し付けられた」ものであった(憲法が直接押し付けられたのではない。憲法は「押し付けられた」民主主義のもとで日本国民の代表者によって──多分に天皇制の維持との交換条件で──受け容れられたのである)。
しかし、そんな「押し付けられた」民主主義が定着するはずもなく、それを否定しようとする勢力の前に抵抗力を持つわけでもない。軍部の独裁に何ら抵抗することのなかった国民には、民主主義のもとではなく、「奴隷の安住」こそがふさわしいのかもしれない。戦わない国民には自由など無意味なのだから。
マサオ・ミヨシのことは、この不思議な題名の本の著者であること以外は何も知らないが、いったいどういう思いで生きて来たのであろうか。
マサオ・ミヨシ『オフ・センター』(平凡社、1996)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7868:180729〕
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