図書館に出たり入ったり・・・、本って読むもの?使うもの?
- 2018年 7月 29日
- カルチャー
- 内野光子
夏休みに入って、地元の図書館は、子どもたちで大賑わいである。幼児連れの若いお母さんをみれば、娘と一緒に読んだ絵本や本をなつかしく思い出す。漫画の「日本の歴史」なんていうのは、どういうわけか、せがまれて買い込んだのか、いまでも家にある。
この頃、本を「読む」ということがめったになくなってしまったのは寂しい。私の場合、多くは、調べるために“使う”本が断然多くなってしまった。調べものと言うとき、現在は、インターネットで、大方のことは、ある程度の情報を得ることができる。それが調べものの端緒になることはある。しかし、あるテーマで書いたりというときに、参考にするのは、やはり執筆者のはっきりしている資料、多くは活字になった資料ということになる。
ある歌人について調べたいとき、その短歌を読んだり、引用したりしたいとき、その基本的な情報は、やはり、短歌関係の辞典・事典から入る。そして、作品をまとめて読みたいと思っても、「歌集」が手元にあることの方が珍しい。そこで、家にある、いくつかのアンソロジーや文庫本の個人の歌集(抄)を開いてみる。歌人の全集では、晶子と啄木が書棚の奥にあるくらいだが、あとは、購入したり、いただいたりした個人の一冊本の「全歌集」が幾冊かある。どれも重くて厚い。義姉から譲り受けたものを含めると20冊以上になるだろうか。調べたい歌人の全歌集があれば、ラッキーという感じでひと安心する。そこには、たいてい年譜というものが付いているので、重要な情報源になる。また、私自身が関心を持っている歌人については、多くは、所属の結社誌の記念号や追悼号を何とか手に入れていたが、大した数にはなっていない。
あとは、短歌総合雑誌のその歌人の特集記事と執筆の文章・作品を検索することになる。購読している短歌総合雑誌や新聞はわずかだし、空白もあり、保存しているわけでもない。地元の図書館で、短歌関係の図書は、あまり期待できない。雑誌も『短歌研究』と『短歌』の二誌しか置いていないし、保存期間も短い。そこで、まず、国立国会図書館のオンラインで、目当ての資料の所蔵とデジタル化されているか否かを確かめる。デジタル化されている図書でも、著作権の関係で、館内でないと閲覧できない場合もある。もっとも、館外貸し出し可能な「図書」であれば、地元の公共図書館を通じて館外貸し出しすることもできる。主な短歌雑誌については、2000年までは、デジタル化されているので、目次までは、ネット上で見ることができる。館内閲覧や遠隔地コピーを申し込む場合も、あらかじめ、その個所を特定できるのでありがたい。しかし、短歌作品の場合、目次には、すべての作者名が表示されないことが多いので、そこが厄介ではある。しかし、それとて、もともと国立国会図書館で、所蔵していなければ、デジタル化されない。復刻版やマイクロ化しているものは、このデジタル化は、後回しにされているようだ。
今回、ある女性歌人について調べていて、年譜や追悼号などで知った著作や関係文献で、国立国会図書館に所蔵していない場合、その歌人執筆の文章や作品を入手するのは、結構難儀であった。日本近代文学館、日本現代詩歌文学館などをまず探してみる。ネット上で各館の所蔵を確かめた上、私は、駒場の近代文学館には出向いたが、盛岡県北上市の詩歌文学館には、レファレンスの上、コピーを依頼した。しかし、それが、短歌雑誌の長期間にわたる場合は、泊りがけで出かけなければと苦慮していたが、地元の図書館を通じて、貸し出していただけることがわかった。さっそく、この制度を利用させてもらった。
なお、戦前は、女性歌人がいわゆる「婦人雑誌」に登場する機会も多く、短歌やエッセイをよく発表している。「婦人雑誌」に限られるが、お茶の水にある「石川武美記念図書館」(元主婦の友お茶の水図書館)では、現物を手にしながら、自分でコピーが取れるのでありがたかった。
また、国立情報学研究所の総合目録CiNiiBooksでは、書誌事項がくわしい上、どこの大学図書館で所蔵しているかが判明する。しかし、大学図書館の学外者の利用は、まだ、かなり難しいところが多い。立命館大学の小泉苳三白楊荘文庫は、明治・大正・昭和前期における短歌関係資料の貴重なコレクションで、私も、かつて学内の教員の紹介で利用させてもらったことがあるが、今はどうなっているだろう。全国、どこの公共図書館でもその所蔵が明らかであれば、地元の図書館を通じて、往復の送料負担で、館外貸し出しが可能な場合が多い。今回、遠隔地の県立図書館所蔵の資料もお借りすることができて、助かった。
さらに、新聞記事については、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞は、それぞれ、聞蔵Ⅱ、ヨミダス歴史館、毎索のデータベースから、キーワード検索が可能で、コピーもでき、縮刷版やマイクロで苦労することが少なくて済む。しかし、地方紙になると、中日・東京新聞などは、時期によって検索ツールを異にしたりする。国立国会図書館では、地方紙のデータベース検索機能を持たない。横浜の新聞博物館は、リニューアルということで二年前に新聞ライブラリー機能を廃し、データベースも閲覧のみで、コピーは一切できなくなってしまったし、館外からの所蔵検索もできない状況である。この情報社会で、日本新聞協会は何をやっているの!の思いでもある。それだけに、国立国会図書館には、新聞記事データベース検索・閲覧・コピー機能を地方紙にも拡大して欲しいところだ。オスプレイ一機分200億! 陸上迎撃ミサイル、イージスア・ショア一基1000億以上!という。防衛費を回せば、すぐにもできることだろうに。
資料というのは、調べれば調べるほど、際限なく、芋づる式に出て来るもので、その確認がなかなか終わらない先から、新しい文献に出会ったりするので、達成感というものがない。むしろ、大事なものを落としてはいまいかの不安の方が大きい・・・。
加齢とともにフットワークは悪くなるが、インターネットに助けられながら、いま少し、調べ、知り、考えるよろこびは失うまいと、パソコンに向かい、図書館に出かけたりして、猛暑に耐えている。
初出:「内野光子のブログ」2018.07.29より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/01/post-9a71.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0666:1800729〕
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