2018.ドイツ逗留日記(8)
- 2018年 8月 6日
- カルチャー
- 合澤 清
世界的な異常気象
依然として猛暑が続いている。もちろん、日本のあの蒸し暑さに比べれば、数倍ましであろうが、それでも大気汚染が少ない分だけ直射日光は強く、日中の暑さは強烈だ。
今朝(8/5)読んだ「東京新聞」のオンライン版に次の記事が載っていた。
「【ロンドン共同】記録的な熱波に見舞われたスペインとポルトガルで4日、気温が46度を超えた。1977年にギリシャで記録された欧州での史上最高気温の48・0度に迫る勢い。欧州各地では原子炉の運転休止も起き、影響が広がっている。
アフリカから押し寄せた熱波が一因で、英気象庁や欧州メディアによると、スペイン南西部で46・6度、ポルトガル中部で46・4度を記録した。同国の首都リスボン郊外では冷房の利用が集中して大規模な停電が発生。フランスでは冷却水として使う川の水温が上昇し、複数の原子力発電所で原子炉の運転が一時的に止められた。」
スペイン、ポルトガルで48℃位までなりそうだという噂は耳に入っていた、またスェーデンが猛暑で、氷河が溶けだしたというニュースも知ってはいたが、ヨーロッパ全体がこれほどの猛暑に包まれているとは驚きである。
250年以上にわたった化石燃料依存社会の当然の結果であり、いよいよその曲がり角に来たのだと言われている。
その昔、物理学者の竹内均がある雑誌で、確か「宇宙船地球号に未来はあるか」というようなタイトルの論文を書いていた。彼の結論は、早晩対策を練らなければ確実に地球号は沈没するであろうということだった。
更に今回の新聞記事で改めてショックだったのは、原発大国フランスの処置である。つまり、「フランスでは冷却水として使う川の水温が上昇し、複数の原子力発電所で原子炉の運転が一時的に止められた。」という箇所だ。フランスですら、原発が気温の上昇に影響していることを認めているのだ。
かつて小出裕章(元京大原子炉実験所)が言っていたことを思いだした。
原発による発電は、100万キロワットの電気を得るのに200万キロワットの電気を海に捨てなければならない。そのため周辺の海水温度は、7℃以上も上昇するという話である。
小出はこれを地球温暖化の主要因だという。この事を未だに認めていないのは、日本の原子力規制委員会と日本政府ぐらいのものではないだろうか?
他人事のように「人類の滅亡」を嘆くより前に、こういう事態に対する生死をかけた闘いを語る方が先ではないのか。文字どおりわれわれ自身の存亡がかかっているのだから。
Wolfsburg(ヴォルフスブルク)のサマーフェスティバルに行く
ヴォルフスブルクといえば、自動車に興味のある方なら当然ご存じであろうが、フォルクス・ワーゲンの本社がある企業城下町である。1938年にナチ政権が、この地に自動車工場を設立する前は、小さな城下町で、ブラウンシュヴァイクの属国だったようだ。
ヴォルフスブルクという名前は「オオカミ=Wolf」の「城(要塞)=burg」という意味である。町の旗も城(要塞)の上にオオカミが描かれている。
どうしてこういういかめしい名前が付けられたのか、謂われは知らない。
城もまだ残ってはいるが、フォルクス・ワーゲンの圧倒的に大きな施設の前に形無しの状態である。今回、現代の巨人たる自動車会社の規模の大きさに改めて驚嘆した。これまでは、ドン・キホーテ並みに、見えざる空想の巨人に向かって闘いを挑んでいたのであるから、実際に目の当たりにしたことは、今回一番の収穫といってよい。
この日はこれまでにないほどの暑い日であった。友人の車で約2時間。アウトバーンは、途中32キロにわたって工事中で、徐行運転の連続。私などは、助手席で居眠りばかりしていたので、あまり苦にならなかったが、運転していた彼女はさぞいらいらしたことであろう。
かつての田舎町から、戦後の復興を経て一躍脚光を浴びるようになったこの町は、今はAutostadt(自動車の街)と自称している。そしてこの期間(7/18~8/26)、Sommerfestival der Autostadt(自動車の町のサマーフェスティバル)が開かれている。
ドでかい広さの敷地内に20もの巨大なビルが建ち、その中で様々な展示がおこなわれている。また同じ構内にサーカスのテント、なども建っている。
一つの展示場を見るだけでも、優に半日はかかりそうである。われわれも大急ぎで飛び回ったつもりだが、3つ回れた程度で、足は棒のようになり、くたくたになってしまった。
もちろん、各展示場ごとに説明員がいて、お願いすればいくらでも丁寧に説明してくれるはずだが、バテテいるうえに、車に関する知識もなく、しかもドイツ語での説明となると、Nein,danke!(結構です)となってしまう。
理解できた範囲内での印象でしかないが、今後の自動車産業の方向性は。AI制御での完全自動運転化、それに見合った町づくり(Urban)構想。電気自動車への切り替え。環境保全とエネルギーの共有化(ごみ処理や輸送、などの一括管理)。更に、渋滞解消への提言。そして面白いのは、貧富の格差の問題を取り扱っていたのだが、残念ながらこの辺はよくわからないままになった。
クラシックカーの陳列場では、目を見張らせるような豪華な車が並んでいた。
そう言えば昔々、アメリカ映画で大金持ちのプレーボーイが、美しい女性を横に乗せて、こういうピカピカの大型車(大抵はキャデラック)を乗り回していたことがあったようだな、とか、日活や東宝あたりのスターが、派手にこういう車(アメ車には到底及ばないが)を飛ばしていたな、とか、あまり自分の実人生には馴染みのない「思い出」がほんの少し浮かんできた。
1930年頃に生産された有名なフォードT型車もまじかに見た。さすがに車に疎い私もこれには気持ちが動かされた。「フォーディズム」と言われるベルコンシステムが導入されるようになった頃の一大成果であるからだ。
もちろん陳列の主流は、VW(フォルクス・ワーゲン)である。歴史的経過を追っていろんな車体の変遷が見れるのは面白い。メッサーシュミット社が戦後生産した車もあった。
ロールスロイスを見たとき、大昔の少年時代を想い出した。天皇がこれに乗って田舎に来たことがあった。急に道路が整備され、それまでのでこぼこ道は綺麗に舗装し直された。われわれは何故か、日の丸をもたされて道路の端に整列させられ、1秒で通り過ぎるだけなのに長い間そのまま待機させられた。不快な思い出だ。
ドイツ人の友人が、一台で何軒も家が買えるほどの高級車が並んでいるね、とつぶやいた。
実際に今でもまだこういう車を乗り回している金持ちがいるのであろう。
貧富の格差問題について考えさせるような展示物は、いったい何のためにあったのだろうか、と自動車会社の意図を改めて考えたが答えは見いだせないままだ。
広い構内の中庭では、大道芸も見せていた。4人の若者が炎天下の中で、汗びっしょりになりながら軽業をやっていた。フランスから来た芸人らしい。ほんの一瞬でも油断すれば、間違いなく大けがをするだろうし、半身不随にでもなりかねない。演技をする時に防弾チョッキのような厚手のチョッキを着るのは、心臓を守るためなのか?
将来の顧客である子供を惹きつけるために、こういう出し物は欠かせないのであろう。
子供用の遊び道具もあちこちに置かれていた。
また施設のすぐ脇を流れる川(あるいは、運河)には遊覧船が浮かび、また数人乗りのボートが遊んでいた。その水を引き込んだと思える構内の池には大きなコイが何匹も泳いでいるし、ハリネズミのような格好のビーバー(?)が、陸に上がって草を食んでいた。
東洋人の客といえば、専ら中国人である。中国人は団体で来ている。VW(フォルクス・ワーゲン)社の中国との密接な関係(大規模な中国工場設立など)がうかがえる。技術者というよりも観光客で来ているようだった。新車を買うつもりだろうか。
新車の展示場では、大型のスクリーンに東洋人の男がVW車に乗って登場し、IT機器を駆使しながら、山間部への孤独な旅から引き返して、待ち合わせている女性(多分ドイツ人)と会うというストーリの映像が繰り返し映し出されていたが、おそらくこの男性は中国人に違いない。
今やそれほどドイツにとって中国の存在は大きいといえる。
以前はパンフレットの東洋系の文字解説といえば、日本語だった。今は全て中国語である。
歴史という視点、世界というスケールで物事を捉え、考えなければならないと痛感している。
ドイツの新左翼系の小集会
ゲッティンゲンで偶然見かけたのだが、旧市庁舎(ラートハウス)の前で、30人程度の人たちが集まり、一人が携帯マイクを持ち、周辺に訴えながらシュプレヒコールをも繰り返していた。なんとなく聞いていたが、「すべてのファシスト打倒」「エルドゥアン打倒」というような意味のことを叫んでいる。
ひょっとして新左翼ではないだろうかと思い、辺りを見たらやはり、パトカーが2台挟み撃ちにして止まっていた。旗も何本か見えた、若者も年配者もいたように思う。
どういう団体か判らず、もう少し話が聞きたかったのだが、残念なことに、これに気がついた時は既に終わりかけていた。
この場所は、選挙間近ともなれば絶えずいろんな政党が、大衆動員して選挙戦を戦わす場所である。しかし、新左翼らしい人たちを見かけたのは、今回が初めてである。慌てて写真を撮ったが、上手く撮れなかった。
(2018.8.5記)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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