《投稿》「天皇(制)」は、曖昧・ごまかし、排外・差別、の象徴か
- 2018年 8月 26日
- 評論・紹介・意見
- パレスチナ連帯・札幌松元保昭
もう10年以上も前になるが、私たちは在日朝鮮人の歴史家キム・チョンミ(金静美)さんを招いて、第3回反植民地主義フォーラム「響きあう パレスチナとアイヌ―故郷を奪うもの」(2007年)を開催した。「現在進行形の植民地主義に抵抗する道筋を探る」というねらいだった。キム・チョンミさんは講演タイトルで、「なぜ日本民衆は天皇(制)を支持しつづけることができるのか」と問うた。しかし会場の聴衆も主催者も、最後までだれもその問いに答えることは出来なかった。
それはなぜだったのだろう。天皇制に対して闘っているものがひとりもいなかったからだろうか。あるいは日本に天皇がいるのはあたりまえで、「なぜ」と問う人がひとりもいなかったからだろうか。会場には、日本社会を糺す闘いをしているものが少なくなかった。しかし、ほんの一時期を除いて日本では、学校でも家庭でも職場でも、労働組合でも学会でも、天皇制是非の公論はもとより仲間内の議論さえほとんどしてこなかったのが実情だった。
考えてみると、天皇や天皇制というものは最初から「答えられない」仕組みとしてつくられてきた。戦前、戦中の人々は「万世一系の天皇これを統治す」と教えられ「天皇は神聖にして侵すべからず」に疑問を持つものは非国民と非難されてきた。戦後の人々はさいしょから「国民統合の象徴」と教えられ、何故と問うことは封印されてきた。誰一人訊かれたこともないのにすでに「国民の総意」となっていた。こうして「決まったこと」として「神聖」「崇敬」「敬愛」が日本の歴史と空気に嵌め込まれてきた。
天皇の「生前退位メッセージ」(2016年8月)を聴いた多くの国民が「象徴」を務めてきたことに「敬意」を新たにしたという。改竄、隠蔽、改憲にひた走る安倍晋三にくらべ、憲法を遵守し戦没者を慰霊して平和を祈念し、全国各地の被災者を慰問しつづける現天皇を「明君」と讃える著名な憲法学者もいる。よき翁と媼になったというひともいる。天皇のうた(御製)をひろってみると、
精根込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき(1994年硫黄島慰問)
国がためあまた逝きしを悼みつつ平らけき世を願いあゆまむ(1995年戦後50年)
沖縄のいくさに失せし人の名をあまねく刻み碑は並み立てり(1995年戦後50年沖縄)
あまたなる命の失せし崖の下海深くして青く澄みたり(2005年サイパン島慰問)
逝きし人の御霊かと見つむパラオなる海上を飛ぶ白きアジサシ(2015年戦後70年ペリリュー島慰問)
こうしたうたに接すると、「国民の象徴」として誠意ある勤めをしていると感じると同時に、自らの戦争責任を曖昧にしたまま世を去った亡き父ヒロヒトための「償い行脚」でもあったのではないかと思ったりもする。
しかしまた、天皇に慰められるより、死者を返してほしい、故郷を返してほしい、責任者を処罰してほしい、ちゃんと賠償してほしい、という戦没者、被災者はいっぱいいるに違いない。さらに、現天皇・皇后の慰霊や慰問を振り返っても、原発事故にかんする御製はないし、南北朝鮮への謝罪も統一祈願もない。もちろん、日本軍「慰安婦」への謝罪も南京への慰問も辺野古への激励もない。天皇の慰霊や慰問は、やはり政治的な誤魔化しに利用されていると考える人もいっぱいいるに違いない。
「生前退位」のメッセージを聴いて、私などは「ああ、このひとたちもあの仮面をはずしたかったに違いない」とあわれに思ったものだが、彼ら皇族を解放してやるようなことは何一つしなかった。(年間60億とも100億ともいわれる皇室一族への費用を考えると人権の問題だけではないが。)日本全体、正面きって「一木一草に宿る」「空気に澱んでいる」天皇制に立ち向かっている者はごく少なかった。天皇と皇族たちの「ただの人」への解放のために、あるいは「さらば天皇制」のために、闘ってきた者はこの70年余のあいだに何人いただろうか。
神権天皇から象徴天皇に鞍替えしたヒロヒトをおいて天皇制は語れない。1931年満州事変、1933年小林多喜二虐殺、1935年天皇機関説事件から国体明徴へと進み、1936年の2・26事件を機に神権天皇は国体の中核となって、皇国・皇軍の称号が独り歩きした。文部省は、1937年中国侵略をもう一段階拡大する盧溝橋事件の4か月前、国民の思想を画一化させるための『国体の本義』という文書を全国の小学校から大学までに対し、また官庁の出先機関にもくまなく、一斉に送達した。
「大日本帝国は万世一系の天皇、皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給う。これ、我が万古不易の国体である。…億兆一心聖旨を奉戴して、よく忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とする…。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳(燦然)として輝いている。」と、明確に神話を国史(日本の歴史)と宣言した。内容はトートロジー(同語反復)であり、いっさいの理論的思考も分析も排撃するドグマと独裁とが横行する国と化した。神話的観念論というよりドグマでありカルトである。
忠君愛国、尽忠報国、自己を無にして天皇のために死ぬことを強制する死の宗教と化した臣民の道、これが臣民(国民)の生きる道となった。教育は扇動の場となり教科書は洗脳の道具となった。「日本ヨイ国、キヨイ国、世界ニ一ツノ、神ノ国。日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤク エライ国。」(国民学校2年生国語教科書)皇国臣民、皇道宣布、尊王絶対、肇国宏遠、皇統無窮、滅私奉公、挙国奉公、八紘一宇、皇国史観そして国体という「天皇国家絶対主義」こそ、天皇が統治する国家の属性だとされた。
19世紀後半から20世紀前半までの間は、台湾出兵、江華島事件にはじまり、日清、日露、第一次大戦、シベリア出兵、山東出兵、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と戦争に明け暮れ、そして最後に、自国民310万、アジア諸国民2000万人の犠牲者を出して終わった無謀な侵略戦争の歴史そのものであった。
敗戦時に天皇が一番こだわったことは、空襲でも原爆でも幾百万の犠牲者でもなく「国体護持」だったことは中高生でも知っている。この国体(=天皇家=天皇制=三種の神器=万世一系)護持こそ、ポツダム宣言受諾の日本側の最後の条件であった。同時にそこには東京裁判で戦争犯罪人として裁かれねばならぬ天皇自身の戦争責任モンダイが横たわっていた。米軍占領の円滑推進のためにもGHQと共謀しながら日本支配層は天皇と天皇制を存続させるために、公文書の徹底した焼却と隠匿、改竄がなされたことが明らかになっている。(この手法は現在の安倍政権にまで続く。)
「忍び難きを忍び」という聖断、そして国民には訳の分からぬ8月15日の「終戦の詔勅」によって、戦争遂行の責任問題と自国民300万人、中国などアジア太平洋の侵略地域各国の犠牲者2000万人への加害責任問題は一瞬にして「あいまい」な闇に葬られてしまった。戦争で獲得した収奪資産もそのままに。翌年1月、日米合作と言われている「人間宣言」によって現人神は否定されるが、「官民挙げて平和主義に徹し、…新日本を建設すべし」と訴える全国巡幸に踏み切るなかで、新憲法が準備され象徴天皇への見事な鞍替えが進行したのである。神権天皇制から象徴天皇制になってその政治権力は剥奪されたものの、その神聖性、神話性、呪術性はオブラートに包まれたまま、政治権力の装置にも民衆の心にも温存された。
すなわち、「戦犯容疑」のかかっていた天皇ヒロヒトの命乞い、天皇制国体(三種の神器と天皇家)の存続、占領支配の円滑化、これら三つの妥協の産物こそが象徴天皇制であった。昭和天皇が「国体護持」のためにと称して自らの戦犯訴追を免れ侵略加害の戦争責任をうやむやにしながら「象徴天皇」に居座ったということだ。国家主義(日本ナショナリズム)の象徴として天皇は生き残ったのである。「天皇」という装置にまとわりついているその亡霊の属性どもがあるからこそ、政治利用があとを絶たないのだ。
昭和天皇の存命、免訴、鞍替えがもたらしたものは「あいまい」だけではない。「排外・差別」もこの天皇から始まる。戦後、解放をむかえた230万人もの朝鮮人たちが子孫のために各地に朝鮮学校を建設する最中、1945年12月に旧植民地出身者は法的保護から排除され、さらに1947年5月憲法発布直前には「最後の勅令」で国籍を剥奪され外国人登録を強制された。さらにひどいのは、「捨て石」として過酷な沖縄戦を強いられ集団自決、住民虐殺の果てとして20万人もの犠牲者を出したあげく、文字通り沖縄を「捨てた」1947年9月の天皇による「沖縄貸与メッセージ」。「曖昧・誤魔化し」は「排外・差別」に姿を変えた。そして憲法の人民(people)規定を国民(nation)にすり替えてしまい、法的にも物理的にも「国民」から排除する「在日朝鮮人」差別を確定していくのは、天皇制存続の表向きと一体のものであった。
ここで歴史を書き忘れたが、日本の権力者による「卑劣さ・ずるさ」にも触れておく。東学農民戦争の5万人虐殺、閔妃虐殺焼却、満州事変「工作」、打ち続く奇襲開戦などが隠蔽・封印された事実にも、サムライ社会に許された裏切り、騙まし討ち、奇襲の手法と精神が脈打っていたことがわかる。現在の安倍政権にも引き継がれている日本人の「卑劣さ・ずるさ」の淵源は、神権天皇ナショナリズムと武士道精神、つまりオトコ社会の自民族優越思想ではなかったのか。これはヒロヒトの延命、免訴、免責、ごまかしの精神と合致する。
その後長いあいだ、天皇と日本民衆の戦争責任が不問に付され封印されてしまった。「朝鮮特需」や「ベトナム特需」のもたらした「経済成長」に浮かれ、ODAの卑怯な「戦後処理」の結果、いまにいたるまで戦争責任回避と植民地主義継続によって日本国は肥大化を遂げてきた。この歴史改竄がもたらす「うやむやと曖昧さ」そして「卑劣さ・ずるさ」が、私たちに植え付けられ、だれも現実の矛盾に応えることを出来なくさせてきたのではないか。
南原繁が「退位」をすすめ丸山真男が「無責任の体系」といい福田歓一が「立憲の枠内」といっても、知的エリートでさえ「天皇制の呪縛」を解き放ってはいなかった。天皇制を噛み切ることは出来なかった。彼らの世代の「敬愛」感情は国民の無意識に引き継がれた。天皇の全国巡幸を迎えるに際して、新憲法下でありながら引率の教師は子どもたちに日の丸を持たせ土下座や最敬礼を強要した。そのため、「曖昧さ」の政治利用はすでに準備されていた。
ほどなく天野貞祐文相による「日の丸、君が代」の復活、吉田茂首相による再軍備と「愛国心」、そして「期待される人間像」の国家主義称揚。ついに「明治100年」の「紀元節」復活と「一世一元制」を隠した元号法へとつづく。
1965年の「期待される人間像」にははっきりと、「祖国日本を敬愛することが、天皇を敬愛することと一つである。」と謳われている。現在、祝祭日のほとんどが天皇制にまつわるものばかりである。神話を事実と塗り固める虚構のニッポン。時代を天皇の名で呼びつづけるアナクロニズムが平然と「平和と民主主義の日本」を覆っている。
11月3日は、明治天皇の誕生日「天長節」が「明治節」となり、敗戦後には、新憲法公布の日として祝日の「文化の日」とされた。ところが、安倍政権からはじまった「明治150年」の一連の記念事業と符節を合わせて「明治の日推進協議会」がつくられている。「同協議会」の請願では「明治天皇と一体となり国づくりを進めた明治の時代を追憶するための祝日」とするよう求めている。国会内の集会で当時の防衛大臣稲田朋美は、「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つにがんばりたい。」と語った。
安倍政権の「明治150年記念事業」は、北海道において「命名・開道150年式典」となり、アイヌ民族の大地アイヌモシリを根こそぎ略奪した「開拓」を「先人の偉業」と賛美し、「滅びゆく民」「土人」として排除し生計の道を奪い蔑み棄民として差別してきた歴史を、それへの謝罪も賠償もせずに、「互いに認め合う共生の社会をめざして」と謳いあげている。
日本の植民地主義は江戸期よりもっと前から始まっていたが、1869年(明治2年)箱館戦争鎮定に際して、明治天皇は「蝦夷地之儀ハ皇国之北門」とし、「是迄(幕末には)官吏ノ土人ヲ使役スル甚苛酷ヲ極メ」たが、これからはアイヌを撫育(同化)して「人民繁殖之域トナサシムルベク」開拓せよ、と命じたことから、劇的なアイヌの被虐の歴史が始まる。アイヌ民族に何の断わりもなしに北海道全域を領有し、アイヌに泥炭地など脆弱な土地をわずかに「下付」したものの、すべての土地と資源を奪い、アイヌを「旧土人」として差別しつづけることになったことは、誰もがみな知っている。
2020年東京オリンピック開催の年、北海道白老に「民族共生象徴空間」が誕生するという。200億円ちかくが投入されるこの施設に、北大、東大、京大、阪大など旧帝国大学研究者が戦後もなお盗掘しつづけた「アイヌ遺骨」を集めて「慰霊の象徴空間」にするのだという。
本来であれば、歴史的な排除・差別を謝罪し、北海道の天皇御料、国立公園の全部あるいは一部でもアイヌ民族に返還してコタンとイオルを再生し、先住民族の自治権・自決権を認めることによって、はじめて「共生」の端緒が据えられることになるはずだ。ところが、北海道アイヌ協会、北大アイヌ・先住民研究センターも参画している内閣府アイヌ政策推進会議の上記施設設置の目的は、「アイヌ文化を復興・発展させる拠点として、…将来の…共生社会を構築し…より良い社会…の象徴」とするとしているだけだ。先住民族アイヌの民族としての再生を一顧だにせず、遺骨を盗掘した大学は謝罪も賠償もせず、それらを集約してその「文化」を記念する象徴空間をつくればいいというものである。これでは、アイヌ民族を風俗⇒観光⇒文化研究の「対象」とする「視線」は、1903年の人類館事件と同じものではないか。建設中のこの「象徴空間」は、いまアイヌ民族を分断する新たな火種になっている。
さらに問題なのは、民法の祭祀継承者という壁を乗り越えてようやく切り拓かれたコタンへの遺骨返還の道が閉ざされる恐れである。ここで集約的に「慰霊」するとなると、コタン再生の道がいっそう遠のくことになりかねない。歴史的にさらにひどいことは、「滅びゆく民」と規定された明治以来、科学的な人口統計はただの一度もなされたことがなかったことである。道庁が委託主導して「ウタリ協会(現アイヌ協会)」が実施してきた「生活実態調査」は、まったく人口統計学的な調査ではなかった。したがって現在もなお、アイヌ民族自身が列島各地域の正確な同胞の人口数を知らないままでいる。これでは民族の自立も自決もあったものではない。すなわち日本政府は、「科学的」と称する人類学者に盗掘を認めておきながら、科学的な人口統計調査を一貫して意図的にサボタージュしてきたということだ。
むしろ「先住民族権利宣言」(2007年)を批准しアイヌ民族を「先住民族」と認めた日本政府がいますべきことは、もしそれへの抑圧の歴史を心から反省するのであれば、アイヌ民族を蔑み貶めた差別の歴史を批判的に保存展示することである。それは、アイヌ民族自身の手によって「コタン破壊と民族離散、旧土人差別と人権侵害の歴史博物館」がつくられるのを支援することではないか。日本歴史の正しい認識のためにも、後世の若者たちのためにも、たんなる文物博物館ではなく人権歴史博物館こそが必要だ。
土地を奪った者、その土地に入植した者、という反省の意識を欠いたままでは、「共生」という声はあげられないのではないか。アイヌを暴力で同化し差別し零落させた後、囚人労働とタコ部屋労働さらに朝鮮人・中国人の強制労働の過酷な犠牲者たちの骨の上に北海道の「開拓」があったということは、消すことができない事実だ。200億円もの施設を作って、カネの勢いで「和解」や「共生」を強要する日本人の傲慢さは、明治の膨張主義、国家主義、つまり植民地主義をそのまま引き継いだ精神構造と言えまいか。
内に「安寧」をことほぎ外に「まつろはぬものどもを討ち平らげる」のが、天皇の最古からの役割だ。8世紀末、蝦夷征討の坂上田村麻呂は征夷大将軍として東北の阿弓流為(アテルイ)を討ち滅ぼした。20世紀、昭和の時代になると征夷は大東亜共栄圏から八紘一宇へと拡大され、天皇と国家と臣民が一体となって侵略戦争に邁進した。終生闘うアイヌであった故北川しま子さんは、日の丸、君が代を「あれは強盗団の旗、強盗団の歌」と看破した。
環オホーツク海域の先住諸民族の土地を一方的に確定、略奪する明治以降の侵略膨張政策によって、アイヌモシリ、クリル、サハリンなどは日本国に編入された。その国境画定によって、アイヌ、ウィルタ、ニブフ、ウルチ、ギリヤーク、イテリメンなどの北方先住少数民族は分断されたばかりか、その後に「入植」させられた日本人、朝鮮人、ロシア人と混交し、さらに「残留」分断させられることになった結果にも、日本人と日本政府は何の罪責意識をももつことなく150年を生きてきた。
こうして「植民地主義をなかったことにして」、あるいは過酷で非人道的・人種差別的な「同化政策をなかったことにして」済まそうという「持続する植民地主義」は、いまも辺野古で、分断されたアイヌの生活基盤で、在日朝鮮人の生活圏と朝鮮学校で、着々と遂行されているのが歴史の現在である。悲しい実例が、ちょうどひと月前、関空税関職員によって実行された。無償化除外で差別されている神戸朝鮮高校の生徒たちが修学旅行で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を訪問したという。楽しい修学旅行の思い出を胸に帰国したものの、関空税関で民芸品や化粧品、お菓子などの「お土産」をほぼ全部没収されたという。生徒たちは泣きじゃくり、怒り、抗議したらしいが「お土産」は戻らなかった。命令したのは、北朝鮮「脅威と制裁」で漁夫の利を得た安倍政権の経産省である。税関職員の子どもだって修学旅行の「お土産」を買ってくるだろうが、これが「天皇を象徴とした美しい国」日本人のレイシズム(人種差別)の現実である。
イスラエルに占領された西エルサレムに「ヤド・ヴァシェム」というホロコースト記念館がある。ホロコーストの追悼を記念するといいながら、「ユダヤ民族2000年の苦難の歴史」が陳列されてもいる。本来のユダヤ教とは無縁の「民族や国家」を礼拝(らいはい)祈念する建国神話の国家施設である点で、日本の靖国神社と遊就館を想い起こさせる施設となっている。
国家には建国神話がまとわりついている。建国の象徴があり正当化があり自民族美化がある。イスラエルの場合は、偽造された3000年の被虐の歴史でありホロコーストである。日本の場合、戦後再出発した「平和と民主主義」であるかもしれないが、やはり古くは天皇を戴く「万世一系」「神国日本」「日本固有の民族宗教」などという神話で偽造された歴史が下敷きにありそうだ。歴史の偽造は自民族美化と手に手を取って増幅拡大する。中東唯一の「民主主義国家」と美化する一方で、政治家もメディアも国民も自らが被害者に貶めた隣人のジェノサイドを叫ぶ「レイシズム国家」イスラエル。侵略地への入植を非難する国連決議に、3000年前からの「約束の地」だと嘯くイスラエル。他方、長く過酷なアイヌ、朝鮮人差別をしながらいまだにアイヌモシリを略奪し差別したとは認めず、国家責任の謝罪も賠償もなしに「平和と民主主義」の国と自認して、その根拠の薄弱さを怪しむことのない荒んだ社会の現実ゆえに、絶えず「美しい日本」の扇動に酔いしれながらひたすら戦前回帰を目ざす日本なのだ。
「殖民」と野蛮な国家形成を絶えず正当化したがる日本国とイスラエル国が、2014年から2015年、軍事同盟まがいの握手をして国家主導の軍産学複合体形成に着手し、戦争をする国・戦争で儲ける国に向けてひた走っている。自分たちの野心だけを粉飾・聖化して、歴史的な現実、民衆の現実を無視するそのきわ立った国家信仰(ナショナリズム)と根深い歴史偽造の性向を抱える両国の連携は、民衆を殺害する先端武器供給だけでなく世界民衆をごまかす新たな言説供給の火種となる危険も併せ持っている。歴史的事実の歪曲と加害責任の否認を繰り返すイスラエルと日本の歴史偽造は、その根が古く奥深い。今後の人類の植民地主義・人種主義の清算と克服という課題にとって。Restoration(復興=維新)神話への回帰を共にする両国の変わらぬ民族主義的野望は地政学的にも世界の悪性腫瘍の根源とみなされることになるであろう。
日本の神国イデオロギーこそ、欧米中心主義が支え利用するシオニストのユダヤ民族史観と同様、人種差別主義(レイシズム)の根拠となる思想だ。そのはじめから、自民族優越、他民族蔑視の差別史観であった。神話を歴史そのものにすり替えて成り立ってきた日本の天皇制と近代史、近代国家、いっさいのねじれはここにはじまる。
古代では、天皇家=朝廷に属する領地を公(おおやけ)といった。それが国家・社会となり私に対する公となった。この上からの公(おおやけ)が学校にも職場にも巷にも幾重にも重なり合い呪縛し合い、さらに国家社会の公(おおやけ)に繋がっていつでも国家に回収される構造になっている。日本人は、いまだにお上(かみ=神)から賜った(下賜された)公という観念から抜けきらないでいる。
ヨーロッパ市民社会が、ユダヤ人差別を温存しイスラーム教徒移民・難民への憎悪を拡げつつも実現していると称してきた市民の公共空間と比べてみても、それとすら似て非なるものである。だから日の丸、君が代で起立しないと処罰されるといった世界的にも普遍性のないことが日本では平気で横行する。天皇を「隠れ蓑」にして権力の横暴が許される場、国民を馴致する場、思考停止させ自他ともに人権を消去する場、これが日本における公の役割である。だから国家システムを左右する政財界の権力者たちは皇室の存続を固守するのだ。かつて福沢諭吉は、「愚民を籠絡する」欺術としての帝室(神権天皇制)を、日本国に欠かせないものとして推奨した。いま安倍晋三は、アンダーコントロールという公然たる嘘で「パンとサーカス」たるオリンピックを招致し、「ニッポン、チャチャチャ」を唱和させようとしている。
安倍政権や日本会議の歴史修正主義者たちの国家目標にとって「明治を取り戻す」という復古主義は、自在な煙幕でこのニセ「公」という場を利用して歴史と現実を正視しなくなるようにさせる人心支配と国家主義を目指す、またとないモデルなのだ。
冒頭の「だれも答えられなかった」に戻るが、私たちは上から措定された差別を黙認し、曖昧さのなかに漂って、反応する力を失ってきたのではないか。日本人の度し難い曖昧さ、無反省、ごまかし、これらはアイヌや在日朝鮮人を差別・蔑視してなんとも思わない根深い植民者根性に根差しているのではないか。象徴天皇というお飾りは、どう考えても植民者根性を覆い隠す呪文、思考停止してよしとする集合的呪文になっているのではないか。答えたくない、答えられない、だから黙ってやり過ごす、だからごまかす、「美しい」などと偽造する、それにも黙ってしまう、歴史にも現実にも正視すること直視することを忘れる、こういう自己欺瞞の「象徴」こそが天皇ではなかったのか?
日本人民は、天皇という虚構からいつ解き放たれるのか。いま世界では、世界人口の92パーセントがおよそ君主や王権のない共和制のもとで暮らしている。いたるところで「さようなら天皇(制)」の声をあげよう。どんな民族でも共生する誰のものでもない列島となるため、人間として人類が共に生きるために、列島の主(ぬし)として君臨してきた「日本人」が問われている。
2018年7月20日
天皇制を考える市民の会へ投稿
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7942:180826〕
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