2018.ドイツ逗留日記(12)
- 2018年 8月 28日
- カルチャー
- 合澤 清
何度も紹介したことだが、ゲッティンゲンにわれわれの行きつけの居酒屋がある。昔は、週に3回は通っていたが、このところ住んでいるところが遠くなったせいもあり、週に1,2回程度になっている。
頻繁に通っている頃は、東洋人といえばわれわれぐらいで、時々日本人の友人を誘っていく程度だった。もちろんメニュー(Speisekarte)は、ドイツ語と英語のみであった。
ところが今年、驚いたことに中国語のメニューがあったのだ。
それだけ中国人の客が増えたということだろうが、中国の台頭とは逆に、日本という国の重さがドイツを始め、ヨーロッパ各国で明らかに凋落していることを物語っているように思われる。これはアメリカに対してもいえるようだ。
ドイツのラジオでも、日本と同じように政治談議をやっている。そして、最近の日本の言論界への露骨な弾圧と違って、政権や政党への批判が痛烈に行われているのは、さすがと思わせる。
先日、その政談で、日本の「漫談」に当たるようなものを聴いた。もちろん、所々理解できた程度ではあるが、ドイツの政権政党、CDUやそれと連立するSPDなどが手厳しく皮肉られていた。中でも一番辛辣に批判さらされていたのは、米大統領のトランプであった。
トランプは、ほとんど喜劇役者並みに扱われ、おちょくられ、嘲弄される対象だった。
いずれ、日本のアベシンゾーやアソーも、こういうふうにからかわれるのであろうか?
「日本の夜明けは近い」ではなく「日・米のタソガレは近い」になりそうな気配である。
カッセル(Kassel)のお城公園(Burgpark)で遊ぶ
この日、Cさんと一緒にカッセルという町に行った。カッセルは先の大戦で壊滅状態にまで破壊された町である。というのも、対米・英との戦いをおそらく最後まで戦ったためだといわれる(これは、知り合いのドイツ人の老人で、元大学教授だった人から聞いたことだ)。
この辺はかろうじて焼け残ったところだ、というような説明を車でカッセルの街を走りながら聞いたが、町の周辺には工場や会社のビルが立ち並んでいたし、街中もそれほど面白みのある建物などは見受けられなかった。なんとなく雑然とした商工業都市といったイメージだ。
そのためだろうか、街の魅力を呼び起こすために、主に前衛芸術家たちによる芸術祭(documenta)が、4年に一度行われているし、また町のはずれの小高い丘(530mほど)の頂上に立つ巨大なヘラクレス像(何でも18世紀の作品とか)などがこの町の「売り」になっている。
ヘラクレス像の場所には、何度か登ったことがあったので、今回はその中腹にあるお城(ヴィルヘルム・ヘーエ城)とその周辺の公園を見学しようということになった。実はこの城や公園、そしてヘラクレス像も含めてユネスコの世界文化遺産に指定されている。
車を公園の下側の空き地に止めて、公園の坂道を城の方に歩きだしてすぐ、かなりの数の羊の群れが牧羊犬にリードされながら草を食べているのに出会う。こんな光景は初めてだったのでカメラを構えて、何枚か写真を撮ったが、どうも木々の緑の中で保護色のようになり、上手く撮れていない。
途中、左手に大きな湖が見えてきた。Cさんに聞いたところ、大小いくつかの湖や池があるが、それらは全て人工的に作られたものだという。
それを過ぎてやっとお城にたどり着く。
羊(うまく撮れていない) 湖(人造湖)
ヴィルヘルム・ヘーエ城(外から) ヴィルヘルム・ヘーエ城(中庭から)
お城はいくつかの建物からなっているが、それらを一続きにくっつけている。その内の一棟だけが先の大戦での消失を免れたのだという。それ以外は新しく再建したものだそうだ。その旧館が、この城の所蔵品などの展示館となっている。
ドイツのミュージアム(Museum)は、美術館以外は大抵の場合、案内(ガイド)がつく。そして見学が終わるまで外に出してくれない。2時間ぐらいは覚悟しなければならない。
われわれの見学時間までに15分間の間があったので、カッセルに住む旧友(日本人)に久しぶりに電話をしてみようと思い立った。
彼は既にドイツに30年近く住んでいる。もちろん、ドイツ人と結婚して家庭をもっている。
元気でいるかどうか、少し心配だった。最初に彼の奥さんが出て、その後彼と直接話をした。心配が杞憂だったように元気そうな声だった。今は、ここで日本語を教えて生活しているとのことだ。
積もる話はお互いに沢山あるが、何しろ15分しかない。ほんの少し近況を伝えた程度で、後はお互いの連絡方法(メールアドレスや電話番号)を教え合って、また連絡し合おうということになった。これまで20年近く連絡していなかったので、なんとなく胸のつかえがとれた感じがした。
お城の見学&城内の美術館の見学
最初に入った旧館は、現存する古い状態のままのヴィルヘルム・ヘーエ城とその所蔵品が昔の貴族の生活の跡をとどめながら展示されている。
案内をしてくれたのは、大柄で50代くらいの男性だった。客はわれわれの三人だけだ。
全て当時のままのオリジナルだという。肖像画が沢山壁に飾られている。
一番の話題は、ナポレオンがここに進軍して来て、当代の城主(伯爵Graf)と、ここで会食をしたことがあったことだった。食堂は、その時の様子をできるだけ再現しようとして、テーブルの上の状態(作り物の果物のほか、皿、フォーク、ナイフ、スプーン、コップなどを配置)や実際に使われた椅子やテーブルクロスなどが忠実に復元されていた。
広間も居間も、壁には多くの絵画がかけられ、部屋のあちこちに立派な像が置かれている。
城主の寝室、その夫人の寝室などにも立派なベッドのほか、やはり絵画や彫刻が飾りつけられていた。
大きな陳列棚に整然と並べられた陶磁器(Porzellan)は、大方はマイセン(Meißen)のものだったが、中に日本製(有田焼)という花柄の大きな皿や花瓶なども置かれていた。
城の中を案内されながら、ふと堀田善衛の『ミッシェル城館の人』を想い出した。
城の中は天井が高く、作りは堅牢で立派なものではあるが、どこへ行くにも他人の部屋の中をいちいち通り抜けなければならない不便さがある。今日の様なプライベートはなかったと見て良い。
個人主義的な考え方は、西洋では「宗教改革」以後に生まれてきたと言われているが、実際にそれが支配的な考え方になるのには、なお長い年月が必要とされたように思う。
床板のモザイク模様の立派さには驚かされる。当時の技術でこんなものを作るとなると、大変な労力と資金がかかったであろうと想像できる。領主(城主)の権力の大きさと、虐げられた領民の苦しみが思い起こされる。
この後、少しコーヒータイムを取り、引き続いて、すぐ隣の新館にある美術館に入った。
こちらの建物は戦争ですべて破壊された後、新しく作られたものだという。そのため、内装は近代的だ。
展示場は三つの階に分かれていて、各階もそれぞれいくつかの小部屋に分けられている。展示絵画の数は数百点に及び、古典的な名画が数限りなく観賞できる。
しかも、日本の様に観客が行列して、押すな押すなというのとはわけが違う。ほとんどわれわれだけだ。
いきなり、ヴァン・ダイクに出会う。しかも日本の美術館の様にただの一枚や二枚という程度のものではない。一つの部屋中がそれで埋まっているといっても過言ではない。
最初、それらをじっくり眺めながら歩いていた。すぐに、これではいくら時間があっても終わらないことに気づく。何とももったいないが仕方がない、小走りになる。
とにかくめったにお目にかかれないほどの名品が、所狭しと掲げられている。
すごいユーモラスな作品もあった。中でも、ルーベンスが描いた「酔っぱらったヘラクレス」(正式な題名は思いださない)は傑作だ。大男のヘラクレスが酔っぱらって、片方では頭に角のあるサタン(悪魔)二人に抱きかかえられているのか、それとも彼らの首を絞めているのかしながら、右手ではまだ酒瓶をもち、裸の美女二人を抱きかかえている。
顔は、だらしなく「へろへろの半笑い」顔をしている。英雄豪傑のヘラクレスも形無しである。なんだか自分自身の酔いつぶれた時の顔の様で、つい見とれてしまった。
デューラーあり、プーサンあり…、とりわけ驚いたのは、なんとレンブラントがあるではないか!しかも何点も所蔵されている。
彼の自画像も、実物にお目にかかったのはもちろん初めてだが、彼が描いた風景画(こんなものが存在していたことすら知らなかった)を始めて鑑賞した。
興奮冷めやらないうちに5時の閉館時間のお知らせが放送され、まだまったく見ていないワンフロアを残して追い出されることになった。
何でも、ここにはフェルメールがあるという噂も聞いているのだが、その真偽の程も確かめようがなかった。
追い出された後で、連れ合いと話したのは、一つの小部屋に30分居るとしても、全部鑑賞するのに最低二日ぐらいかかるのではないか、ということだった。
Cさんに、ベルリンの「ペルガモン美術館」だったら、最低一週間はかかるだろうね、と言ったら、あそこは大きいからね、という返事だった。
外はまだ日差しが強くて明るかった。少し庭園を散歩して、小池のほとりのベンチに腰掛けていたら、結婚式を挙げたらしい二組のカップルが、それぞれ記念写真を撮っていた。
なんだか今年は妙な年で、今住んでいるハーデクセンでも頻繁に結婚式に出会う。もう10組以上も出会っているのではないだろうか。
この日、この後、ハーデクセンまで送ってもらい、Cさんを誘ってBurg Schenkeという行きつけのレストラン(居酒屋)に入ったのだが、何とそこでも結婚式後のパーティと鉢合わせになり、一階の片隅でひっそりと呑む羽目になってしまった。
Cさんの話だと、ドイツ人は城(Burg)で結婚式を挙げるのが好きだという。自分の時もベルリンの城だった、ともいっていた。
ニーダーザクセン州にどのくらいの城があるか知っているか、と質問された。全く見当がつかないが、数十はあるのではないかと言ったら、何と三千以上あるというからたまげてしまった。かつて、300以上の家産国家が乱立し、それぞれに貴族が何人もいたのだから無理もないが、被抑圧人民の苦労は並大抵ではなかったろう、と思う。
お城の庭園のスナップ
(2018.8.27記)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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