「反スターリニストとしてのイギリス共産党」──周回遅れの読書報告(その73)
- 2018年 9月 16日
- 評論・紹介・意見
- ちきゅう座会員脇野町善造
伊東光晴『現代経済の変貌』については、すでに(その19)で言及している。したがってその本についてもう一度書くということは、ある意味では「反則」である。しかし、(その19)では忘れていたことがあることに気づいた。「反則」承知で報告を行いたい。
この本を読んだのは、書店から届けてもらってからかなり経ってからであった。たまたま仙台に出かける用件があり、往復の車中で読む本をどうしようかと考えていたときに、書棚にあるこの本が目に留まり、この本なら手軽に読めるだろう、と思っただけのことである。従って仙台に行くことがなかったら、この本はまだ当分は埃をかぶり続けたはずだ。
読み始めてからも、途中までは、「つまらない本だなあ」という印象を払拭できなかった。しかし、読み終わった頃、この本に対しても、伊東に対しても、誤った先入観を持っていたことを恥じなければならなかった。それを正直に認めたい。
この本を読んでの最大の収穫は、マルクスのいう「個体的な社会的所有」という概念を学んだことである(伊東自身はこれを平田清明の『市民社会と社会主義』[岩波書店:1969年]から学んだという。その年(1969年)にこの本が出版されたことをかすかに覚えている。しかし、「平田は悪しき市民主義者に過ぎない」と馬鹿にして、読もうとさえしなかった。ここにも先入観がいかにろくでもない結果を引き起こすかの見本がある。しかし、ここで「個体的な社会的所有」「個体的な私的所有」(individual social property and individual social property )に立ち入ることはできない。これについては、場所を改めて考える必要がある。
報告して(書いて)おきたいのは、伊東がこの本の中で紹介しているイギリス共産党のスターリン主義への反対のことである。ソヴェト共産党におけるスターリン支配が確定した後、スターリンの絶対的権威のもとで、ほとんど全世界の共産党がスターリン支持にまわった(これまで私が知っている唯一の例外はセイロン──現スリランカ──共産党であった。そこだけがトロッキー支持にまわった)。したがって当然イギリス共産党もスターリンを支持したものとばかり思っていた。しかし、そうではなかった。伊東は次のように書く(135頁)。
[イギリス労働党]左派は、胸に白いバラをつけ、それによって自由を象徴した運動に見られるように、“より多くのパンを、そしてより多くの自由を”であって、所得水準の向上だけではなく、自らが主人となる、階級なき自由な社会を求める理想主義の思想に直結していく。それはパイの大きさの増加という現代資本主義の経済の動きによっても眠らされることはない。多かれ少なかれ、先進国の社会民主主義の運動は、こうした人間の自由と結合していく。このことが労働党左派と踵を接しているイギリス共産党をして、スターリン時代、スターリン主義に反対した世界の二つの共産党のうちの一つたらしめたのである。自由の問題が先進国革新の中核をゆさぶる問題だったからであろう。
しばらく前まで出版されていたイギリス共産党の機関誌(月刊)”Marxism Today”は共産党の機関誌としては例外的に面白い機関誌であるといわれたが、それはこういう伝統を受け継いでいるからかもしれない。知らずに過ごしてきたことが(誤って思いこんできたことが)なんと多いことか。本は先入観なしに本を読むことだ。少し気づくのに遅すぎた気もしないでもないが、今からでも遅くはないと思うことにしたい。
伊東光晴『現代経済の変貌』(岩波書店、1997年)
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〔opinion8003:180916〕
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