『なぜ「官僚」は腐敗するのか』
- 2018年 9月 20日
- 時代をみる
- 塩原俊彦
10月5日に潮出版社から拙著『なぜ「官僚」は腐敗するのか』が出版されます。日本という国が絶望的な状況にあるなかで、その腐敗の要因を分析し、若干の提案を綴ったものです。
8月になって明らかになった、中央官庁、地方自治体、裁判所による障害者雇用数の水増し問題は、この国の公務員が法律をまったく遵守してこなかったことを暴露しました。まさに、「おかみ」であるかれらは、「神」のようにふるまい、上位者として「法の上に立つ」ことに慣れているのです。なにしろ、701年の大宝律令以降、1300年以上つづく官僚制によって人々が「おかみ」意識をもつだけでなく、役人が自分を「おかみ」とみなしてきた結果です。そして、こうした官僚制の頂点に天皇がいるという構図になっています。神は法律を無視しても罰せられません。
公務員が脱法行為をしてきたにもかかわらず、安倍晋三首相は近年ずっと「法の支配」(rule
of law)の重要性を説いてきました。しかし、その主張はまったく的を射ていなかったことがわかります。法を守らない公務員のもとで、なにが「法の支配」なのでしょうか。法を執行する裁判所さえ法を守らないこの国に、そもそも「法の支配」はあるのでしょうか。
おまけに、安倍自身、平然と国会で嘘をつき、その安倍を糾弾できる議員が自民党にいないというのでは、もう終わりですね、この国は。自民党総裁選で沈黙を守ることで大臣ポストをねらう小泉進次郎のような「小心者」も、安倍と同じく、世襲議員であり、政治をビジネスにしている「政治屋」だらけの日本に希望はありません。そもそも、ビジネスも政治も信頼をもとにしなければ成り立ちません。
しかも、そうした実態をマスメディアは一切報道しない。きわめて深刻なのは、国家の嘘という深刻な事態を覆い隠そうとする勢力ばかりという現実です。おそらく戦前の日本のムードもいまの日本の状況とあまり変わらなかったでしょうね。どんどん悪くなっていく一方です。
日本の大企業にはびこる「東芝化」
というわけで、二〇一六年に刊行した『民意と政治の断絶はなぜ起きた』につづいて『なぜ「官僚」は腐敗するのか』を著したということになります。といっても、ここでの考察対象はいわゆる「官僚」だけではありません。上意下達システムをとる日本の大企業に潜む官僚主義も考察対象としています。
目的を定めて一定の論理的規則に沿う「目的合理性」に突き動かされた「上意下達制」を「近代官僚制」と定義すれば、それは主権国家だけでなく、会社にも存在すると考えられます。昨今の東芝の粉飾決算問題は同社の貫徹した利益優先の官僚主義の結果であると指摘することもできるのです。こうした目的合理性だけに執着することが間違いであることは、粉飾決算やデータ偽装などを抑止できない組織そのものにこそ当てはまるとも指摘できます。金メダル至上主義のスポーツ団体もまったく同じ構図ですね。
つまり、広義の官僚を前提にすると、官僚は官公庁だけでなく、大企業などにもうようよいることになります。そして、そうした日本の広義・狭義の官僚は目を覆いたくなるほどにまで腐敗しきっているようにみえます。平然と嘘をつき、バレなければ頬かむりしたままやり過ごすのを待つばかりです。
本書ではこうした問題意識に立って、単なる公務員としての官僚だけに目を奪われることなく、さまざまな観点から広義を含めた官僚と腐敗の問題について、とくに日本を中心に論じたいと思います。そういう意味では、本書は「ニッポン不全」(Japanese Insecurity)と呼べそうな、いまの日本の病理への診断と処方箋になっていると言えましょう。
日本の官僚、政治家、マスメディアに「喝」
わたしが『ビジネス・エシックス』(講談社現代新書)という本を上梓した2003三年にはまだ、日本には内部告発者を保護する法律がありませんでした。この拙著で紹介したように、米国では1989年に内部通報者保護法が連邦法として制定されました。公的部門を適用範囲として、法令違反、権力濫用などの告発行為を行った連邦政府職員に対して法的に救済する方法が定められました。英国では、1998年に公益開示法が制定され、公的部門、民間を問わず、犯罪行為や法律上の義務違反などを告発した、雇用契約のもとにある人物に対して、その被る不利益からの救済が定められました。2002年には、米国においてサーベンス・オクスリー法が連邦法として制定され、上場会社および証券会社が適用範囲とされ、取引における詐欺、株主に対する不正行為などを内部告発したこれらの会社の従業員に対するいかなる不利益をあたえることが禁止され、違反者には罰則が科されることになりました。
こうした動きに対して、日本で公益通報者保護法なる法律が制定されたのは2004年6月であり、2006年4月に施行されたにすぎません。こうした大幅な遅れこそ、日本の官僚や政治家の四流たる証です。しかも、できた法律はまったく不十分でした。数々の不祥事を起こしてきた大企業中心の経団連がこの法律に消極的であったり、通報者への報復禁止規定が曖昧であったり、まったく歯牙にかけがたいほどの「笊法」でした。
近年問題化している日産自動車、SUNARUの無資格検査問題、神戸製鋼所、三菱マテリアル、東レの子会社のデータ改竄の暴露、そして東芝の粉飾決算などをみると、しっかりした内部通報者保護法をつくってホイッスルを一刻も早く吹いてもらって、早いうちに腐敗の芽を摘み取る重要性がわかります。公務員についても、同じです。本当は、単独者たる個人が増え、現状のままでもホイッスルを吹いてほしいものですが、それが難しいのであれば、堅固な内部通報者保護法の制定を急ぐべきでしょう。
それにしても、日本の官僚も政治家も、そしてマスメディアも世界の潮流の変化に鈍化すぎます。新しい本でも紹介していますが、腐敗防止に対する対策の遅れは世界の潮流から十年以上遅れています。
サイバー空間をめぐっても十年ほど遅れています。2018年7月27日、政府は「サイバーセキュリティ戦略の変更について」という閣議決定をしました。しかし、その内容はあまりにもお粗末です。現時点で最大の地政学上の問題である「ディスインフォメーション」対策がまったく書かれていないのです。「意図的で不正確な情報」を意味するディスインフォメーションは、米国大統領選で情報操作に使われるなどの猛威をふるっており、これへの対策が国家の安全保障全体にとってもきわめて重要であるにもかかわらず、「ディスインフォメーション」という言葉すら登場しないのです。
たとえばスウェーデンでは、学生に自らフェイクニュース・キャンペーンを体験させてディスインフォメーションへの耐性を養わせる教育がすでにはかられています。ほかにも、緊急事態庁などに代わって2009年にスタートしたスウェーデン市民偶発事件庁はディスインフォメーションへの対策も担っているのです。もちろん、政府がディスインフォメーション対策を講じること自体に議論があるのですが、民間を含めた注意喚起のために政府が対策を検討することは決して悪いことではないでしょう。
にもかかわらず、日本では「ディスインフォメーション」という概念すら知られていません。詳しく知りたい方はこの言葉をgoogle検索してみてください。わたしの運営するサイトにアップロードされている複数の記事をご覧になれるでしょう。
元新聞記者として残念に思うのはマスメディアの無能が一段と深まっている点です。しっかり勉強しないまま、上ばかり見ている輩ばかりが目立つ。心の底から唾棄すべき連中ばかりですね。
昔、わたしは記者という職権を利用(「悪用」?)して、柄谷行人や佐伯啓思に取材したことがあります(前者には法政大学の教員控室で、後者には京王線笹塚駅近くの喫茶店で会いました)。あるいは、浅田彰とは電話で話しました(そう、浅田産婦人科に電話したのです)。いずれも日本経済新聞社の大阪証券部時代の話です。朝日新聞のAERA編集部記者時代には、大澤真幸と会いました(如水会館で食事をともにしました。その後、わたしのシンポジウム報告に対するコメンテーターとしてわざわざ札幌まで来てくれました)。そういう経緯から、逆に、記者からの取材要請にはできるだけ応じるようにしています。しかし、その件数も以前に比べると減っているという印象です。政治家に至っては皆無です。昔は仙谷由人のように若干名はいたのですが。まあ、わたしが「怖い」のかもしれませんね。「怖い」のは事実ですが、それは勉強もしないまま取材にやってきてアホな質問をする者に対してです。
というわけで、ともかく一人でも多くの方が拙著をお読みくださって、少しはまともな日本になり、多くの人々が平穏な日常を過ごせる時代がつづくことを願っています。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4455:180920〕
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