国体論のための制度論的序章
- 2018年 10月 16日
- スタディルーム
- 子安宣邦
「制度論」的序章
現代の日本における国家論の不在を私はいってきた。われわれにあって国家とは容易く議論できる代物ではないようだ。ましてやこの国を作り替えた方がいいなどと人はいったりはしない。そんなことはいえない何か重みがこの国にはあるのか。国家を人間が作り出した制度の一つとは見ないようにさせる何かがここにはあるのだろうか。それはこの国の王権的始原の神聖性であるのだろうか。あるいは国家的結合の由来と未来とを悠久の天地に同一化させている神話的民族性からくるのであろうか。「そもそも国家とは何ゆえに在るのか」「国家とは住民の目的意識にしたがって作られたものではないのか」「国家が作られたものであるならば、その作り替えもできるのではないか」「この国家が衰弱したとき、その更新の要求を住民はもちうるのではないか」などなどの議論がなぜわれわれ日本人の間からは生じないのか。こう考えてくると、われわれにおける国家論の不在とは、国家を人為的制度と見る制度論の不在でもあることに気付かされるのである。われわれにないのは国家論というより、国家をわれわれが作る制度とするような制度論ではないのか。
私が制度のことを気にし、制度論を求めていったのは荻生徂徠が「聖人の命名とは制作である」ということの意義を私が考えていた時期、それは同時に私が「国家神道」論を書いていった今世紀の初めの時期であった。この時の来ることを予想して私は早くから三木清の『構想力の論理』を書棚に置いていた。だが三木のこの書は、今こそその時がきたとばかりに開き見るものに応えるようなものではなかった。
「かかるものとしてそれ(制度)はつねに社会的性質のものであり(その語はラテン語のcon−suescoに由来する)、その限りそれはまた何等かconventionの意味を有しなければならぬであらう。しかしconventionが擬制の意味において或る肆意的なもの、自由なもの、そしてロゴス的なものと見られるにcoutumeは或る自然的なもの、必然的なもの、そしてパトス的なものと見られ、制度はかやうにして或る習慣的乃至伝統的性質を具へてゐる。」
これは「神話」「制度」「技術」の三章からなる三木の『構想力の論理』の第二章「制度」から引いたものである。これは見る通り制度ということの概念構成にかかわるような文章である。だが私はこの文章をここに引きながら、まさにこれをここに引くべきものとして選んだわけではない。三木の文章というものは全編これ制度ということの概念構成にかかわるようなものであって、どこから引こうとあまり代わり映えはしない。なぜいま三木は「制度」を訊ね、「制度」の意味を見極めようとしているのか。その答えを彼の文章上に見ることはない。三木自身が「序」にいう通り、これは「研究ノート」に過ぎないのかも知れない。だが昭和14年という時期に研究ノートに過ぎない「制度」論を、同じく研究ノート「神話」「技術」論とともに『構想力の論理』としてなぜ三木は出版したのか。そこには師西田の『哲学論文集』刊行の顰に効う意図が明らかにうかがえる。だが西田の最後の哲学的文章が負っていった歴史的運命を三木の文章は共にすることは全くない。彼はただ構想力の卓越性だけで師の跡を追っていったようである。昭和14年(1939)とは日本という国家的制度の悪が中国に巨大な傷痕を刻みつけていった時期である。だが三木の制度論には歴史の重い影も、悪の堪えがたい臭いも何もない。
この三木制度論の着想の良さを戦後継承したのは中村雄二郎であった。「歴史的で社会的な現実の持つ二つの側面、つまり物質的側面と精神的側面を、もっともよく統一的に自己のうちに持つもの、あえていえば歴史的社会的現実のうちでもっとも典型的なものは、制度的現実ではないか」と中村は制度論の意義をとらえていっている。中村はさらに制度がもつ二側面についてこういっている。
「歴史的で社会的な現実の固有の存在形態として、それが一面人間によってつくり出されたものでありながら、他面人間から独立した客観的実在として、いわば第二の自然として、その持つ固有の法則と論理によってわれわれ人間を拘束してくるーつまり、フィクショナルなものでありながらリアルな力と意味を持つ、ということであり、その点でまさに典型的なものは〈制度〉であるからである。」
私がここに引く中村の制度についての定義的文章は、三木の研究ノート「制度」にしたがってした再定義といった代物である。だがそのことをいって私は中村の『制度論』の意味を貶める積もりはない。大事なことは〈国家的制作の秋(とき)〉を迎えた戦後という時期に「制度論」の意義を知ることである。だからだれよりも鋭敏な知的感覚をもった中村は三木にしたがって「制度論」を起ち上げたのである。だが中村のしたことは「制度」概念を再構成し、社会哲学的議論としての「制度論」への入り口を開いただけであるようだ。中村の書に期待をもった読者は、この書を読み進めながら、落胆をもってその読みを中絶せざるをえなくなるのである。その予感をもちながらも私はこの論を書くために中村の書を再び手にした。だが今回もまたその読みを中絶するしかなかった。しかし今回は無駄ではなかった。私は中村の書から長谷川如是閑に「国家論」のあることを教えられたのである。私は現代日本における「国家論」の不在をいっていた。だが長谷川如是閑に『現代国家批判』(弘文堂書房、1921)という日本で唯一というべき〈制度論的国家批判〉の書があることを教えられたのである。長谷川の『現代国家批判』はいま『長谷川如是閑集』(第5巻)に収められていることを知り、ネットで購入して直ちに読んだ。〈制度論的国家批判〉はすでにここにあることを私は知った。
いま私が進めつつある「明治維新の近代」という日本近代の批判的再論の重要な一章をなすべきものとして「長谷川如是閑論」があることを私は知った。だがそれはやがて果たすべき課題として、ここでは明治国家の国体論的制作を考える上で、さらにやがて昭和国家によってなされる国体論的な国民の拘束を考える上で重要な如是閑の制度論的発言だけをここに引いておこう。
「制度は、人間が共同の目的を達成する為めに作つた機関であつて、しかも、それは祖先が、或る時期に、万世不変の固形体として我々に授けたものではなく、我々自身が、時々刻々に形作つて行きつつある機関なのである。「家」といひ「国」といひ、或る制度がつけられてゐる名前は、太古より今日までの幾千年間の違つた人間が、「人間」といふ不変の名前で通つてゐるやうに不変であるが、その内容は、人間の内容が変つてゐる如く、時々刻々変つて行きつつあるのである。何うしてさう変つて行くかといへば、時々刻々、その制度の中に投じられる新しい人間が、各自の意識的生活の進化に伴ふ意志目的を達成すべく、その制度に新しい血と肉とを与へて行くからである。」
「制度は、前人の意志目的はこれを達成せしめ、後人の意志目的はこれを拘束するといふ機関ではなく、常にその制度のうちにある人々の意志目的を達する為めにのみ存する機関なのである。」
「制度は現在その中にある人がそれによつて、自分達の生活目的を実現せしむべく、常住に作り上げつつある機関なのである。」
「制度が有機的性質を失つて、生活の創造的作用を促進せしめる機関たることから、生活を型式化する機関に変化した時に、制度その物が、具体的な社会事実でなくなつて、観念的な抽象目的に化してしまうといふことは、注意すべき事柄である。」
「国家といふ制度では、その国家の特恵を蒙つてゐる階級が、一番強く、国家を観念化し、それを多数人民の生活事実と引離した広大無辺の超絶体たらしめやうとしてゐるのである。」
最後にもう一節、
「観念化した制度は、事実を離れた理想の鉄則で、各人の現実の生活に対し益強い拘束を加へやうとする。」
本論はこの「制度論」的序章を方法論的手引きとして幕末日本における「国体」概念の創出という問題を考えたものである。
初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」2018.10.14より許可を得て転載
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〔study993:181016〕
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