「わが人生、わが生涯」―尹伊桑の日本講演
- 2018年 10月 29日
- 評論・紹介・意見
- 小原 紘韓国
韓国通信NO575
はじめに
前号で韓国の作曲家・尹伊桑(ユン・イサン)さんと私の関わりを紹介したが、ここに紹介するのは、尹伊桑さんが1992年11月6日に東京で開かれた、尹伊桑生誕75周年記念講演会で語ったことです。その時私がまとめたその講演記録を、講演会から26年後、尹伊桑さんが亡くなられてから23年後に発表することにしました。
この記録は当日の記憶をたどりながら文章化したものなので、正確な記録ではありません。もともと発表するつもりはなく、ただ会場での感動を書きとめておいたものに過ぎません。それを発表しようと思い立ったのは、拉致、釈放という類まれな経験をしながらも生涯、祖国の統一を強く望んだ尹伊桑さんの素顔に、私のスケッチをとおして少しでも触れていただきたいと思ったからです。
『わが人生、わが生涯』――尹伊桑「生誕75周年記念講演会」
こんなに多くの方にお集まりいただき感謝しています。ヨーロッパでもこのような集まりをしてもらいました。しかし今日の集まりは、ヨーロッパのそれとは違った意味があると思います。
ここにおいでのみなさんの中には、私の人生そのものについて知りたいと思っている方もおいででしょうし、韓国、朝鮮の同胞の方もおいででしょう。また作曲家をはじめ音楽関係者のかたもいらっしゃると思います。それぞれの方々に満足のいく話が出来るとは思いませんが、みなさん一人ひとりの手を取ってお話をしたい、そんな親密な気持ちでいることをまず申し上げておきたいと思います。
私は、私の人生が余りにも不幸と苦しみの連続だったために、この世にどうして生を受けたのかと思うことがあります。「何故このような苦しい人生を送らなければならないのか」。幼い頃の私はいつも泣いていました。「泣き虫」でした。そしていつも孤独感にとらわれていたことを思いだします。戦前、日本人から受けた拷問。朴政権によって見舞われた死への恐怖と虐待。苦難を知らない人の音楽もあるでしょうが、私の芸術は、生来の孤独感と経験した幾多の苦難が合わさった芸術的感性から生まれたものであり、苦難の人生を芸術に昇華させたものといえます。だから私の人生と芸術に対する原点は権力に対する怒りと平和に対する願いだといえます。
私はまぎれもない東洋人です。ドイツに留学しながら東洋の音楽を作ることを仕事にしてきました。ヨーロッパでもドビッシーやメシアンのように東洋神秘主義をとりあげた作曲家がいましたが、東洋人としてこのような活動をしたのは私が最初ではないかと思います。東洋の「時間」「線」「音」をもとに作曲活動をしているうちに、ややマンネリに陥っていました。1975年くらいから従来にないものが作曲活動に加わってきました。その変化のきっかけはKCIAによる拉致(1967年)だったことは間違いありません。
チェロ協奏曲、フルート協奏曲、オーボエとハープのための協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、これら一つ一つは、私の自伝的作品ともいうべきもので、私の思想、社会に対するメッセージと云うべきものです。社会に対する糾弾、不幸の問題、それを乗り越えようとする正義の問題、人間の解放を目指すという主題が含まれています。
私の日本語は分かりにくいかもかも知れません。何しろ50年以上も前に教わったものですから。
そういえば、日本や韓国、中国にある牽牛・織女の話をテーマにした曲もあります。一年に一度だけ「天の河」を渡って会える牽牛と織女の物語をとおして、家族と友人が38度線を境に、1年に1度たりとも会えないわが民族の悲惨さ、政治の残酷さを曲にしました。
最初の鶏鳴は出会いの喜びを、最後の鶏鳴は別れの悲しみを表現しています。ハープの音は、もっとも喜びに溢れ、道徳的なものとして奏でられます。
創作活動をつづけているうちに1980年代に入ってから、世界、人類に訴える巨大な音楽を作りたい。五曲作れば社会に対し私の創造的なものすべてを表現できるのではないか、そう思ったのです。
さて、私が作曲をする場合、多くの作曲家がするように、スケッチとかデザインというような準備はしません。またピアノに向かい音を拾いながら楽譜作りをする人もいるようですが、私はピアノという限定された楽器で音は作りません。私にとって作曲は音を技術的に組み立てることではないのです。心の中からほとばしる魂を音にする。心の中から引きだす。それが東洋の音楽だと思っています。そんなわけで、これからお話する五つの交響曲は比較的短期間のうちに作曲されました。
「道」と五つの交響曲
第一番の交響曲※は核兵器の恐怖、ヨーロッパで盛んだった反核運動の中から生まれました。私もひとりの人間としてどのように運動に加わるべきか迷いました。しかし私は人類滅亡の危険に対し、作曲をとおし、音楽をとおして参加することにしたのです。作曲家として貢献できると考えたのです。第一楽章は核兵器の恐怖を、第二楽章は人間の文化、道徳性を内省的に表現したものです。アダージョです。第三楽章は地下の悪魔の踊り、病的な悪魔たちが悦ぶさまを。終楽章。私は結論を出していません。六本のホルンによって「もう一度人類に警告する。人類を滅亡させるも、させないのも、貴方たち人間次第なのだ」と訴えます。
※ ユーチューブで演奏が聴けます。生誕100年記念コンサート
ソウル市交響楽団 https://www.youtube.com/watch?v=9Mi6Lg3sK6Q&t=80s
交響曲第二番は無秩序な社会、混乱して希望のない社会を曲のなかに取りこもうと、あがいた曲です。
交響曲第三番は天界の恵みにより、地上の悪が亡びるという内容です。「人間は地に依存し、地は天に依存する…」老子の教え、「道」を説くものです。確かに「道」を認識する点で人間は地球の主人公であるかも知れません。しかし宇宙すべてを支配する極まりのない大きな力、「道」に比べたら人間はなんと小さな存在なのか。人殺しをする人間、思慮のない人間、どんなに奢っても必ず死ぬ運命にある人間。私は永遠なる天、神的状態を心で感じ、心の琴に触れさせながら五線譜に書き写したのです。コントラバスで表されている地上の悪、それが滅ぼされることを祈って。
交響曲第四番、この曲の初演は日本で行われました。苦しんでいるアジアの女性たちのために作りました。もともとアジアは男尊女卑が強いところですが、彼女たちが置かれている悲惨な現実、戦火をかいくぐるベトナムの女性たち、酷い状態で働かされている女工たち、売春を余儀なくされているタイの女性たち。そこには見捨てられた女性たちに対する深い同情があります。しかし、この交響曲は訴えます。「暗黒の中で歌おう」と。
歌うということは、希望を持ち続けることなのです。「アジアの女性たちよ、暗い現実だが諦めずに歌おう。希望を持とう」、そう言って励ますのです。
最後は第五交響曲です。この曲はあるノーベル賞作家の詩、思想に共鳴して作られたものです。五つの交響曲の中ではもっとも長い作品であり、音楽的にも力を込めた作品です。バリトンソロが入ります。初演ではフィシャー・ディスカウが見事に歌ってくれました。詩をちょっと紹介しましょう。「非人間的なことが世の中に起きているのに、あなた方は何も言わなかったじゃないか」。これはナチス・ヒットラーの残虐行為に対する抗議であると同時に、それに巻き込まれながら傍観を決め込んだ人たちに対する告発でもあります。
その後の詩がまた素晴らしいのです。「すべての武器を溶かして鋤に、そして大地を耕そう。人類すべてに実りと喜び、そして平和を!」。私は少々疲れました。もうこれ以上話すことはありません。これでお話を終わりにしたいと思います。
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