お父ちゃんと一緒に鮒釣り(本文279字)
- 2018年 11月 14日
- 交流の広場
- 熊王信之
下記の300字小説は、東京新聞に応募したものですが、如何にも下手なのか、話題が余りに大阪に限られる故なのか分かる訳も無いまま未だに採用の通知もありません。 仮に採用の吉報がありましても掲載は辞退しますので、ちきゅう座に御掲載を願います
昭和の時代に、亡父母と堺市に在ったヘラ鮒と鯉の釣り堀に行った折の思い出です。 堺の東永山園に数年前まで在った小さい釣り堀。 合法的な占用か非合法な不法占用かは知る由もありませんでしたが、古墳の周囲にある堀を利用した釣り堀。
釣り堀のある地から大阪市の北浜に在ったお父ちゃんが勤めていた株屋までは、通勤範囲内にあり、私も此処なら近くに小、中学校が在り、親子共々便利と見込めましたし、お母ちゃんも買物等には便利と思えたのでした。
でも、最後は、家と土地を買うことが出来るか否か、でした。 亡父母と私が便利で良い、と思う処は、買うことが至難の売値であったのでした。
最後には、お父ちゃんと私が釣り堀に拘るのでお母ちゃんが切れました。 京都であったのか奈良であったのか、釣り堀の在った地で、お母ちゃんが叫びました。 「あんたら。 ええ加減にしいや。」と。
「こんなとこ。 誰が来るねん。」と捨て台詞のお母ちゃんの後を頭を垂れてついて行くお父ちゃんを見て、「これで私の夢も終わり」と覚悟したとおりになったのでした。
「おい、信之。 昼から堺へ行くぞ。」といきなり告げたお父ちゃん。
夏休みの或る日、一家は、懸案の家探しを兼ねて堺の街を見物に出かけたことがある。
その日、一家の乗ったポンコツの車は、三国ヶ丘の御陵の近辺に着いた。 でも、御陵の見物はしないままで、東永山園の小さい古墳にあった釣り堀に着くや否や「おい、信之。 ようけ釣って賞品を貰おう。」とお父ちゃんが宣言をした。
夕闇迫る釣り堀で、お父ちゃんの宣言どおりに賞品を獲得したのは確か。
でも結局、一家は、河内の田舎から引っ越しは出来ないままであった。
今も脳裏に残るのは、お父ちゃんの笑顔と大きな笑い声。 そしてお母ちゃんの溜息。
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