メディアの今とこれから(1)~(5・最終回) ~NHK問題大阪連絡会のインタビューに応えて~
- 2011年 4月 22日
- 評論・紹介・意見
- NHKNHK問題大阪連絡会醍醐聡
< 更新履歴> ・4月20日:(1) ・4月21日:(2) ・4月22日:(3)~(5・最終回)
NHK問題大阪連絡会「サテライトNo.4 別冊 (2011・4・1発行)
醍醐 聡氏 インタビュー
メディアの今とこれからを熱く発信!!(Part.3)
●NHK会長選出の過程はまったくの闇の中
河野 いま醍醐先生が湯山さんと共同代表をされています「コミュニティ」のほうで、ごく最近、申し入れをされている問題ですが、非常に熱い思いをわれわれはしているのですが、今春のNHKの会長選と経営委員長小丸氏辞任などについて、その経緯と問題点は何でしょうか。
醍醐 運動論から言えば、こういう市民運動だけに限りませんが、運動はタイミングが非常に大事だなということを痛感します。主張すること、意見が真っ当なことであることは大前提ですが、そうであるとしてもタイミングを逸すると価値が劣化してしまう、私たちの意見も生き物だということを常々私は感じているのです。今回のNHK会長の選び方、ひいては選ぶ側の経営委員会のていたらくをかなりの全国紙が指摘しています。NHKの会長を誰がどう選んでいるのかとか、選んでいる経営委員の顔ぶれはどうなのかについて、一般の人が目にとめることはまずないと思います。そういうなかで私たちがいくらNHK会長の選び方を力説しても、なかなか関心を向けてもらえません。その点から言えば今回、経営委員会の失態、機能不全という禍を転じて福となすではないですが、そういうのを1つのきっかけとして多くの人にNHK会長選びのあり方を考えてもらうよい機会にする必要があるじゃないかということで、「視聴者コミュニティ」のなかでだいぶ議論しました。
非常に短期的な議論でして、定例の経営委員会が開かれる前に届けようということになりました。しかし、私たちが言うだけではなかなかインパクトがないのです。私がいつも思うのは、マスコミにうまくそれを取り上げてもらう。悪い意味じゃなくて、そういう広報戦略というのか、メディア戦略というのが市民運動では絶対に大事です。経営委員会が終わったあと、記者会見をやりますね。経営委員長と最近であれば監査委員が出席して。そのときに例えば私たちが前もって「こういう意見を出しました」ということをメディアに伝えておきます。そうすると経営委員会のあとの記者会見に参加する記者が「この点について市民団体からこういう意見が出ていますが、経営委員会としてどうお考えになりますか?」「何か議論をされましたか?」みたいなことをフォローしてくれることがままあるのです。そのことが翌日の報道に載るわけです。そうなると経営委員会としてはいい加減な対応では済まないというふうになるわけです。
●会長選出の漏えいの犯人探しは本末転倒で合議制の無視
醍醐 話はその中身なんですが、今回、会長選考が終わったあと監査委員から外部へ「情報の漏洩があったのではないか」という嫌疑が起こり、マスコミもセンセーショナルに話題にしました。私自身はそういうところに問題を収れんさせていくのは、問題の矮小化だと思います。他方、経営委員会で候補者を決める2日前に小丸委員長がその特定の候補者に独断で打診していたといわれています。これは情報の漏洩とは次元がちがう、経営委員会の合議制をないがしろにした独断です。しかも打診する相手は小丸さんの意中の人ですから、この場合の独断は選考結果にも影響します。その点が非常に問題ですが、私がもう1つ問題だと思っているのが、途中で候補者に挙がった安西さんの資質についてはいろいろ話題になっていたのに、松本さんに最終的に決めたときの経過については、あまり問題がなかったかのごとく全員一致で、シャンシャンで拍手でもって、みなさんが喜び合ったそうです。そのようなことになっていますが、新聞報道では、松本さんの名前が経営委員会で挙がったのは1月15日が最初だそうです。だとすると、初めて名前が出た人を即日決定したことになります。
●NHK会長選考を 財界人脈から開放することが急務
醍醐 ところが1月16日付けの毎日新聞によると、その2日前の13日に松本氏が、自分が選ばれたあとインタビューを受けて、「打診を受けたのは15日が初めてですか?」と聞かれたときに、「13日にJR西日本の葛西さんからその話は伺っていました」と言っています。そうすると安西さんのときと同じじゃないですか。しかも同じ業界ですよね。いまの経営委員会のなかにも同じ鉄道業の人がいますよね。やっぱり経済界の同じ業界のルート、裏のルートでほとんどの経営委員があずかり知らないところで、経済人の人脈で話が先に出来ていたことになります。これは単なる手続き論ではなくて、選考方法そのものの問題です。「コミュニティ」の質問では、大きな組織を動かすリーダーシップということにばかり選考基準がおかれ、それについては異を唱える委員はいないというところが非常に深刻です。単なる手続き論ではなく、「なぜはじめに経営者ありきなのか」という点にまで踏み込んで私たちもメディアも議論を喚起しないと現状の抜本的な改革にならない、情報漏洩というセンセーショナルな話題を追うだけで終わってはいけないと痛感しています。
河野 質問状をお出しになったことに対して、当事者からどういう回答が寄せられるかということによって、またこの運動がさらにすすんでいくと思うのですが、「その出方によっては…」というお考えは先生のほうではなさっておられるのですか?
醍醐 そうですね。今回はやはりどんな回答が来るのかをそういう意味では関心をもって注目しているのですけど、今回の質問事項のなかで井原監査委員に「報酬の一部返上」を求めました。あまりこういうことを「コミュニティ」は要求してこなかったのですが、質問書の案文のなかでこちらから「これだけ返せ」みたいなことまで書くのかどうか、迷いはありました。ただ、何かカネの話をするのはあさましいというような、そんな気持ちがあるのなら…、それは違う。今回、その点に踏み込んでビシビシ言ったらいいんじゃないかという意見が他の運営委員からも出たわけです。
●経営委員の報酬にも厳しい視線を
醍醐 市民団体がやる視聴者運動はむしろ海外だったらはっきり言うようなことでも、日本人的体質というべきか、いままであまり報酬のことに触れませんでした。しかし、報酬に見合う仕事をしているのかということを視聴者がウォッチするのは当たり前のことですね。調べてみますと、常勤の監査委員の年間の報酬は非常勤とは言え小丸経営委員長の報酬の3.5倍です。小丸さんが650万ぐらいで、常勤の監査委員の井原さんは約2300万です。その常勤監査委員が「小丸さんの独走でした」、「小丸委員長の辞任で経営委員会としての責任は包括的に区切りをつけました」などと言っていていいんでしょうか? そういう委員長の言動を監視するために置かれた監査委員の責任を監査対象の責任と一蓮托生にしてしまうのでは開いた口がふさがりません。こういう職責に無自覚な態度を報酬との見合いできちんと質していこうと考えて、「報酬の一部返上」という要望を出したわけです。
河野 いや、僕は賛成です。あれ読んで思いました。シビアに書いてあると思いました。
醍醐 ああいうふうに言われてどう答えていくのか。「返しません。いただいたものはしっかりとそのままいただきます」と言うのか。質問は、井原監査委員にだけ提出するのではなくて、他の経営委員にも全部届けています。そこで、他の経営委員も「井原さん、ああいうふうに言われてどうするのかな…」と関心もって見てくれていたらいいなと思っています。【追記:その後、要望した期限を過ぎても回答は届きませんでしたので、回答を督促する文書を送りました。】
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メディアの今とこれからを熱く発信!!(Part.4)
●メディアは争点提示型の報道をせよ
河野 会長選と経営委員長の辞任問題、非常に内容的にはマスメディアが注目している問題と、先生が中心になっておっしゃっておられます「コミュニティ」の質問状等と、この問題はさらに今後発展性がございますので、また次の機会にお伺いするとしまして、次のテーマです。
NHKを中心としたメディアが当面する消費税増税、TPPやJALの整理解雇問題など国民各層に重要な問題の報道が大変「おかしな」スタンスで伝えられている点についてご指摘いただきたいと思います。
醍醐 消費税とかTPPについてですが、私たちは市民の間では、消費税に的をしぼった財源対策とか、増税がいいのか悪いのか、TPPはどうなんだということを、それ自体の賛否をめぐっても議論を交わす必要があると思っています。いまこの問題で私が非常に疑問に思っているのが、政治あるいは経済問題であっても、意見が分かれている問題についてメディアはどう扱うかという根本の問題です。そのときに、意見が分かれている問題についてはただ多様な意見を反映させるということはもちろんですが、それをもう少し厳密に、争点はどこにあるのか、争点提示型の報道をするというのが本来のメディアの役目だと思います。それによって視聴者の賢明な、理性的な判断の一助にするというのが、とくに報道分野のメディアの役割だと思います。
ところがいまの消費税、TPPの報道を見ると、争点提示型ではなくて、結論誘導型、つまり世論を束ねようというやり方です。こういう国の根幹にかかわる問題については与野党の差はないとか、与野党でいつまでもゴタゴタしているんじゃなくて、知恵を出し合えと。つまり国論を束ねる役回りをしようという、そういう形になっている。一種の大政翼賛です。
戦争の時だけではなくて、平時の政治、経済問題についても大政翼賛ということはあるわけで、いま、まさにそういう格好になっているのじゃないかと。
そうすると、よく街頭でインタビューをして賛成意見、反対意見をマイクで拾いますね。そのときにTPP賛成という人の理由を聞きますと、日本だけが閉じていると世界から取り残されるという、そういう発想が目立ちます。消費税だって、このままいけば日本は世界一の借金で破綻してしまう、社会保障のために使うのだったら消費税増税もやむを得ないという、言うなれば自分の頭から出てきた理由じゃなくて、おしきせられたステレオタイプの理由です。強迫観念ですね。取り残されるというけども、日本だけが取り残されるのか、日本はそれほど閉じているのか、では世界はどうなんだろう、という話、こうした争点が全く示されていません。
●メディアの本来の役割を果たせていない
醍醐 もう少し言えば、そう思っている人がいるとしても、そうは思わない人だっているのに、逆の意見、違った意見が伝えられていません。だから議論の軸が示されていない。これではジャーナリズムではないと思うのです。要するに賛成するにせよ、反対するにせよ、自分の頭で咀嚼して、意見を形づくれるような市民をつくるというメディアの一番の役目をまったく果たせてない。どうこう考えないうちに世論を束ねてある方向に誘導しようとしている。それは非常に怖ろしいことです。今はそういう状況ではないかと思います。
消費税の中身はどうだとなりますと、メディアの問題から離れますから、この場ではお話をしません。結局、メディア自身が政府発表を流すだけではなくて、あるいは「有識者」とかいう怪しげな、私が一番嫌いな名称の常連たちの引用を使って、それで国民を説き伏せる。そうじゃなくて、メディアの基本は取材報道だと言いますね。ところが、実態はどうかといいますと、最近会った大手マスコミの記者たちがいうには、毎日、記事をデスクにあげるのに追われていて調べている時間なんてとてもない。結局、忙しいときに記者クラブ官僚から渡されるお役所資料をもとに少しそれに手を入れて手際よく記事を書くということになるわけです。記者自身が自分で考え、自分で調査し、取材して記事を書くという、基本をおろそかにして記者クラブ発の報道ができあがる、知れば知るほど恐ろしいことです。
●本当のところ“記者クラブは諸悪の根源”
河野 どうしても政府サイドに、官僚サイドになった記事になっているのですね。
醍醐 ですから新聞にしても、記事はこうつくられるとか、そういう本を書いてみたらいいんじゃないか。取材源、発生源は、どういうところか、どこまでが現場で、どこからが官庁出なのか、それが分かると、出来上がったニュースをどう受けとるべきかという心得ができるように思うのです。記者クラブは諸悪の根源と言いますけれど、クラブに所属する記者たちと話をしていてそれは決してオーバーではなくて、確かにその通りだと実感しました。
今、私が読んでいる本で『政治報道とシニシズム』(J・N・カペラ、K・H・ジョンソン。ミネルヴァ書房)という、アメリカの人が書いた本があります。シニシズムというのは「冷笑主義」と訳されます。真面目なことを言う人を斜めに構えて嘲笑するという意味です。例えば、いま民主党政権や自民党政権に失望した人がどこへ行くのかと言ったらほとんど無党派に行きますよね。一部、「減税日本」「みんなの党」とかに流れている部分がありますが、大部分は無党派に行くでしょう。最近、いろんな選挙で一見盛り上がっている。しかし、選挙前は投票に必ず行くという人が90%ぐらいあってもふたを開けると投票率は50%越えるか越えないか。これは有権者のなかにあきらめを通り越した、何かもうシニシズムというものが浸透していっているような気がします。
●失望感を助長する政局報道が「シニシズム(冷笑主義)」を生む
河野 俗に言う閉塞感ということですか。
醍醐 それは政治のていたらくに対する閉塞感が土台なんですけど、『政治報道とシニシズム』の著者たちは、政治報道の在り方がそういう失望感をシニシズムへとさらに退化させているとみなすのです。どういう政治報道がシニシズムを蔓延させるのか。著者たちは政治報道の仕方を2つのタイプに分けて議論をしています。1つは戦略型報道、もう1つはそれと対照的な争点提示型報道です。戦略型報道は、政治報道ではなくて、政界報道と言うか、要するに「政治家なんて所詮は自分の利害でうごめいているんだ」という、そういうシニカルなモノの見方です。政治家は、自分の次の選挙を考えて利己的な行動ばかりやっているという舞台裏を暴く政局報道をやりますね。著者たちはそれを「戦略型報道」と言う。あきらめから冷笑主義を生むのはこの戦略型報道だというのです。要するに政治家、政党は所詮、利己的にしか動いていない。そのことを執拗に報道されると有権者は政治家の誰に望みを託しても結局、裏切られるだけだという思いをよけいに募らせる。著者たちは、こういう悪循環を断ち切るためには政治報道は争点提示型の報道でなければいけないと言っています。私はこの本を興味深く読んで、最近出会ったマスコミの人にぜひ読んでみてと言ったばかりです。
よく政局報道と言いますが、いかにも何か自分はリアルな現実を伝えているかのように思いこんでいるようだけれども、有権者にあきらめを諭すのも同然だと言う気がします。
消費税報道にしても、結局は、それは争点提示ではなくて、政局報道です。そのため、政治報道が消費税について政治家に向かって言っている注文は、本気度を問うとか、決断を問うとか、そういう精神論的なことばかりです。一種の煽り、けしかけですね。
河野 昨年10月24日、神戸で、安保50年日米政府の密約について映画と合わせた集会で、元月刊誌の編集長も参加されて、ジャーナリストのあり方について、先ほど醍醐先生がおっしゃったような記事を書く記者の有り様を問うておられ、現状報告をされておりました。先ほど、おっしゃっていましたが、こういうことに対して改めてどのようにお考えでしょう。
醍醐 日本のメディアというのはTPPにしても国の財政危機にしても、1つの経済的な意味での国難ととらえる意識がすごい強いと思うのです。こんな時に政党間の争いごとをやっている場合じゃないという構図が、いまの大手全国紙に染みついている。国益とか、国難とか、国威発揚とか、そういう問題に直面したときにメディアの真価が試される気がします。
戦時かどうかは別にして国が大きな困難に直面したときに、メディアはどうそれに向き合うのか。各メディアの上層部、経営陣、論説陣の間で、その点のきちんとした見識、トレーニングがない。何かこういうときにはすぐに世論、国民を束ねるために一致して事にあたるのが国益なんだという罠で自分をしばっているように思えます。
●メディアに中身を調べよとボールを投げることが大切
醍醐 ただそれだけ言っていてもしかたがない。じゃ、どうしたらいいのかと言えば、私は政治そのもの、経済の実態そのものをもっと調べてそれらを批判的に国民に伝えるようメディアを促し監視する、そういういう運動が必要ではないかと感じています。ただちょっと難しいのは、そうなってくると現実の伝え方、メディア論だけの話ではすまなくて、現実そのものについて私たちが知見、意見を持つことが必要になってくるという点です。例えば、消費税を批判するのはいいですが、消費税の増税しかないと思いこんでいる人、財源なんてあるのかといぶかっている人にどう向き合うのかを考えることが必要です。その役割を担うのがメディアの調査報道であり、争点提示型報道ですね。私たちもメディアに「この点についてもっと突っ込んで取材して報道してほしい」というボールを投げることぐらいの勉強をしないといけないと思います。
その点で、私が注目したいのはいま、NHKの解説委員が一同に集まって討論をする番組があります。ご覧になりましたか? 私が見た前回は、TPPを取り上げていました。その番組には経済担当、労働担当、外交担当など、様々な分野を担当する解説委員がいろんな角度からTPPをめぐる問題を取り上げて議論をしていました。あれはなかなかおもしろかった。もちろん、政府が言っていることに近いようなことを言う人もいましたが、互いに矛盾点を指摘する解説委員もいる。この番組でおもしろかったのは、討論をはじめる前、途中、大体終わったところというふうに視聴者の意見調査をやるのです。聞いている人の賛否がどう変わっていったかという、そういうデータをその場で伝えたのも興味深い企画でした。
河野 その番組は単発ですね。定期ではやっていない?
醍醐 テーマはいろいろ変えて定期にやっています。そうすると、最初と比べて、慎重論、反対論が半数を越えました。私はあれこそ争点提示型報道で、それを判断材料にして世論がどう変わっていくかを追跡するという企画は有意義だなと感じました。私もブログで書きましたが、韓国併合100年を記念して日韓の若者の討論番組をやったじゃないですか。あれなんかは、私は進行のさせ方について思うことがありましたが、結構、ぶっつけ本番で論争もやっていました。ゲスト同士が論争しあっていましたしね。韓国の若者が、日本の若者は何も知らない、「エエッ、そんなことあったの?」と言われると頭にくると言っていました。消費税にしてももっとああいう討論型番組が必要です。
河野 結局、中身を伝えない。こうなる、ああなる、こういう実体だということを。とくにTPPの問題などはそうだと思う。自給率が絶対に下がるし、農水省が数字を出しているのに、それを伝えないで「明治維新以来の開国…」なんてことを言うから先ほど先生がご指摘になった街のインタビューだけでも日本だけが閉じこもって、だから賛成しなさいという。束ねられた報道に操られて発言するという人が圧倒的に多い。いま先生がおっしゃった解説員の在り方、日韓併合の問題も含めて、そういう点ではメディアの果たす役割というのは対案的なことも勉強しながら、学習しながら、問題提起をメディアにもっとあびせかけないといけないということをご指摘いただいたと思います。
次は、地デジ問題をはじめとしたメディアの在り方に対してご意見を述べていただけませんか。
醍醐 地デジ問題も全国連絡会がいま取り組まないといけないテーマです。すでに岩崎貞明さん、坂本衛さんらメディア関係の4人の方を中心に終了プロジェクトというのをやっておられますし、関西の市民団体が、大阪の会もいつも早い時期から取り上げてこられた大きなテーマですね。あと5か月を切ったいまの時期に何が必要かということを考えないといけないですね。具体的には、総務省への働きかけが重要になっていると思っています。全国連絡会は近く総務省、NHK、民放連にアナログ停波の延期を申し入れることになっています。
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メディアの今とこれからを熱く発信!!(Part.5)
●NHK経営委員会が地デジについて何も発言しない
醍醐 ところで、NHKの経営委員会に質問書を出したときに、会長選に絡んだことでしたので、やむを得なかったと思っているのですが、本来、NHKも当然ですが、経営委員会がこれに何も意見を表明しないということは考えてみれば非常におかしなことです。先に紹介した4人のメディア関係者によれば、100万単位の視聴者がデジタル化に取り残されること、この問題について日頃、「いつでもどこでもNHK」と言ってきたNHKを監督する経営委員会が、何も意見を言わないのはどうしたことでしょうか。もう1つ、視聴者とか、経済的な弱者が取り残されるというだけでなく、NHK自身も、100万単位の視聴者を失い、それに伴って受信料収入を失うわけです。その金額をNHKは91~666億円と見積もっています。これは放送局の側にとっても、拙速で地デジ化を見切り発車することが経営的にも大きな打撃になることを意味しています。受信料を下げる、下げると言っている一方で、このようにNHKから離れていく人が多数に上ることについては何も感じないということのほうが本来無責任ですよね。そういうことを私は強く訴えていく必要があるのではないかと思っています。
河野 重複しますが、メディアの現状ということで先ほどもいろいろお話を伺いましたが、改めて、いまのメディアの有り様に対してご意見をいただきたい。
醍醐 民放のことについて日頃意見が乏しいと自分でも反省しているのですが、NHKの場合、視聴者と放送局という関係がはっきりあるのですが、民放の場合は民放とスポンサーという関係があっても、民放に対して視聴者という存在が向き合っているという意識を持つことが非常に少ない。何か低俗番組があったり、プライバシーの侵害があったら、BPO(放送倫理・番組向上機構)のほうに苦情を伝えていくということはありますが、民放の放送局と視聴者とが対話をするとか、直接的なチャンネルが乏しいですよね。民放だって「番審」がありますよね。私はその民放ももっと視聴者が放送局と直接に何か対話するというチャンネルをもっとしっかりと持つべきではないかと思います。
河野 いまはありませんね。
醍醐 「受信料を払ってないからあなた方は関係ありません」という、そういう言い方をされてしまっていいのか。だから逆に私はもっと視聴者意識を持つ上でさきほどお話しましたように、受信料の一部を民放に回すべきだと言うんです。それが1つの根拠となって、私たちだってあなた方のスポンサーなんですよという意識をもち、もっと対話を成り立たせるようなことになればいいと思っています。
●視聴者に義務はあっても権利はない
河野 苦情の担当者も民放もおりますけどね、われわれの運動を支援してくれている方がおられます。その人はいま定年になられて嘱託でその担当をやっているのです。そういう窓口は持っているみたいです。
醍醐 私たち視聴者がNHKと交わす受信契約は双務契約だと言われながら、実際は義務ばかりがあって、視聴者に権利がないわけです。そのためにはもっと放送法の世界で消費者契約法に準拠して、NHKが取り交わす受信契約のなかでも、視聴者の権利を明記しなくてはいけない。ですから言ってみれば消費者契約法をバックボーンにして、もっと視聴者が権利を求めていく、そういう運動をしていくことが大事ではないかと思っています。
具体的にいま考えていることで、放送法が変わってよかったことは、視聴者と語る会というのが全国各地にありますね。あれも参加したい人が何十人というレベルでしょう。私は各地でやった語る会を、例えば月1回でも2時間ぐらいの番組枠でとれば全部伝わるじゃないですか。番組のなかに組み込み、それを聞いた側で、自分が参加していない人も、ああこういう意見を出しているのか、こういうやりとりがあったのかということを知ることがまず参考になる。自分とはちがう意見をもっている人に出会うということが非常に大事だと私は思っています。NHKに対して、まず第一歩はそういうところからやっていくように求めていくことが大事かと思っています。
河野 大変手前勝手のご質問ですが、「大阪の会」運営を3年間ほど市民目線でやってきましたが、今後、どのような活動をのぞまれ、またどのように運営をすれば良いかお考えになるでしょうか。
醍醐 これはおこがましくて、刺激を受け合っている側ですから、お世辞じゃなくて、とやかくなんてとてもそんなことを言える立場ではないです。
●具体的に要望を出す視聴者運動を
河野 ざっくばらんにアドバイスをいただけたらと思っています。
醍醐 私たちの「コミュニティ」自身もだし、他の団体もそうなんですが、今日もなるべく心がけたつもりですが、私たちの運動、例えば、NHKに何か要望を出すときに、やはり具体的でないといけないということを感じます。例えば、会長選考にしても、経営委員の選任にしても、放送番組審議会の委員の人選にしても、積極的にここをこう変えてもらいたいというそういう提案型の運動というか、そういうことが視聴者の方たちに少しでも関心を向けてもらう点ではないかと思います。私自身も「語る会」に行って、何か非常に先鋭的な人たちが、手厳しく糾弾しているという姿を見ることがあります。はっきりとモノを言うことは大事なことですが、ただ、普通の方が来られたときに何か特異な集団がいて、何かしゃべるだけしゃべって帰ったとなると「あの人たちはどういう人なんだろう…」みたいになってしまう。ある意味では激励も交えながら建設的に、批判と言っても「ここをこういうふうにしたらもっとよくなる」みたいな建設型の運動も心がけないといけないように感じるわけです。
河野 ついつい批判型になってしまうのですね。心がけないといけませんね。
醍醐 批判を聞く側は批判ばかり言われるとどうしてもかたくなに構えてしまう。やはり俺たちだって一生懸命にやっているんだという、主観的にそう思っている人に、「ここはよかったですね」ということも大事だと思います。
河野 おっしゃる通りだと思います。犯人捜しとは違いますからね。きょうは貴重な時間をいただきましてありがとうございました。とくにわれわれ運動をしているもの同士というのは失礼な言い方ですが、先生も「コミュニティ」のほうも運動を非常に積極的にやっておられる。今回、NHK会長と経営委員長辞任の問題については即座に、機敏に、タイミングよく対応なさったことにも敬意を表します。今日のインタビューも、私たちが考えだせない貴重なご意見をいただきました。本当にありがとうございました。
初出:「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載
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〔opinion0430:110422〕
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NHK問題大阪連絡会「サテライト」No.4 別冊 (2011・4・1発行)
醍醐 聡氏 インタビュー
メディアの今とこれからを熱く発信!!(Part.2)
●視聴者をテレビ漬けにさせない
醍醐 以下は5年ほど前のシンポジウムで発言したことです。NHKも朝から深夜まで放送をやっていますが、例えば、週のうちまずは試行的に何曜日でもいいと思うのですが、「この時間帯はお休み」という、そういう時間帯を設定してみたらどうかと思うのです。その間、「みなさんテレビ漬けにならないで家庭でいろんな団らんを過ごす時間にしてください」とか、「もっといろんなところに出かけてください」「ご近所の方とお茶の時間を」というふうに、テレビから解放された時間を作ってみてはどうでしょうか?それによってとかく人間関係が希薄になりがちな「巣篭もり」人間を改造する一助になるのではと思うのです。そしてNHKにしても、受信料がこれだけあるからどう使おうかという発想から、少し減った受信料でいかに中身の濃い番組を作るのかという発想に変わっていく契機にならないかと思うのですが、どうでしょうか?そういう広い意味での受信料制度、受信料が高い、安いだけではなくて、受信料の使途・配分まで含めて徹底討論をする場が必要だと痛感しています。NHK・OBの津田道夫さんなどは、早くから民放ではなくて市民メディアに受信料の一部を配分するよう訴えておられます。私は市民メディアももちろんいいのですが、NHKに全部まわしてしまう必然性はないという考えはある程度共通したところです。
●一部でいい番組があるからと悪質番組の免罪符にするな
醍醐 最近、NHKには優れたドキュメンタリー番組が少なくありません。そのような番組に激励の声を送ることは非常に大切です。しかし、それをあたかも免罪符のようにしてその他の公共放送の理念をおざなりにしたような番組づくりをしています。私たちの周辺でも、優れた番組を激励しようとするあまりに、NHKの、「意見が対立したテーマを忌避する姿勢」、「少数意見を軽くあしらう姿勢」、「民放で売れたタレントを無節操に起用して視聴者接触率を稼ごうという姿勢」を毅然と批判する態度が弱まっているのではないかと危惧しています。
また受信料制度にしても、いまの制度をただひたすら守るだけで本当によいのか。私たちはNHKを受信料で支えないといけないという原理原則を反復するだけで本当にいいのか。そのあたりは若い世代のテレビ離れも考えながら、もっと大胆に改革をしていく必要があるのではないかと感じています。先ほど、民放のほうはどうですか?というお話がありましたが、民放を民放としてだけいまの枠でどうだと言われると、なかなか私も「こういう改革が」というのは思い浮かばないのですが、NHKを含めて受信料制度と絡めてもう少し大きな枠組みで考えられないかと思っています。
●放送法「改正」で政府の権限を強めようとしている
河野 貴重なご意見をお聞かせいただいてありがとうございます。
昨年秋、民主党政権が充分な審議を得ずして放送法を「改定」いたしましたね。これに対してどのような点で指摘ができるのでしょうか。
醍醐 まとめて言えばいい見直しではなかった。改悪の面のほうが主だったというのが、市民運動のなかでは共通した見方だと思います。私もその見方自身は大体同じです。ただ、最初の原案から見ると、審議のなかで電波監理審議会の監督権限が削られ、NHK会長が経営委員を兼ねるという条項も削られた。そういう意味では、改悪の方向への変化を食い止めたという点があったことも記憶しておきたいと思います。とはいえ、前回の改定の時もそうでしたが、総務省の権限をなんとかして広げたいという、行政当局者の思惑が基調となった改定で、視聴者の目線から変えようという視点が非常に乏しいという点は共通しています。私はむしろこの間の放送法改定では、何が変えられたか、その改定点はいいことだったか、悪いことだったかという、現になされたことについての評価もさることながら、変えられなかった点、不作為の方に注目する必要があると思っています。放送法を見直すのだったらこういうところを見直すべきなのに、それをまったく議論にもならなかったという、その不作為のことのほうを私は問題にするべきだと思うのです。こういう点はもっと改められるべきではなかったかと、私たちの側から積極的に提案して、要望をどんどん出していって、改正を求めていくという、能動的な運動が必要だと痛感しています。放送法だけではないと思うのですが、戦後の日本の市民運動では抵抗運動はある程度あった。しかし抵抗運動をやっても現状維持です。その現状がいい現状だったらいいとして、例えば、憲法というのは現状がすぐれた憲法だからそれを守るという点でそれ自体大きな価値があると思うのですが、いまの放送法というのは守ればそれでいいのか、守らないといけないところはあるけども、むしろ変えないといけないところのほうが私は多いと思っているのです。特に視聴者の権利という点では。そういうことがなかなか国会の話題や改正の作業に乗せられないというのが常ですね。このような現状を打ち破る視聴者運動をこれからの私たちは目指すべきではないかと考えています。
河野 われわれも放送法というのが充分に周知ができていないので、どの点をどういうふうに変えるということを、この場ですべて先生にお答えいただくことはできませんが、例えば、なされていない主な点はどういう点があるのでしょうか。
醍醐 今回の会長選のことがまた話題になると思いますが、それに絡む放送法の問題はちょっとあとにして、それ以外のことで言えば、私たちの運動のなかで視野に入ってきていないこととして、放送番組審議会というのがありますね。番審、番審と言っていますが、あれについて、私たちはこれまで公選制とか、そもそもどんな議論がされているのかということは何も話題になっていないわけです。放送法の世界では「法律に基づく場合を除いて番組に干渉してはならならい」となっています。
●プレイヤー(NHK)がアンパイアー(放送番組審議委員)を人選している?
醍醐 「法律に基づく場合を除いて」という法律のなかには、放送法で定めた番組審議会(番審)が入っています。視聴者がいろいろモノを申すのは別にして、そういう公の機関が個別の番組について意見を述べるというのは数少ない組織なんです。ところが現行の放送法では、その審議会の委員を、NHKが推薦して決めることになっています。もちろん経営委員会に「任期がきた方の後任にこの方を選びたい」と諮っていますが、人選は全部NHKがやっている。自分がつくった番組を審査してもらう人を、番組をつくる人が同時に決めている、プレイヤーがアンパイアーまで決めているというのはおかしなことです。
1年ほど前、番審の委員をやっておられた森まゆみさんという方が、委員を辞めたあと書かれたエッセーの中で、NHKの人たちは番組をほめてあげた時はニコニコ笑顔満面だけれど、ちょっと苦言めいたことを言ったとたんに顔が曇って渋い顔をする。そういう苦言は何度言っても聞き入れてもらえなかった、と書いておられます。NHKは自分をほめて、喜ばせてくれる委員を選ぶケースが多いですね。
番組制作に関して視聴者はNHKとのチャンネルが非常に細いわけです。私たちが言っても言いっぱなしということが多いですよね。そのチャンネルをどうやって広げていくのか。番組に対する監視・激励という日常日々の私たちの声を届けるということがもちろん基本ですが、それで終わらず、公式のチャンネルをしっかりと持つことも大事ですね。
●視聴者運動は、放送法にのっとって行えるよう規定されるべき
醍醐 その公式のチャンネルづくりとなるとどうしても放送法の裏づけを持たないとできないことです。ひと言で言えば視聴者が自分たちの声をNHKに届けるルート(チャンネル)を制度としてつくっていく。そういう放送法の手だてです。審議会の委員についてもっと開かれた選び方をするような選考方法を放送法のなかで定めることが必要です。
初出:「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0428:110421〕
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以下は、NHK問題大阪連絡会の会報「サテライト」No.4(2011年4月1日発行)の別冊として刊行された私のインタビュー記事である。インタビューは今年の2月28日、NHK問題大阪連絡会の世話人代表の河野安士さんと佐々木有馬さんがわざわざ上京され、都内で約1時間半、お二人と懇談したものである。なお、このインタビューの概略は「サテライト」No.4の第1面に掲載されているが、河野安士さんの了解を得て、同号の全文を転載させていただく。
NHK問題大阪連絡会 会報「サテライト」第4号
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/satelliteNo.4.pdf
遠路、わざわざ上京していただき、拙い私のメディア論、NHK論の全文を会報の別冊として発行していただいた河野安氏さんと佐々木有馬さんに厚くお礼を申し上げる。また、「サテライト」の編集を担当されている㈱かんきょうムーブの國本園子さんには、この別冊の編集・校正にあたって大変、お世話になった。この場を借りて厚くお礼を申し上げる。
以下、河野安士さんの了解を得たので、別冊インタビュー全文を5回に分けて、このブログに転載することにした。転載にあたってはブログの書式に合うよう、原文の書式を変更した。
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NHK問題大阪連絡会「サテライト」No.4 別冊
(2011・4・1発行)
醍醐 聡氏 インタビュー
メディアの今とこれからを熱く発信!!(Part.1)
河野 今日は、お忙しいところありがとうございます。私たちNHK問題大阪連絡会は、3年前からニュース「サテライト」を発行しております。去年は残念ながら1号しか発行できなかったのですが、「サテライト4号」のメイン記事として先生のインタビューを掲載させていただきます。現在のメディアはいろんな問題をかかえていると思います。醍醐先生も幅広い角度で、実際に湯山先生と共同で、「視聴者コミュニティ」を立ち上げておられますし、そういう活動を通じて感じておられる、いまのメディアの有り様をざっくばらんに述べていただけますか。
醍醐 今日はこういう機会をいただきましてありがとうございます。「サテライト」を送っていただいて拝見しているのですが、少人数でよく頑張っておられると、いつも感銘しています。今日はあまり堅苦しい話ではなく、「私個人としてはこんなことを考えています」というようなざっくばらんなお話をさせてもらいたいと思っています。
●NHKはなぜ「接触者率」にこだわるのか疑問
河野 まず、NHKを中心とした日本のメディア全般の現在と将来に対してどのようなお考えをお持ちでしょうか。
醍醐 私がNHK問題の中で非常に危惧しているのは、NHK5か年計画の中で『視聴者接触率』というものを「何年までに何%」という数字の目標を掲げて、それを達成しようとしている点です。NHKを監督する経営委員会も、その尻を叩くようにやっている。私は『視聴者接触率』というものをNHKが掲げて数字を追いかけようとしていることが長い目で見て、NHKの公共性を非常にむしばむものではないか、それを脅かすものではないかという心配を2年ほど前からしているのです。接触者率(1週間にNHKのテレビ、インターネット、携帯端末、DVDなどで5分以上NHKの番組を見たり聞いたりした人の割合)というのは、番組を見ただけではなくて、ホームページなどのあらゆるNHKのネットワークにアクセスした人と時間をカウントしている。それとオンデマンドの利用までも含めている。
そのことがどういうふうに公共性を脅かすかと言えば、例えば「番組宣伝」が非常に多すぎるのではないか、それと、いろんな番組で、これまでは局のアナウンサーとか、番組担当のキャスターが進行させていたものを、最近、若いタレントをゲストとして招き、ときどきその人に質問を振ったりして番組を進行させる。具体例で言うと土曜日の夜、NHK海外ネットワークが挙げられます。この番組は、これまではスタジオのキャスターと海外の現地のスタッフがやりとりをする。もちろん、その日のテーマにかかわっている現地の人々が登場します。ところがこの半年ぐらい前から、スタジオに、いろんなタレントをゲストとして迎え、番組の途中でやりとりを挟んでいます。
●番組の質を落とす安易なタレント起用
醍醐 ところがそのゲストとのやりとりはというと、あまりに稚拙でたわいのないものです。結局、視聴者の目を引きつける、そういうことのためとしか思えないようなゲスト起用です。民放でよく売れているタレントを、見境なく起用する。途中でコマーシャルが入らなかったら、民放なのかNHKなのか、分からないという番組が少なくありません。なぜNHKがそこまでやるのか。受信料で成り立っているわけですから、そんなに視聴率を気にしなくてもやっていけるはずです。かつ視聴率を気にせずにいい番組をつくれるというNHKの強みはどこへいったのでしょうか? 「視聴者接触率」という数値目標を掲げたことがNHKの番組の質をむしばむ脅威となっているのではないかと私が危惧するゆえんです。
●テレビ離れの若者に何を発信するかが基本
醍醐
最近の若者のテレビ離れが非常にすすんでいて、なんとか若者をNHKに引き寄せたいという思いがあるのではないかということは感じます。しかし、番組の中身を問わずに、1週間にNHKの番組やサイトに何分接触したかを気にかけるのではNHKは自分の持ち味を自分で殺してしまうことになってしまうのではないでしょうか。若者のテレビ離れをいかに食い止めるかということは真剣に考えないといけないのですが、NHKへの接触を通して若者に何を訴えたいのかということを抜きに、ただ数字だけを追いかけるというのでは、公共放送とは言えないのではないでしょうか。
●NHKが民放化するのではないかと危惧する
醍醐 この傾向がこれからどんどんすすみますと、番組づくりという面から見て、NHKの民放化というのでしょうか、質の劣化というのか、それがどんどんとすすんでいくのではないかと非常に気になります。
私たちも含め、多くの視聴者はNHKはいいドキュメンタリーを放送しているとよく言われます。私もその点は大いに評価しなくてはいけないと思っているのですが、ただ全体の番組表のなかの時間数からいけば、それはごく一部なんですよ。一部でもいい番組にはみなさんの目がとまりますけど、その横の週とか、前後の番組とかタテヨコを見ると、民放と区別がつかないような質の悪いバラエティ番組がずいぶん多いのです。これではいいドキュメンタリー番組を作っていると評価するだけではすまないのじゃないかと思います。
河野 民放に関してはどうですか。
醍醐 NHKと民放の二元体制という前にですが、公共放送がNHKひとつであることが自明なのかどうなのかを考えてみる必要があると思っています。多元化複数のテレビ局があり、いい意味でお互い切磋琢磨する、悪貨が良貨を駆逐するでは困りますが。私は当然二元体制として民放は民放としてあっていいと思うのです。しかし、いまの民放の姿がどうなのかと言われるとやはり問題を感じるのです。それはよくいわれる低俗番組が多いといったことだけでなく、視聴者との関係が希薄だということです。NHKは、視聴者と契約を交わさないといけないわけですが、現状では払った受信料は全部NHKに入る。逆に民放は見たいけどNHKは見たくないというテレビはないわけです。考えてみれば、民放の番組の実態がどうであれ、視聴者には番組を選ぶ権利があるはずです。その点から見て、いまの仕組みには問題があると思っているのです。だから民放だけ見てNHKを見なくてもいいとか、スクランブルをかけたらいいとか、従量制の料金にしたらいいというようなことを私は言うつもりはありません。しかし、とくにいまの若い人は、今言いましたような意識がなかなかぬぐえない。受信料と言ったら見た分だけ払うという対価主義が、いまの若者の感覚にはすごく合うわけです。それでNHKなんか見たくないのに、NHKに受信料を払わなかったら民放も見られないのはおかしいじゃないかという感覚はあながち否定できないのではないかと思います。
●民放に受信料の一部をまわして良質な番組を
醍醐
私が個人的に考えているのは、受信料の一部を民放にまわしていいんじゃないかということです。民放の報道番組、あるいは娯楽番組でもいいんですけど、「これはスポンサーを付けない。コマーシャル料をもらわない番組にします」ということを民放から自己申告してもらい、それを条件として、そうした番組の制作に受信料の一部をまわすという構想です。そこで例えば、報道番組などで、NHKの報道の仕方と、受信料で制作された民放の報道番組が放送されることにするわけです。報道番組は多様な意見を反映するべきといいます。民放がスポンサー企業の顔色を気にせず、NHKの伝え方とまた違った焦点のあて方で報道するのか。私たちも新聞を見比べるのと似たような感覚で、テレビメディアの報道を比較・評価する――そういう仕組みが望ましいのではないでしょうか。このような仕組みを通じて民放の報道番組や娯楽番組がどこまで変わるのか試みる価値は十分あると思っています。そしてなによりもこのような受信料の一部を民放へ配分するという仕組みを通じてして、民放と視聴者の間に双務的な関係を作り、視聴者からの監視・激励のパイプを太くすることを期待したいのです。もちろん、NHKは「いまでさえ足りない受信料をどうしてくれるんだ」と言うかもしれませんが。
●視聴者をテレビ漬けにさせない
醍醐
以下は5年ほど前のシンポジウムで発言したことです。NHKも朝から深夜まで放送をやっていますが、例えば、週のうちまずは試行的に何曜日でもいいと思うのですが、「この時間帯はお休み」という、そういう時間帯を設定してみたらどうかと思うのです。その間、「みなさんテレビ漬けにならないで家庭でいろんな団らんを過ごす時間にしてください」とか、「もっといろんなところに出かけてください」「ご近所の方とお茶の時間を」というふうに、テレビから解放された時間を作ってみてはどうでしょうか?それによってとかく人間関係が希薄になりがちな「巣篭もり」人間を改造する一助になるのではと思うのです。そしてNHKにしても、受信料がこれだけあるからどう使おうかという発想から、少し減った受信料でいかに中身の濃い番組を作るのかという発想に変わっていく契機にならないかと思うのですが、どうでしょうか?そういう広い意味での受信料制度、受信料が高い、安いだけではなくて、受信料の使途・配分まで含めて徹底討論をする場が必要だと痛感しています。NHK・OBの津田道夫さんなどは、早くから民放ではなくて市民メディアに受信料の一部を配分するよう訴えておられます。私は市民メディアももちろんいいのですが、NHKに全部まわしてしまう必然性はないという考えはある程度共通したところです。
初出:「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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