青山森人の東チモールだより…残された宿題
- 2018年 11月 21日
- 評論・紹介・意見
- 青山森人
青山森人の東チモールだより 第384号(2018年11月18日)
残された宿題
AMP政権、大統領にバチカン訪問をさせず
先月10月の半ば、バチカンからジョゼフ=サルバドール=マリノ大司教が東チモールを訪れ、タウル=マタン=ルアク首相をはじめとする要人そしてフランシスコ=グテレス=ル=オロ大統領(以下、ルオロ大統領)と会談をしました。両国は東チモールのカトリック教会を通して関係を強化していくことで一致しました。
そのあとルオロ大統領はバチカン訪問を東チモールの司教と話し合いをしながら具体的に計画を進めたところ、AMP(進歩改革連盟)政権は即、ルオロ大統領は国内問題の解決を優先させるべきで、バチカン訪問は忘れることだという態度を示しました。この場合の国内問題とは、AMP政権発足してから現在に至るまで、AMP内の最大与党CNRT(東チモール再建国民会議)からの閣僚候補者にたいしてルオロ大統領が見直しを求め、9名の閣僚が未就任の状態が続いていることを指します。
一方、ルオロ大統領はバチカンから11月23日にフランシスコ・ローマ法王と面会できることになったという知らせをうけ、バチカン訪問について国会審議にかけました。東チモールでは大統領の外国訪問には国会の承認が必要な仕組みになっています。11月5日、国会はルオロ大統領のバチカン訪問を承認するか否かの決を採ったところ、AMPが多数派を占める国会で大統領のバチカン訪問は反対多数で否決されました、
CNRTの閣僚候補者にたいしルオロ大統領が見直しを求める態度を変えないことへの報復として、APMは大統領の外交活動を阻み続けています。一度目は7月CPLP(ポルトガル語圏諸国共同体)の会議出席(ポルトガル)が、二度目は9月の国連総会出席(ニューヨーク)が、三度目は10月「民主主義フォーラム」の出席(インドネシア、バリ島)が、それぞれ国会で否決され、これが4度目の国会による大統領渡航不許可となりました。
閣僚候補者の見直しを求めるのは憲法違反だとルオロ大統領を非難するAMP代表のシャナナ=グズマンCNRT党首は、ルオロ大統領のバチカン訪問が国会で承認されなかったことにたいし、大統領は状況を理解すべきだ、大統領は海外に行くには憲法に敬意を表し憲法に従わなければならない、と述べています。
AMP政権、後悔先に立たず
ところが、シャナナ=グズマンを代表とするAMPの今回の大統領にたいする政治的仕打ちは、たんなる政界の“内輪もめ”で済みませんでした。カトリック信者が人口の大半を占める東チモールではカトリック教会は国内情勢に大きな影響力をもちます。ローマ法王との面会が設定されていたのにもかかわらず、大統領のバチカン訪問を認めなかったAMP政権はバチカンに迷惑をかけたことになり、東チモールの国際的評判を落とすことにもなります。前回までの大統領渡航阻止と比較してAMPはより強い批判にさらされました。AMPはさすがにまずいと思ったか、ルオロ大統領のバチカン訪問について国会で再審議しようとします。AMPは、11月5日の国会決議のときはAMP内の政党間で意思疎通がよくできていなかった、政治は流動的である、大統領の出国予定日は11月17日なのでまだ間に合うなどという苦しい理由をたて、アラン=ノエ国会議長(CNRT)は11月14日ルオロ大統領と会談し、バチカン訪問について国会で再審議をしたい旨を伝えました。しかし後悔先に立たず、国会議長との会談後、ルオロ大統領は記者会見を開いてきっぱりと再審議を受け容れないと表明したのです。
再審議拒否の三つの理由
バチカン訪問について、ルオロ大統領は2017年5月20日、自らの大統領就任式に出席したローマ法王の代理人に訪問の意志を伝えたときから話をすすめてきたのだと11月14日、国会議長との会談後の記者会見で明かしました。バチカンと協議を重ね、今年に訪問が実現できることとなり、最終的に11月23日にフランシスコ・ローマ法王と面会できるように設定されたのでした。ルオロ大統領がバチカンを訪問するのは、来年2019年はインドネシア軍事占領下にあった東チモールを当時のローマ法王・パウロⅡ世が訪問してから30年目に、そして独立を決定づけた住民投票から20年目にそれぞれあたる節目の年であることから、この節目を東チモールとバチカンがともに祝うためにフランシスコ・ローマ法王を東チモールに招待するためです。
ルオロ大統領はバチカン訪問の国会再審議を拒否した理由を三つあげました。
一つ、国会の決議は重い(そう簡単に変えられない)。
一つ、国会で否決された翌日、国会で承認されなかったため訪問できなくなったとバチカンにすでに伝達した。
一つ、(国民に直接選挙で選ばれた大統領として)国民の尊厳を守るため。
そしてルオロ大統領は、このたびのバチカン訪問は実現できなくなったが、もしまた機会ができたら訪問したいことをアラン=ノエ国会議長に伝えたと述べました。
東チモール国内の人権擁護団体は、国会で今日はこの決議をして明日その決議を翻すというのは、政府はみずからの政治的利益のために国の威信を傷つけたと厳しく批判します。ルオロ大統領は、国会決議を重視するのは憲法に従っているからだと強調し、憲法に従えというシャナナAMP代表を牽制しています。
国会で決議されたことをすぐに翻そうとしたAMP政権は明らかに失態を演じました。そしてその責任は、AMP代表であるシャナナCNRT党首であり、AMP代表を抑制できなかったAMP副代表のタウル=マタン=ルアク首相であることは、明々白々です。
ルオロ大統領と政府の対立深まる政治的袋小路の状況からすると、11月8日に国会に提出された総額18億3000万ドルの2019年度一般予算案は、年内に国会を通過できても、大統領による拒否権に見舞われるであろうと誰しもが予想しているはずです。
懸念されるシャナナとルオロの対立
いまの与党CNRTと野党フレテリン(東チモール独立革命戦線)との政争は、歴史を遡れば、そして大雑把にいえば、シャナナ=グズマンがフレテリンから離党し、フレテリンを含みこむ諸政党・緒団体で構成される解放闘争の最高機関としてCNRM(マウベレ民族抵抗評議会)のちのCNRT(チモール民族抵抗評議会、現在の政党CNRTと混同しないよう要注意!)を設立し、その議長に就任し解放闘争内での主導権争いに勝ったことで生じたことに原因をみることできます。
2006年、多くの家が焼かれ約15万人が家を追われてしまい首都デリを難民キャンプの街と化した、いわゆる「東チモール危機」が勃発したとき(詳しくは拙著『東チモール 未完の肖像』[社会評論社、2010年]を参照)、この危機がシャナナとルオロの対立にならなくてよかった、もしシャナナとルオロが衝突したら、いま起こっていることは子どもの遊びに映るだろう――とわたしは東チモール人にいわれたものでした。シャナナとルオロがもし物理的な衝突をしたら、桁違いの争乱になるであろうと東チモール人は恐れていたのでした。
2006年「危機」のとき、攻撃される側であったのにもかかわらずその損な人柄からして悪者にされてしまった当時のマリ=アルカテリ首相(フレテリンの書記長)と、当時のシャナナ=グズマン大統領との対立関係が表面的に取り沙汰されました。しかしシャナナ=グズマンとインドネシア占領時代モザンビークを拠点として外交戦線で活躍していたマリ=アルカテリとの関係は、ある意味では政治的配慮で修復することができるし、実際そうなりました。しかしながら戦争分析家として24年間山で闘ったルオロは(拙著『東チモール 抵抗するは勝利なり』[社会評論社、1998年]でルオロによる軍事報告を載せた。拙訳にもかかわらずルオロの能力を感じることができる)、フレテリン内では党首という立場であるが実権はマリ=アルカテリ書記長に譲っていますが、シャナナ=グズマンとの対立は、その原因が大量の血が流された武装闘争の現場に根ざしているとなれば、おいそれとは解消できない根深さがあるはずです。
もちろんいまシャナナとルオロの対立が深刻化しているとはいえ、2006年当時に懸念された二人による衝突が起こるとはとても考えられませんが、二人のいまの情念的ともみえる対立はこの国に暗い影を落としていることは確かです。
1970年代、東チモール人は殺し合いをしてしまい、東チモールの民族解放運動は内部矛盾を背負ってしまいました。過酷なインドネシア軍事占領下ではこの内部矛盾をひとまず脇に置いて闘わざるをえませんでした。内部矛盾の清算は宿題として指導者たちに残されたのです。独立を達成し、民主主義に基づく政党政治を発展させようとしているいま、次世代に国づくりのバトンを渡すためにも、指導者たちは残された宿題に向き合わなくてなりません。とくに解放闘争の最高指導者だったシャナナ=グズマンは、チモール海の資源開発を次世代に譲るつもりで、過去の清算に全力で取り組むべきです。チモール海の資源開発は次世代でもできますが、残された宿題は本人の手によってするのが最善であるからです。
~次号に続く~
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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