三重県および熊野市が地方税を課税することの不正義
- 2011年 4月 26日
- 時代をみる
- 斉藤日出治課税の不正義
まえがき
わたしたち(紀州鉱山の真実を明らかにする会)は、2010年3月28日に、三重県熊野市紀和町の紀州鉱山跡に、鉱山で強制連行され亡くなった朝鮮人及びその家族35名を追悼する碑を建立しました。この追悼碑を建立した土地は、私たちの会が基金カンパを募り、自費で購入したものです。ところがこの土地に対して、三重県と熊野市は地方税を課してきました。これに対して、今年3月18日、わたしたちは三重県と熊野市に対して、追悼碑の建立地に地方税を課することの不当性を訴えて、三重県津市の地方裁判所に提訴を行いました。この地方税の課税がいかに不正義な行為であるかについて、述べてみたいと思います。
不動産取得税は不動産の取得に当たって道府県が課する地方税であり、固定資産税は固定資産の所有者に対して市町村が課する地方税ですが、いずれも県あるいは市の行政団体が公共の視点から私有財産である土地に課する税金です。
しかし、もしも公共団体としての県や市の行政措置によってひとびとの人権が侵害され、その歴史的な責任が問われたとしたらどうでしょうか。
県や市が公共団体の名において犯した人権侵害の犠牲になったひとびとを追悼しようとして碑を建てた土地に対して、県や市が公共性の名において地方税を課することは妥当なことなのでしょうか。それは正義に値することなのでしょうか。むしろ歴史的責任を問われるのは県や市の公共性であり、告発されるべきは県や市の公共性であるにもかかわらず、その土地に地方税を課することは県や市の歴史的責任を不問にし、みずからがかかわった人権侵害を正当化する行為ではないでしょうか。
■三重県が追悼碑の建立地に不動産取得税を課税することの不正義
三重県で石原産業が開発した紀州鉱山では、1940-45年の戦時中に1300人を超える朝鮮人が強制的、半強制的に朝鮮から連行され、銅鉱石の採掘労働に従事させられました。
この強制労働によって、私たちが調べたかぎりでも、家族の犠牲者もふくめると35名の命が失われました。このようなアジアの民衆の総動員体制は、日本の政府と企業によって推進されましたが、県や市の地方行政もこの方針に同調し、強制連行に加担してきました。
当時の三重県知事は国策に従ってこの強制連行を認可しており、三重県は石原産業による朝鮮人強制連行の公的な責任の一端を担っているのです。
日本は台湾、朝鮮、「満州」をはじめとするアジアの植民地を堅持するため、欧米の諸列強に対抗してアジアの「共栄圏」を築くという理念を掲げて「大東亜戦争」に突入しましたが、この戦争の中でアジアの民衆を資源の確保やインフラの整備のために総動員するという道を突き進みました。県や市の行政団体も、この国家の方針を担うだけでなく、このような「大東亜共栄圏」の建設を自らが積極的に推進したのです。この動員体制のなかで、日本の国内、国外の各地で犠牲になったアジアの民衆の遺骨がいまだに放置されたままに置かれています。
一部の地方行政団体は、これまでこのような歴史的責任を自覚して、みずから公共の土地を提供しアジアの民衆の犠牲者を追悼する碑を建立してきました。その事例は全国各地にみられます。播磨造船所に強制連行された朝鮮人犠牲者を追悼する碑が兵庫県相生市の市議会で決議され、市営墓地がそのために提供されました。群馬県では県立公園の一部を提供し、大牟田市では市立公園を提供して、自治体が強制労働を強いられた犠牲者の追悼に積極的にかかわりました。
わたしたちは民団、総連の三重県本部に呼び掛け,三者の共催で「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会」を結成し、地元の熊野市に対して碑の建立地を提供するよう要請してきました。
ところが、他の地方行政とは異なり、熊野市は会の要請をかたくなに拒み、話し合いに応ずることさえしませんでした。
会はやむなく基金カンパを募り、自力で建立予定地を購入し、2010年3月28日にその土地で碑の建立除幕式を挙行しました。
本来であれば、地方行政が取り組むべき追悼の事業を市民組織や在日朝鮮人の民間団体が担い、多くの方がたからの寄金を得て確保したのです。
この土地に対して三重県が不動産取得税を課税する権利はいったいどこにあるのでしょうか。このような課税は、強制連行に公的に加担した三重県の歴史的責任を回避し、それをもみ消す行為以外のなにものでもありません。
地方税法73条には、保安林や墓地などの公共の用に供する土地に関して「不動産取得税を課することはできない」という規定があります。わたしたちはこの規定に基づいて三重県の課税を不当としていますが、追悼碑の土地は地方行政が課税することのできない公共性を有するだけでなく、地方行政のおこなった人権侵害の歴史的責任を問うという意味での公共性を有している、したがって責任を問われるべきは三重県のほうだということを訴えているのです。
わたしたちは、三重県によるかつての朝鮮人強制連行を推進した公共機関としての歴史的責任を問う公共性の視点に立って、本土地に不動産取得税を課する三重県の不正義を告発するものです。
■熊野市が追悼碑の建立地に固定資産税を課税することの不正義
追悼碑の土地に固定資産税を課そうとする熊野市の姿勢はそれ以上に悪質です。わたしたちは、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑を建立する土地が公共性を有するがゆえに固定資産税を減免してほしい、という申請を熊野市長に行いました。これに対して熊野市長は「公共性は認められない」と回答してきました。
しかし熊野市は公共性の認定について、民族差別にもとづくダブルスタンダードの態度をとっているのです。紀州鉱山では、敗戦の末期にマレー半島から移送されてきたイギリス軍捕虜300名を鉱山労働に使役していました。そしてこれらの捕虜からも、病気や事故で16名の犠牲者が出ました。石原産業は極東裁判で捕虜の虐待を告発されることを恐れて、敗戦直後にイギリス軍捕虜の犠牲者の碑を建立しましたが、その後、地元の老人会がこの碑を整備し追悼の行事をおこなってきました。そして1987年には当時の行政主体であった紀和町がこの碑の土地を石原産業から譲り受け、新たな墓地を作り直して、「外人墓地」と命名し、そこを紀和町教育委員会の名で「紀和町指定文化財」と定めました。また紀州鉱山の閉山後に紀州鉱山に関する資料を展示した熊野市が管理する「鉱山資料館」には、イギリス軍捕虜に関する写真や資料の展示が行われています。これに対して1300人を超える大規模な朝鮮人の強制連行については、熊野市、そして旧紀和町は、鉱山資料館の展示をまったく行っていません。それどころか、朝鮮人の強制連行について、その就労実態の調査も、犠牲者の追悼も、まったくおこなわずにきました。
わたしたちは会を発足させたときから、旧紀和町、そして熊野市に強制労働の犠牲となった朝鮮人について実態を調査し、犠牲者を追悼する活動に取り組むよう要求してきました。しかし行政当局はこの要求に応える姿勢をまったく見せませんでした。わたしたちはやむなく自力で基金を募り、土地を確保して、碑を建立することにしたわけです。「英国人墓地」に対しては公共の土地を提供し、文化財指定として公認しておきながら、朝鮮人の追悼に対して公共性を認めず、私有地と断定して固定資産税を課する、これはあきらかに民族差別に基づく公共性のダブルスタンダードの判断以外のなにものでもありません。
熊野市が公共の行政としてかつてアジアの民衆の強制労働に加担したという歴史的な事実に思いをはせるならば、自らの歴史的責任においてともに追悼の活動の取り組みに参画することは当然の義務ではないでしょうか。
三重県、熊野市の地方税の課税を容認することは、地方行政の強制連行の歴史的責任を不問にすることであり、私たちの訴訟は日本の植民地支配の歴史的責任を今日において問い直す作業である、このことを、訴訟を通して明らかにしていきたいと考えます。
三重県にたいして
3月14日に、三重県知事と三重県処分行政庁を被告として津地方裁判所に提訴する訴状(不動産取得税賦課処分取消請求事件)の「請求の趣旨」は、つぎのとおりです。
1、 被告三重県紀州県税事務所長が、2010年6月1日付で原告らに課した「不動産取得税の賦課処分」について、原告らが提出した同年8月2日付「不服審査請求」に対して、被告三重県知事が出した同年10月13日付「棄却」の裁決を取り消し、当該「不動産取得税の賦課処分」を取り消すこと。
2、原告らが取得した本件不動産は、非課税あるいは免税が相当であることの確認。
3、原告2人竹本昇とキムチョンミの 別紙記載の銀行口座の差し押さえ解除と、強制徴収した金額の返還。これについて、仮執行宣言を求める。
4、訴訟費用は、被告処分庁の負担とする。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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