「おや、湯島の天神様、お久しぶり。」「どなたかと思えば、神田の明神様。ご無沙汰ですな。」 ― 神さまの井戸端会議
- 2019年 1月 23日
- 評論・紹介・意見
- 天皇制弁護士政教分離澤藤統一郎靖国
天神様は、いまが書き入れ時。さぞかしお忙しいことで。
いやいや、忙しいのは神職や売り子だけのこと。私が忙しいわけではございませんな。
さすがに入学試験の直前。合格祈願の人々が山をなしているじゃないですか。
それが、何しろこの人数でな。合格定員の何倍もの祈願者でして。お参りの全員を合格させるのは無理な話。いったい誰を合格させてやればよいのやら。
こんなのはどうでしょうかね。祈祷料の金額でランクをつける。各学校5人限定で100%合格コース100万円、確率75%合格コース50万円。50%コース5万円なんてね。
それは愚案ですな。途端に合格祈願と合格実績の相関関係の皆無がバレてしまう。
やっぱりね。実は、ウチも同じ悩みを抱えていましてね。ウチの初詣はもっぱら企業関係者。ライバル企業の両者が、絶対にあの会社には負けたくはない、という祈願。
それこそ、お賽銭の額で決めればよろしいのでは。私ら、所詮は資本主義の世の神や仏なのですからな。
商売繁盛と祈られても、経営にリスクは付きものですからね。皆を儲けさせることなどできるわけがない。
学業もそうですな。合格する者、落第する者。両者がくっり分かれるから、私らの商売が成り立つ。
それにしても、儲けたい、もっと儲けたいと言う人々の、ぎらぎらとした執念を見せつけられると、こちらのほうの身がすくむ。
明神様がそんな気弱なことを言ってはいけませんな。いつの世にも、人の欲しいものはカネでしょう。カネが儲かる御利益という需要を見つけた、商売お上手な明神様でしょうが。
いやあ、天神様こそ、学歴社会の入学試験難に目を付けて、あらたな御利益を見つけ出した大したヤリ手じゃないですか。
ほかに人が望むものは、長寿に無病息災でしょうかな。それに、家内安全と良縁・安産。このあたりが、神仏需要の古典的な王道。
最近では、交通安全に当選祈願。過労死退散、パワハラ・セクハラの厄除け、痴漢冤罪退散祈願まであるそうですがね。ニッチの神さま連中も相当なもの。
人の世の不幸がある限り、神や仏にすがろうという庶民の願いはなくなりませんな。その点、私らの商売、しばらくは安泰ということ。
同感ですな。安倍晋三政権が続いてくれることは心強い。経済格差を拡大して多くの人を不幸にしてくれているのだから。安倍さんありがとうだ。
いいや、とんでもない。安倍晋三ありがたくなんかない。私ら平和産業だ。何より平和あっての庶民の願いではないか。わたしゃ9条改憲絶対反対じゃ。
ウチは、その点チト難しくてね。軍事産業関係者の参詣だってないわけじゃない。もともとワタシ自身が武士の頭領だったしね。文人の天神様とは、すこうし違うのかも。
最近は、初詣の参詣者に呼びかけて、神社が憲法改正に賛成の署名運動をやっているところもあるとか。古来神社は平和を願うところ。自衛隊を憲法に書き込めなどとは、世も末じゃ。
さて、本当に古来神社は平和を願うところだったのでしょうかね。戦勝祈願だの怨敵退散祈祷だの、結構ヤバイことお願いされた記憶はございませんか。神社とは、敵と味方をきちんと分けて、徹底して味方の利益ばかりを祈ってきましたでしょ。
ふーむ。もともとが神社とは産土の神を祀る場としてつくられたという。地域共同体の利益を守ることが神社の第一義だった。だから敵味方峻別主義という側面は当然といえば当然。世情次第で、地域コミュニティ・ファースト主義は、戦勝祈願にも、怨敵退散祈祷にもなる。しかし、それは神社に罪があるのではなく、世に戦乱があるからのことで、やむを得んじゃろ。
そうはおっしゃいますがね。そこに付け込まれての国家神道だったんじゃありませんか。地域コミュニティ・ファースト主義は、すんなりと「日本民族ファースト主義」、「大日本帝国ファースト主義」に置き換えられたのでしょう。神社には、そういう素地があったのですよ。
とはいえね、神社と言っても一色ではない。民間信仰の神社と官製神社とは大違いだ。私もあなたも、社格はたかが府社だ。庶民の信仰が支えで、天皇制権力との結びつきは希薄だから、自由にものが言える。しかし、伊勢神宮だの、靖国神社だの、明治神宮ともなれば、出自が天皇家と関わるのだから、完全に体制派。アチラは安倍改憲バンザイなんだろうね。
その体制派神社。初詣にしても、結婚式らの副業にしても、けっこう繁盛のご様子。昨年が明治維新150周年。今年は、天皇の代替わり。なにかと、官製神社が話題となって、こっちの商売への影響を心配しなけりゃなりませんな。
まことにそのとおり。官製神社の民業圧迫はいけません。首相や閣僚の靖国神社参拝も、伊勢詣りも、ありゃ憲法違反でしょうが。
憲法違反でも政教分離いはんでも、隙あらばやってしまおうというのが、安倍の安倍たる所以。ことしは、大嘗祭やら代替わりの儀式やらが目白押しでしょう。何とかならんものでしょうかね。
裁判所の利用も難しいようだし、マスコミも頼りない。結局は神頼みしか残されていないようでね。
ああ、嘆かわしい。神さま、なんとかなりませんか。この世には、カミもホトケもないのでしょうか。
(2019年1月22日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.1.22より許可を得て転載 http://article9.jp/wordpress/?p=11951
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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